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第四章 ③⑧
「いい加減にしてくれ」
という気持ちをこれほどハッキリと表情に出されると、流石に凹む。第1の事件から散々、自分達刑事に尋ねられたせいだ。
新たに思い出した事もなければ、この先、何かを思い出したとしても余程の善人でなければ、わざわざ警察に連絡は寄越してなど来ない。
そんな事は百も承知だが、こちらとしては、どれだけ煙たがられようが一般市民の良心に訴えかけるしかなかった。
とっとと犯人捕まえろよなどと、横柄な態度でご尤もな言葉も多く頂くが、こっちだってホシを挙げられるなら挙げてるさと言い返したくもなる。
だがそれは絶対に口に出してはならない言葉だった。
泡沢は苦虫を噛み潰すように、その場は堪えた。他の家ではインターホン越しに屈辱的な言葉を吐かれ全て放り出し自暴自棄な気持ちになる時だってあった。
そんな泡沢の様子を小川さんは一歩下がった場所で聞いていた。
「まぁ、当然の反応だよな」
「ですよね」
「このまま次のヤマが起きなければ、人員は削られ、捜査本部も縮小だな」
「起きたとしても今ですら何の進展もないのですから、縮小は当然でしょうし、打ち切りにだってなりかねません」
「チンポの旦那、そうなったらどうするよ?」
「どうするも何も、私はこの事件を解決する為に呼ばれた訳ですから、打ち切りになろうものなら、何処かに飛ばされるのは間違いないでしょう」
「へんぴな孤島の駐在署員をやってる姿が目に浮かぶぜ」
小川さんはいい笑った。
「それも致し方ないですが、考えようによっては有りかも知れませんね」
「その年で隠居生活にシフトとなりゃ刑事人生終わったも同然だ」
「まぁ。そうなります」
小川と泡沢の2人は真夏の暑さに辟易しながら再度、付近の聞き込みに向かった。それから数件、人の気配はあったが、居留守を使われ誰一人家から出てきてくれなかった。
2人は互いに首を振り小川の提案で緑が豊富な公園でアイスを食べる事にした。
ベンチにもたれ額から流れ落ちる汗もそのままに2人は無心でアイスに齧り付いた。
「くぅー頭がキンキンするぜ」
小川さんが指の腹でこめかみを押さえながら唸った。
「知覚過敏とのダブルと来た日にゃ、地獄の業火も可愛いもんだ」
地獄の業火の方がよっぽど苦しいと思うが、泡沢は何も言わなかった。
「ここ最近はめっきり夏らしさがなくなったよなぁ」
アイスの棒をゴミ袋に入れながら小川さんが言う。
「一体、いつからこんな世の中になっちまったんだ?」
「さぁ、どうなんでしょうね」
「俺の知ってる夏は、どの家も風鈴を吊るしてたもんさ。夜は窓を開けて団扇を扇ぎながら、一杯やるのが大人だった。ガキの頃はそんな親父の姿がカッコよく見えたもんだ」
てっきり猟奇殺人が起きている世の中の事を小川さんはいっているものだと思ったが、夏の事だったか。
「小川さんの親父さんって、どんな方なんですか?」
「ろくでもねぇ親父だったよ。呑む打つ買うの三拍子揃った男でおまけに酔えば母ちゃんに暴力を振るってよ。博打する為に生活費は家にいれず、母ちゃんの内職の金は盗むで、物心ついた頃からいつも死んでくれって願ってたよ」
「え、でもさっき親父さんの事カッコいいっておっしゃってましたよね?」
「そういう仕草だけは魅力的な男だったんだ。ついさっきぶん殴られた事も事も忘れちまってそんな風に思ったもんさ」
「男は背中で語るってやつですか」
「そんないいもんじゃねーけどな。だが、子供ながらに見惚れたよ」
「へぇ。私の父はサラリーマンだからですかね。父の姿に見惚れるような事は1度もなかったですね」
「それは、お前が親父さんを良く見てなかったからさ」
「そうですかね」
「あぁ。そうだ。親父の事が大好きなら、一度はそう感じる事があるもんだ。だとしても俺の親父はろくでもなかったから、もし今も生きていたら鰐男に殺しを依頼したかったくらいさ」
小川さんはそういい、ゲラゲラと笑った。
アイスを食べ終えると小川さんが一服つけたいと言い出し、喫煙所を探し、辺りをうろついた。スマホで検索するも見当たらず、何とか喫煙席のある喫茶店をみつけ、身体に溜まった熱を冷ます意味も含めそこへ入る事にした。
アイスコーヒーを2つ頼み、熱を帯びた身体が冷えかけた頃、いきなりテーブルの下にある足を蹴られた。
一瞬、小川さんが足を組み替えた時に当たったのだと思ったが、立て続けに蹴られたものだから、泡沢は両足を引っ込め、小川さんに問いかけた。
「さっきから何ですか?」
「左の奥張った角の席を見てみろ」
泡沢がそちらを振り向こうとした時、また足を蹴られた。
「お前本当に刑事か?向こうにバレるように見てどうすんだ。馬鹿野郎」
そう言われた泡沢は小川さんに言われた席をチラ見した。
「あの人が何か?」
「よく見てみろ。何か気付かないか?」
「いえ、さっぱり」
「ったく、チンポも役立たずなくせに、刑事としての本質的な部分も役立たずか」
「すいません」
「こ綺麗な格好で、化粧もしてるが、あのババア、鰐男を見たって証言したホームレスのババアだ」
「そうですか?私にはそうは見えないですが」
「間違いねぇよ」
「だとしても、それがどうかしましたか?」
「陸橋の下で小汚い格好してた人間が、どうしてあんなこ綺麗な格好が出来る?おまけに化粧までしてやがる。本来、本物のホームレスならこのクソ暑い季節は、臭くてたまったもんじゃねーだろ?」
「ええ」
「それが平然と喫茶店に入ってお茶しながら涼んでやがる」
「といいますと?」
「ホームレスは仮の姿じゃねーかって事さ」
「ですが、最近は支援団体もありますから、ひょっとしたら、何処かの施設に入る事が出来、何かしらの仕事を斡旋してもらえたのかも知れませんよ?服だってボランティアで頂いた物かも知れませんし」
「あぁ。それはあり得る。だが俺はそうは思わねーな」
「と、言いますと?」
「ひょっとしたら鰐男の共犯者じゃねーかと考えた」
「え?幾らなんでもそれは…」
「だが考えてもみろ。鰐のマスクをしていたのを見たのもそうだが、あのババアだけが唯一の目撃者なんだぞ?」
「それは単にホシが高い自尊心の欲求を満たす為だけにわざと姿を見せたのだと、小川さんも言ってたじゃないですか?」
「あぁ。そうだ。だがそれもここであのババアを見つけるまでの話だ」
「ですが、疑わしきは罰せずで無ければ権力の大暴になりかねません」
「罰せずじゃねぇ。疑わしきは罰せよだ」
小川さんは口角を上げニヤつきホームレスのお婆さんが店を出るまで待機するぞと小声で泡沢に囁いた。
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