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第四章 ④①
飛田が傷害で逮捕されたと知ったのは翌日の昼頃だった。筋トレの後、扇風機にあたっていた圭介はいつしか寝てしまい、その昼寝を小野夢子のLINE電話で叩き起こされた形となった。
圭介は最初、小野夢子が言っている事を理解するのに数分を要した。
「何でだよ?」
「こだまが妊娠したのは知ってるよね?」
「あぁ、知ってる」
「その彼氏がおろせって言ったから、こだまは別れたんだけど、飛田がその事にずっと頭に来てたみたいでさ。営業中にこだまの会社に立ち寄り、元彼を探し出して椅子で殴っちゃったのよ」
「マジか」
「うん」
「で、その元彼は大丈夫だったのか?」
「頭に2箇所裂傷を負ったくらいで、傷は深くないみたい。けど頭だからさ、血もいっぱい出て大騒ぎになったみたいよ」
「まぁ当然だろうな。大体、見知らぬ奴がいきなり部屋に入って来て椅子を振り上げながら暴れるだけでも大騒ぎになるのに、おまけに凶器を持って暴力振るったりしたら、周囲はとんでもなく騒然としただろうな」
「うん、そこにいた社員達は悲鳴を上げながら部屋の中を逃げ惑ってたって、こだまも言ってた」
小野夢子の話を聞きながらその時の光景を思い浮かべてみる。想像は容易かった。
「それで、こだまが飛田に落ち着くよう説得したらしいのだけど、アイツ全く聞かなくてさ。その間も飛田は室内を暴れ回りながら、こだまの上司はどいつだ!って怒鳴り続けていたようよ。誰もが飛田に怯えていたから、誰一人上司が誰かを言えずに、それにより腹を立てた飛田が他の女性社員を捕まえてこだまの上司が誰かを吐かせたんだって。で、逃げている社員の中から上司を見つけだすと、飛田はデスクに飛び乗り、そこを伝って上司の側まで駆けていき、デスクから飛び降りながら椅子を振り上げ頭を殴ったんだって」
「その上司もよく死ななかったな」
「ギリギリで避けたみたい」
「だろうな。そうでなきゃ普通は死ぬだろ。死なないにしても裂傷じゃ済まなかった筈だよ」
「運が良かったのかな」
「実際、こだまの友達としての立場からしたらその運も腹立たしく思うけど、けどそのお陰で飛田の刑も軽くなるんじゃないかな。ま、仕事はクビだろうがな」
「そうよね」
「傷害罪の刑期がどれくらいになるか知らないけど、和解金で済むように出来れば1番良いのだろうけど」
「うん。こだまも、そう言ってて、知り合いの弁護士に聞いてみるって言ってた」
「わかった。とりあえず新しい情報がわかったら又、連絡くれ」
小野夢子はうんとだけいい電話を切った。
圭介は舌打ちをして立ち上がると無意識に拳を握りしめていた。あの2回目の飲み会の後、斉藤こだまの上司を殺してやると決めていたのに、アルコールのせいでか、すっかり忘れてしまっていた。それが腹立たしくて圭介は自分自身に怒りを覚える程だった。
こだまの元彼は、元々はこだまに結婚を迫っていた。1回目の飲み会の時にこだまがそう話していた筈だ。だがこだま自身はまだ結婚は早い、その願望はまだないと感じていたらしく断ったと言った。斉藤こだま自身は35歳くらいまで結婚はしたくないと言っていたが、妊娠した事でその気持ちに変化が生じたのだろうか。それとも結婚も籍も入れずただ子供が欲しかっただけなのだろうか?
元彼としたら、結婚出来る最大の理由となるこだまの妊娠な筈なのに、どうしておろせなどと言い放ったのだろう?妊娠されたら困る理由でもあったのだろうか?もしくはそれでもこだまが頑なに結婚だけは嫌だといい、ならばおろした方がいいと言ったのかも知れない。だとしても、おろせと言い放つくらいなら何故避妊をしない?いや、妊娠をきっかけに結婚出来ると考え、あえて避妊はしなかったのか。どちらにせよ、真実は当事者の2人にしかわからない。だが、それによって自分の友達が未婚の母となる運命を背負う羽目になった。こだまの両親が手を差し伸べるとも考えられるが、だとしても今の時代に未婚の母はとても生きづらいのには変わりない。
それに時間も金も湯水のように失って行く。そうなればこだまは大きなストレスを抱え子供に八つ当たりをしないとも限らない。精神的に病んで育児放棄をする可能性だってある。そして最悪なシナリオはこだまが自分の子供を殺し、自ら命を絶つ事だった。
そのような世界線を想定してしまった圭介は結果論だけに着目しようと考えた。両者の言い分もあるだろうが、自分は斉藤こだまの友人であり味方だった。だから自ずと答えは出る。悪いのは元彼で、斉藤こだまを不幸へと突き落とそうとする奴は生かしておけない。
圭介は改めて都内で起こす殺人の始まりは、その男だと決めた。そいつ以外には有り得なかった。
1週間後、小野夢子から連絡が来た。
何とか和解金を支払う事で刑事事件にはならなくて済みそうだという話だった。
慰謝料は180万らしい。向こうがおろせと言った事が、金額を下げるのに助けとなったらしいが、圭介は思わずそんな金、払う必要はないと言いそうになった。何故ならこの1週間で男の住まいや会社、名前や家族構成まで調べ上げていて実行に移すのは1か月以内だと決めていたからだ。決めてから実行に移すにあたり、こんなに長い月日を要するのは初めてだったし、それには訳があった。
その訳とは、男の住まいが都内にあるからだ。
要するに都内では殺人を犯すのも、拉致をするのにも何かと目につきやすい場所だからだ。
防犯カメラの位置も未だ把握出来ていない。
だからこそ、圭介は男が都内から出るまで待ちたかった。都内でアリゲーターマンになり殺人を犯せば捜査の目も都内に向かわざる追えないと考えていたが、その考えは甘かったし、安易過ぎた。かと言ってラピッドに任せるつもりも無かった。
任せれば調査をしてくれるだろうが、逆に圭介も知らない真実に辿り着き、殺害は保留となるかも知れない。それも嫌だった。どんな理由があるにしろ、おろせと言った事は許せない。そんな男は生きている価値はないし、この先、他の女性も被害に遭う可能性だってあるのだ。だからこそ圭介はラピッドに頼む事はしなかった。
そのせいで自らを危険に晒す事になるかも知れない。不安なのか、怯えなのか、圭介の身体がいきなり武者震いした。
苦笑いを浮かべながら、圭介は机の引き出しを開けた。小ぶりな手斧とワニ皮のマスクを取り出す。どのタイミングで被れば良いかわからないし、それは斉藤こだまの元彼を襲う場所によって異なるだろうが、だが圭介は再びこれを被る事で新たな力を得られると信じていた。
一抹の不安は拭い去れないが、だとしてもアリゲーターマンはヒーローであり、ヒーローはどんな危険が待ち構えていようが、現れるものだ。だからこそのヒーローだ。そして微塵の疑いなく、アリゲーターマンは正義の味方だった。それが圭介にとっては、こだまを酷い目に遭わせたという理由以上に実行する意味合いは大きく、かつ最大の理由だった。
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