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第四章 ④②
飛田の起こした事件から慌ただしい1週間が過ぎ、その間、五月女マリヤの身体はかなりの回復が見られた。
正直、斉藤こだまの元彼の身辺調査にかまけて、面倒をみる時間も短縮されていた。
予備の酸素ボンベも3日目には無くなり、五月女マリヤは自力で呼吸をしなければならなかった。
圭介は五月女マリヤの為に新たな酸素ボンベを用意するつもりなどなく、死んだら死んだで運命だし、鰐の餌になるだけだと思っていた。
それに元々は殺される運命にあったのだから死ぬ事は五月女マリヤにとっては決定事項だった。
だが圭介の好奇心と気まぐれ、そして五月女マリヤの生命力の強さのせいか、彼女は酸素ボンベを使わなくとも自力で呼吸をし、依然として生きながらえていた。
その理由として考えられるとしたら、この一週間で五月女マリヤの食欲は増して来ていて、そのお陰で体力が回復し生きる力を呼び戻す助けとなったのだろう。
とは言っても未だゼリー状の栄養補給食には変わりないが、それを2つも食べるようになっていた。
ミネラルウォーターも口移しをしなくても飲むようになったが、ただ、まだ自力で持って飲む事は出来なかった。なので少量の排泄物は圭介が処理しなくてはならなかった。
真夏の暑さの為に排泄物の処理が遅れるとあっという間に小屋の中が糞尿で臭くなり、換気扇を回しっぱなしくらいでは臭いを取り除くのは不可能だった。
だから日に2回、朝夕の食事の際に、圭介は五月女マリヤの周りを掃除した。だがその間も頭の中は斉藤こだまの元彼の事で一杯だった。
吉高正文(よしたかまさふみ) それが元彼の名前だった。
都内のマンションで1人暮らしだが、3回の離婚歴があり、その3人の元妻にそれぞれ子供がいて、計4人もの子供がいた。
この情報を斉藤こだまが知っていたかは不明だが、恐らくは知らないだろうと圭介は考えていた。
何故なら、普通であればそのような過去があると知っていたら付き合うとは思えなかったからだ。
けれど恋愛とは不可思議なものというし、斉藤こだま本人ではないから、真実のほどはわかりかねた。
だから圭介は、今更、元彼の情報を斉藤こだまに話すつもりはなかった。何故ならそんな情報を調べた理由を突っ込まれるのがオチだからだ。
せめて付き合う前に相談されていたらどんな男か調べてやるよ、くらいの会話は出来ただろうが、今となっては全てが遅すぎる。だからこそこの情報は絶対に明かすつもりもなかった。
3人の元妻に対して4人の子供。一体、月々の養育費はどれくらい支払っているのだろう?その疑問は一週間そこらでは分かる筈もなかった。
もし、それなりに払っているとしたら、圭介が吉高正文を殺す事によって3人の元妻、そして子供へと養育費が行かなくなる。滞るではなく、完全にストップしてしまうのだ。
そうなれば、間接的に元妻や子供を苦しめる事になるわけだが、その一点が圭介の心に引っ掛かった。
それに斉藤こだまの元彼が3人の元妻と別れた理由が何なのかは知らないが、ひょっとした斉藤こだまの元彼が全て悪いとも限らない。悪いかも知れないが、今更それを知りたくもないし、調べる時間も勿体無かった。
子供達には申し訳ないがそんな父親を持った自分が不運だと思い、生きてもらうしかない。
圭介は今更ながら迷いが生じている自分に腹が立った。
これがラピッドからの依頼であれば、きっとこのように心が揺れ動く事はないのに……
仕事だと割り切れるからだ。そして周りを不幸へ落とすありとあらゆる情報を開示されるわけだから、絶対に迷いは生じない。これが組織としての仕事と個人的な仕事の差なのか、と圭介は感じた。
今まで犯した個人的な仕事で、このように感じた事は一度もなかった。それが今回ばかりは、私情が入り過ぎている。だからこその迷いだった。
斉藤こだまの元彼の行いのせいで、父親がいない子供が4人もいる。実際、それが不幸だとは限らないし、離婚してより幸せになっているかも知れない。
子供達も圭介が思う以上に、逞しく生きているかも知れない。圭介は余計な事を考えたらダメだと自らに言い聞かせた。
そして天日干しした毛布をタイルの床に敷いた。そこへ未だ裸のままの五月女マリヤを抱きかかえ横に寝かせるた。
そんな五月女マリヤの裸体を見ていると、圭介はふと五月女マリヤにも衣服を着せてやろうと思った。圭介はここに運び込んだ時に脱がし、ほったらかしにしていた五月女マリヤの下着や衣服を持ち小屋を出た。
洗濯している間、圭介は一旦、自室に戻って自分のTシャツと下着を取り出した。それを持ち小屋へと戻った。
五月女マリヤに衣服を着せた後で、圭介は氷枕を用意してやれば良かったなと思った。それを取りに戻る為に、背後から抱きしめていた体勢を解き、再び床に寝かせた。
その時、視線を感じた圭介は五月女マリヤの目を覗き込んだ。ここに運び込んだ時とは違い、その目には生きようとする力があった。圭介を見上げる眼力は明らかに強くなって来ている。華奢な身体の癖に気持ちは強いんだな。そう思ってゆっくりと立ちあがろうとしたその時、五月女マリヤは自らの力で圭介の腕を掴んだ。最初、その行為に驚いた圭介は無意識に筋肉が硬直したが、直ぐにそれも解れ、気づいたら五月女マリヤを抱きしめていた。
ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから。圭介は五月女マリヤの耳元でそう囁くと再び横に寝かせ小屋から出て行った。
氷枕を持って戻るとタオルに巻いて頭の下に敷いてやった。この暑さじゃさすがに扇風機だけでは熱中症になりかねない。正直、家に連れ帰ってあげたかったが、今はまだ昼間だった。昼間は人目につかないとも限らないので、圭介は夜になるまで待つ事にした。
午後、ラピッドからのメールを確認し、何もない事に圭介はホッとした。
今、仕事が入ると数日の間、五月女マリヤをほったらかしにしてしまう可能性があり、それだけは避けたいと思っていた。だから依頼がない事は圭介には好都合だった。
これで斉藤こだまの元彼の吉高正文殺害に集中出来る。決行日はまだ決めてないが、この1ヶ月の間の後半が良いだろうと圭介は考えていた。
その頃には今よりも全然、五月女マリヤの体力も回復しているだろうから。
そうなれば、気にせず昼や夜に出かけても心配も少なくなる。それに吉高正文をストーキングするには、相応の時間も取られてしまうからだ。
早く始末したい気持ちはあるが、早る気持ちは必ず失態に結びつく。おまけに吉高正文は都内住みなのだ。簡単に拉致る事も出来ないだろう。
通り魔的に犯行に及ぶ事も頭の隅で考えてはいる。
それが1番手っ取り早いともわかってはいる。
が、鰐達にも久しく肉を食わせてあげられていないという現状もあって、圭介は吉高正文の死体をここへ運び込む事にこだわっていたのだった。
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