第五章 ④⑦

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第五章 ④⑦

寮に戻りシャワーを浴びた。夕飯も食べずに書類の見直しをしていた為、今頃になってお腹が鳴り、異常な程の空腹感を覚えた。 風呂上がりにカップ麺2つに湯を注ぎクーラーで冷えた室内で貪るようにカップ麺を口に運んだ。 食後に温かいコーヒーを飲み、寝床につく。明かりを消して目を閉じると、ふとホームレスの老婆を見つけた喫茶店の事を思い出した。 そういえば、自分は1年中、コーヒーといえばホットしか飲まなかった。それがどうしてあの日は自然とアイスコーヒーを頼んだのだろう?暑かったからか?いや違う。 暑い時に熱い物を飲んだ方がその後で涼しく感じるのだ。だから自分は昔から夏でもコーヒーはホットにしていたのだ。 なのにどうして?気まぐれか?いや、にしては自然過ぎる。歳のせいだろうか?それはないとはいえないが、でも歳をとるほど返って冷たい物は避けるだろう?なら何が原因でそうしたのだろうか? 泡沢はそこまで考えて思わず笑ってしまった。笑いだすと止まらなくなり、夜の夜中に涙をこぼしながら馬鹿みたいに笑った。 捜査には全く関係のないくだらない事だが、笑った事で、泡沢の気持ちも少しだけ楽になった気がした。 発想の転換も大事だが、より自然体も大事なのだと気がつく事が出来た。自分はこうだとか、犯人はこうだとかの決めつけや経験からの先入観は捨てなければいけない。 そもそもこの犯人はそれに当てはまらないから、証拠や犯人に繋がる物さへ見つけられなかったのだろう。 ミミの時を思い出せ。自分のチンポは必ず悪人に反応するのだ。歳を取ったからってその力が衰えたわけじゃない。 「泡沢三四郎、自信を持て!」 泡沢は声に出してそう言うと、下着を脱ぎ捨てチンポに触れた。目を閉じると真っ先にチッチの裸が浮かんでくる。泡沢は自分を殺害しようとした人間にも関わらず、過去のチッチとの性的関係を思い出しながら、自分のチンポを愛撫した。 翌日、自分が感じた発想の転換の事を小川さんに話した。だが小川さんはやるなら1人でやれと泡沢の提案を突っぱねた。 子供みたいな小川さんの態度に流石の泡沢も呆れたが、泡沢は素直にそれに従う事にした。 良い方に捉えれば、1人の方が集中出来るし横槍を入れられなくて済むのだ。 「おい、チンポさんよ。行くのはテメーの勝手だが、第1の事件から既に半年も過ぎてんだ。現場に入れたとしても、とっくに整理されてるだろうからお前さんの考えるような物は無くなってるぜ」 そう言われて、初めてそうだなと思った。だがそれを認めたくなくて泡沢は 「そんな事百も承知ですよ」 「そうか。なら良いがな」 「はい。ですがご忠告ありがとうございました」 泡沢は小川に深々と頭を下げて部署から出て行った。 9月になったというの未だに外は陽射しが強く非常に暑かった。 ラストスパートをかけた蝉も煩わしい程鳴いている。 だが泡沢は目的をしっかり持っていた。行く場所は決めてある。自分が拉致され、殺されかけたあの倉庫だ。 スナック天使のママの自宅も考えたが、あのマンションは所轄の担当だ。1人で偉そうに出張って行くわけにはいかない。それにそれこそ小川さんじゃないが既にリフォーム会社が入っている可能性がある。 殺人現場となるとマンション自体の印象も悪くなるので管理会社や不動産屋も素早く対処し、何も無かったかのように空室として売り出すなり賃貸なりさせたい筈だ。 となれば自然、行く場所は決まってしまうわけだ。あの倉庫なら新たな会社が借りでもしない限り廃倉庫のままの筈。泡沢の足は軽やかだった。泡沢は県警の車を借りて倉庫街へと向かった。 自分が拉致されていた倉庫街の一角にある廃倉庫のNo.は38だった。正直、拉致された時は目隠しされていたし、救急車で運び出される時は意識不明だった為、倉庫街というのがどんな物なのか、そしてその印象も全く無かった。 何となくはイメージ出来るが、倉庫街という場所に行くという人生を泡沢は送った事がない。配送業の人間、及び、倉庫を借りるような企業にでも勤めてない限り縁のない場所だ。 泡沢はナビに従って車を走らせた。 倉庫街の入り口で待機している警備員に、警察手帳を見せNo.39の倉庫に用事があると伝えた。その倉庫はまだ借りてがいない為、入るには警備会社の立会人が必要だと言った。泡沢は了承し、施錠を開けてもらう事をお願いした。 入庫者記載帳に名前、車のナンバー、そして備考欄に用向を書きこむ。それを警備員に渡すと、車を駐車する場所を教えてくれた。 「駐車場からNo.39までは遠いですが、徒歩でお願いします。あ、後、それと入り口で待ってて下さい。うちの警備員を向かわせますから」 泡沢は頷き、車に乗って指定の駐車場へと向かった。 大型トラックが出入りする中、泡沢は歩行者専用と書かれてある通路を進む。慌ただしく行き来するトラックの騒音に思わず耳を塞いだ。 No.39の倉庫の入り口に着くと、既に警備員が待機していた。側には自転車が停めてある。 泡沢は、警備員も歩いて来るのだろうと思っていたが、それはそうだよなと思った。これだけの敷地の広さだ。歩きなどではやってられないだろう。 泡沢は警備員と軽く会釈を交わした。 「こちらへどうぞ」 腰の低い態度で警備員はそう言った。見る感じ年齢は30歳手前くらいだろうか。衣服から出ている肌は真っ黒に日焼けしている。警備員は倉庫の端を指差しそちらへと向かって歩き出した。正面のシャッター前を過ぎ僅か6段しかない階段を上る。そこに小さなドアがあり、警備員を先頭にして中へ入って行った。 警備員は懐中電灯をつけ倉庫の灯りを探す。 蛍光灯が明滅し、一気に倉庫内が明るくなった。 「シャッターを開ければ良いのですが、あんな事件の後ですからね。興味本位で中に入ってこようとする人達もいるんですよ。全く迷惑な話です」 「まぁ、殺害現場ですからね。その気持ちもわからないでもないです」 泡沢はその警備員に殺害場所を尋ねた。 「そこのパレットが積み重なっている場所があるじゃないですか?そちらを左に曲がって行った付近です」 警備員は泡沢の顔を見ながらそちらを指差した。 「貴方は興味がないのですか?」 「僕、ですか?」 「ええ」 「ないですないです」 「そうなんですね」 「2人の女性の刺殺死体を見なければ、興味があったかも知れませんが…」 「という事は貴方が第1発見者ですか?」 「いえ、私じゃないです。当日の私は体調を崩して代わりに私の後輩に出て貰ったんです。ですから第1発見者はその後輩なんですが、不謹慎な話、そいつ、死体の写メを撮ってまして、私に送って来たんですよ。それを見て凄く嫌な気持ちになりまして…近寄るのも嫌なんです」 「ちなみにその後輩の方は今いらっしゃいますか?」 殺害現場の写真を撮るなんて、どういう神経をしてるのだ。下手すると既にネットに流されているかも知れない。そうなれば手遅れだが、まだなっていないのであれば削除させたかった。 だがそんな写真を撮るような人間だ。スマホからとっくにデータを移し替えしている可能性もある。が一応は確かめたかった。 「先週、退職届けを出して辞めました」 「辞めた?」 「ええ」 「本来、退職届けを出してもしばらくは出勤するのが普通でしょう?」 「そうなんですが、そいつはもう来たくないと突っぱねて、翌日から出勤しなくなったんです」 「連絡は?」 「着信拒否なのか、電源を切っているのかわかりませんが、退職届けを出した翌日から全く連絡がつかないんです」 「そうですか…わかりました」 泡沢は警備員に頭を下げた。 「終わりましたらそこの内線電話があるので、それを使って連絡下さい。そしたら、私が閉めに来ますので」 「わかりました」 泡沢の言葉に警備員は帽子の鍔を摘み頭を下げ倉庫内から出て行った。
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