第二章 ⑨

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第二章 ⑨

シネマート新宿でサイコスリラーの映画を見終えた圭介は、荷物になる事を承知で物販販売店所でパンフレットとTシャツを購入した。 劇場入り口前を通過してトイレに行き、買ったばかりのTシャツの袋を開ける。 着ていた薄手のジップアップを脱ぎ、下に着ていたTシャツも脱いだ。 買ったTシャツに着替え鏡に映る自分を眺めた。 幼稚っぽさのある映画の主人公キャラの絵柄がプリントされているTシャツを着ている自分は、何処となく滑稽に見えた。 圭介は含み笑いを浮かべながらしばらく鏡に映る自分を見つめていた。手を洗いながら、たまにはギャップもいいなと思った。 普段このようなTシャツを外で着る事はないが、それについては全く抵抗を感じなかった。 着て来たTシャツはパンフレットが入れてある袋に押し込んだ。そしてジップアップを羽織った。多少、荷物にはなるが、気になる程でもない。 仲野部圭介はスマホを取り出し時間を確認した。約束の時間までまだ1時間近くあった。 新宿の街を散歩でもしながら時間を潰そうと思いトイレを出た。一階に降りるエレベーターの前で足を止める。 トイレで時間を潰したお陰で、それなりに入っていた観客達の姿はほとんどなかった。 次に上映される映画を待っている客達が物販コーナーの周りに集まって何やら話し込んでいた。 到着を知らせる音がなりエレベーターのドアが開いた。乗り込もうとしたその時、背後からいきなり腕にぶつかられた。ぶつかって来た奴はカップルで謝りもせず、抱き合いながら大声で圭介が観た映画の内容について話していた。 カップルは四隅に行き、見つめ合いキスをし始めた。元々低知能なのだろう。女の方が笑いだすと男の方も笑い出した。圭介は一階のボタンを押しドアが閉まるのを待った。 エレベーターが動き出すと圭介は黙ったままカップルの方へ振り返った。女は四隅に背中を預け男は女が逃げられ無いように前に立ちながらクスクスと笑っていた。 圭介は階数を示すボタンのある壁の隅に荷物を置いた。そして振り返りカップルの方へと近づくといきなり女の顔面に拳を見舞った。 くぐもった声と同時に女の鼻から血が流れ出す。それを見た男は、自分の彼女がいきなり鼻血だし、膝から崩れ落ちる姿に、一体、今、何が起こったのかわかっていないようだった。 圭介は即座に男の髪の毛を鷲掴み、喉仏へ拳を打ち込んだ。素早く4発入れた後、腹部へ膝蹴りを見舞った。 蹲る男の顔面を2度3度と踏みつけた後、両脚を投げ出し顔を押さえ泣いている女の顔に向かって、振り上げた脚で爪先蹴りを食らわした。 顔を押さえていた手の甲の骨が折れた感触が爪先を通じて伝わって来た。 ひょっとしたら歯も数本、折れたかも知れない。 圭介は鼻から息を吐いてエレベーターのボタンの側へと戻った。 置いておいた荷物を拾い上げると同時に一階に着いた事を知らせる音が鳴り、その後に扉が開いた。扉の向こうには誰も待っていなかった。圭介は閉ボタンを押しながらエレベーターから颯爽と降りていった。 頻繁に都内へ出る事はないが、たまにこういう目に遭うとせっかく楽しい気分が台無しになる。 おまけにこれから旧友と会うのだ。全く迷惑なカップルだと圭介は思った。 都内の事は余り知らないが、さして道に迷う程でもない。Googleナビを開けば簡単だからだ。 だからといって今日待ち合わせしている場所は西武新宿駅近くの居酒屋なので、ナビを使うまでもない。 その店は斉藤こだまが大学生時代の4年間ずっとそこでバイトをしていた店らしい。 幹事でもある斉藤こだまは、店を探すよりも手っ取り早く場所を決めたかったのだろう。 それに昔バイトをしていたのなら、割引きやサービスを受けられるかもとそんな下心を斉藤こだまは出したのかも知れない。 圭介は余った時間を費やす為に伊勢丹に入り、店内を見て回った。 数多のいらっしゃいませの声を置き去りにしながら、圭介はワンフロアを一周するとエスカレーターに乗り、また次のフロアを一周したら又、エスカレーターに乗り最上階まで向かった。 着くとその足で下りのエスカレーターに乗った。 そう言えば数年前、何処かの高校生数名が、下りエスカレーターの上から買い物カートを落とし、それを撮影しSNSにアップするという事件があった。 確か怪我人などは出なかったと記憶しているが、その後その生徒がどうなったのかは圭介は知らなかった。 だが恐らく今頃はそれをネタに馬鹿笑いなどをしているのだろう。罪を犯す人間なんて所詮はそんなものだ。 自分がした事について心から反省する人間なんてものは、滅多にいない。だから自分達のような人間が、会社がこの世の中に必要になるのだ。 さっきのカップルだってそうだ。きっとこれまでも、他人に迷惑がかかるような行為をして来ただろう。 そんな奴等が自分に殺されなかっただけでも運が良いのだ。 正直、そんな奴等の命の価値なんてものは無い。生きていても迷惑なだけだ。だが辛うじてあのカップルは運が良かった。これを機にちゃんとした人になる事を願いながら、圭介は伊勢丹を後にした。 その足で紀伊國屋に向かう。2階に上がりフロアに並べられた新刊から文庫本を眺めて行く。 新しい本の匂いは嫌いではなかった。むしろ好きな方だ。圭介はデジタルより紙派の方だった。 とは言え、ここ数年、本自体、読んでいない。いや数年どころか高校卒業以来読んでいなかった。3年の夏休み中にミステリー小説が大好きな長谷から勧められた本を数冊読んだ程度で、それ以来、小説からは遠ざかっていた。 理由はない。大学生になり半年で別れたが恋人も3人ほど出来たせいかも知れない。恋人に自分の時間を取られたとは言いたくはないが、それはあながち間違いでもなかった。 大学4年間の間で3人の女と付き合ったのは、多いのか少ないのかわからないが、3人が3人とも腹部を切り裂き内臓にペニスを挿入したいとは感じられなかった。 理由として考えられるのは自分が少しずつ大人になっていっていたと言う事と、3人ともペットのようだったのが要因だろう。 余りに圭介に従順過ぎたせいで、圭介自身が飽きてしまったのだ。なのに何故か、3人とも向こうから別れを告げて来た。悲しくも寂しくもなかった。 だから直ぐに現実を受け止め、連絡先などもその場で削除した。それを見た1人の女は圭介のドライ過ぎる行為に泣き出した。 だが圭介は何故、別れを告げた本人が泣くのかがわからなかった。そんな事に時間を取られていたという事もあり、本からは随分と遠ざかっていたのだった。 圭介は新刊から文庫棚をぐるりと見て周り、数冊を手に取りレジへと向かった。 この時、既に荷物になるからという考えは圭介の中から完全に無くなっていた。 目についたタイトルを適当に取っただけなので面白いか、どうかについてはわからなかった。 実際、どのような小説も一定の面白さがあるのは間違いない。ただ読み手側の好みや趣味、体調により、それらは時としてつまらない小説、くだらない小説として読み手側に分類されてしまう。 それは何も小説に限った事ではなく、映画や音楽も同じだろう。この世の全ての小説を読んだ人間も音楽を聴いた人間も全世界の映画を漏らさず観た人がいないように、物事は全て受け手に委ねられるのだ。 先入観を取っ払ってとよく言うが、個人という存在がある限り、それはほぼ不可能に近い。だから圭介はこれらの本が面白かろうがつまらない物であろうが、結局は自分次第という事をわかっているが故に適当に選ぶ事に迷いはしないのだった。 ブックカバーは断り、レジ袋をお願いし会計を済ませた。紀伊國屋を出て西武新宿駅方面へと足を向けた。 夕方という事もあってか歌舞伎町へ向かう人達でごった返していた。夜の仕事の女性達が派手な化粧と衣装を身に纏い颯爽と歩いて行く。中には同伴出勤らしい2人組も多くいた。 そんな姿を遠目で眺めながら圭介は思った。この中にも多くの生きる価値のない人間がいるのだろう。 だがそれらの中には今後ラピッドから自分へ依頼される奴が出てくるかも知れないと思うと圭介は笑わずにはいられなかった。信号待ちをしながら必死に笑いを堪えるが我慢出来ず、声を出して笑ってしまった。 「いきなり笑いだして、ヤバい奴かよ」 肩を叩かれ振り返るとそこにはスーツを着た飛田が立っていた。 「あ、悪い悪い、つい思い出し笑いしてさ」 「どんな事を思い出したらそこまで笑えるんだよ」 飛田はネクタイを緩めながらそう言った。 「3人で馬鹿みたいに遊んでた頃の事だよ」 「まぁ、確かに笑えはする事が多かったからな」 ネクタイを外しスーツのポケットに押し込むと飛田は圭介の背中をを押して 「青だぞ」 と言った。 2人は信号を渡り、居酒屋の方へと向かって行った。
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