第八章 ⑨⓪

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第八章 ⑨⓪

育児放棄。マリヤの口から両親がマリヤに興味を持っていなかったみたいだと耳にした時、最初にその言葉が頭に浮かんだ。 もしそれが真実だとしたら、吉田萌のお婆ちゃんの家にマリヤが入り浸っていても何ら不思議じゃない。両親の愛情を受けられなかったのなら、例えその相手が見知らぬ他人であろうと近所のお兄さんであろうと隣の家のお婆ちゃんであろうと幼い子供にとって自身へ愛情を注いでくれる人間であれば血の繋がりなど関係なかったのだろう。どうでも良かったに違いない。 吉田萌のお婆ちゃんからどのような愛情をマリヤが受けたが知らないが、もし吉田萌の話が本当だとしたら、何故、マリヤはお婆ちゃんを殺さなければならなかったのだろうか。吉田萌がそう言ってるだけで、あくまでその可能性があるという仮定に基づいての話だ。当然、そのような証拠はない。けれど死を与えてあげる事がマリヤの愛情だとしたら?そうお婆ちゃんが望んでいたとしたらどうだろうか?真実は2人にしかわからないし、そしてその1人は既に殺害されてしまっている。 この世界でマリヤのみが真相を知っているが、幼い子供の頃のマリヤが、自ら死を与える事を理解しているとは考え難かった。 確かに小さな頃は虫などを捕まえ飼ったは良いがほったらかしにし、死んでしまう事は子供あるあるだが、正直、そんな時の反応としては全くと言っていいほど、悲しみはない。 ただ、 「あ、死んでる。死んじゃってるじゃん」 程度のものだ。 だが虫と人間とでは大きく違っている。白石萌のお婆ちゃんに殺害を頼まれたとしても、マリヤには理解が出来なかっただろう。 決めつけは良くないが、それが子供というものだと圭介は捉えていた。世界的なシリアルキラーの幼少期の殆どが両親から性的虐待を受けていたり、成長するにつれて小動物からやがて人へと殺害の対象が変わって行く事が殆どのパターンだ。幼少期にいきなり殺人というのは滅多にない。いても大人の警察を騙せるほどの嘘や証拠を隠滅し逃れた者は先ずいないのではないだろうか。 だが真実だとすればマリヤはそれをやってのけた事になる。それが吉田萌の答えだった。 だからこそ、萌は五月女マリヤの殺害を実行に移した。主だった要因は知らないが、ほぼ吉田萌の個人的恨みによる犯行がその要因を占めていると思われた。 だが、不思議な事にマリヤは死ななかった。マリヤは処理したとラピッドに報告は上げてあるが、実際にはマリヤは生きており、そして圭介のターゲットの内の1人の女をその手で殺害した。殺される側から殺す側へとマリヤは自ら進んで変貌を遂げたのだ。 見ている側からすれば、マリヤのそれは圭介と同じように、生活の一部としての殺人のようにも感じられた。 人の事は言えないが、殺害に至るまでの人間的な感情がマリヤには欠如しているのかも知れない。 誰かを守るため、怒りを抑えきれず衝動的に手を下してしまった、そのような心理的な大義名分が無いように思えるのだ。 ここから追い出されると、自分の命が危ない。殺されるくらいなら、言われた通りに他人を殺せばいい。自分が生きるにはそれしかないのだから……この殺人へ至るある種の思想は最終的には、その本人を殺人へと向かわせた首謀者へ向かうのが常だ。殺人を手伝い、自らも行い、信頼させ、最後には首謀者を殺す。映画みたいな話だが、実際にそのような事は起こっている。 だが、マリヤからはその感情は感じられなかった。家の中では自由きままで、わがまま放題だ。圭介に付き従っているなんて事は微塵も見受けられなかった。 おまけにマリヤは自身をキャラクター付けしてもいる。身体が不自由な未亡人と。その為のゴスロリ衣装も既に数着は買い込んでいた。今は新たな殺人の欲求はないのか、マリヤは一日中スマホゲームに夢中になっている。だが、瞳に膜が張り出した今のマリヤは明らかに変わろうと、いや、変わっていく過程の段階に足を踏み入れていた。 食べ終えたカップ焼きそばを片付け、しばらくの間、ソファで抱き合った。直ぐにマリヤは寝息を立て、気持ち良さげに眠り出した。 しばらくすると電話が鳴り、圭介はマリヤを起こさぬようそっと抱き上げ、ソファから抜け出した。クッションを頭の下に敷いてマリヤを横にした。 電話は母親からだった。今は四国にいるらしい。うどんにハマったらしく毎日食べているそうだ。父親はそんな母親に呆れて、しばらくはうどんはいい。見たくもないよと笑っていた。 互いに互いの体調の事を気にかけながら、父親と軽く仕事の話をした。 「お父さん、英永剛って名前に聞き覚えある?」 そういった後で、お母さんに聞かれて大丈夫?と尋ねると父親は、母さんは今、温泉に入りに行ったから大丈夫だと言った。 「はなぶさ?はなぶさ……えいごう……はな……聞いた事あるような気はするが、そいつがどうかしたのか?」 圭介は事の成り行きを父親に話した。 「ペースト状にだと?」 「うん。あり得ないよね」 「そうだな」 「いつからそのような手口になったかは知らないけど、昔は轢死を専門としていたみたいなんだ」 「車で轢き殺すあれか?」 「うん。跳ねるだけでなく、何度も轢くらしいんだ」 「確かに父さんの若い頃にそういう手口を使う奴がいるってのは聞いた事がある」 「本当?」 「あぁ。間違いない。その当時も殺害した人間を処理人に渡さず、そいつの身内に送り届けたり、家の玄関に捨て置いたりする変なシェフがいるって少しばかり噂になった筈だ」 「そいつが今、何処にいるか父さんの知り合いに聞いて貰えないかな?」 「聞いてどうする?」 「会ってみたいんだ」 「やめとけ。そもそもシェフ同士は反りが合わない。互いに殺しのプロだからだ。殺害方法にプライドを持っている。それにラピッドがシェフ同士が会うと知れば黙ってはないと思うぞ」 「それはわかってる。わかってるからこそ、秘密裏に会ってみたいんだ」 「それほど興味をそそられた、という訳か」 「うん。人間をあんな状態にするまでどれくらいの時間と労力が必要なんだろう?って考えたら、ゾッとしてさ。その秘訣や忍耐力を直接、本人から聞いてみたいというのが本音」 「そうか。わかった。とりあえず父さんが出来る事はやってやる。昔の知人に聞けば何か知ってるかも知れないからな。だが圭介、これだけは肝に命じておくんだぞ?相手はお前と同じシェフだ。つまり、その場で殺し合いになる可能性もあるって事だ。だからもし、会うような事があれば、必ず、いつでもそいつを殺せる準備をしてからにするんだぞ。いいな?」 「わかった。そうするよ」 圭介は言った。 「又、連絡する」 父親はいい、電話を切った。
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