第八章 ⑨④

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第八章 ⑨④

父親との電話ですっかり目が冴えた圭介は、仕方なしに映画でも観る事にした。 頭の中は英永剛の事で一杯だったがそういう事に集中してしまうと首が重くなり頭痛が始まる。 だからそれを防ぐ方法として圭介が行っているのは視覚や聴覚からは別な何かを取り込む事だった。 そうする事で頭の中の考えに集中しても、頭痛が起こるような事は滅多になかった。 何か考え事をしたりするような時は、いつからかこのような事をするようになっていた。 たまに忘れる事もあるが長時間でなければ意外と平気な時もあった。圭介は床に胡座を組んで頭を下げた。 手を伸ばしTV台の下にあるラックの中を漁った。決して少なくないDVDやBlu-rayの中でもTV台の下に入れてある物は圭介の選りすぐりの作品ばかりだった。 あくまで個人的にだが、大好きな物ばかりを厳選してある。 やはり今観るとするならば、この一本しかなかった。 「アングスト」だ。ドイツで実際に起きた殺人事件を元に犯人目線にだけ集中し作られた映画だった。 公開当時は世界各国で上映禁止になるほど、曰く付きの作品だという。その映画が数年前にリバイバル上映されると知って圭介は喜んだものだった。 現代においてその内容は決して、重くはないが公開当初は、殺人を犯す一人称の映像はとても生々しくおぞましいものだと感じられ上映禁止になったようだ。 圭介はそのアングストを鑑賞しながら英永剛の事を考えた。身体的イメージではこのアングストの主人公の殺人鬼とはかけ離れているが、だが、殺害した死体の処理の為に奔走する姿は、英永剛の、つまり、父から聞いた鉄アレイの握り手部分を使って顔面を潰そうとする英永剛のイメージとピッタリだった。 あちこちに気が散りあたふたする姿は確かに一致する。だが、それは父親がまだ若い頃の話であり、それは英自身も若いという事の証だった。 それが今では熟練度が増して、人体をペースト状になるまで潰す程、その破壊にこだわりを持っている。殺されてしまった後では英のこだわりはわからないが、奴は先ずどの部分から、どのように人体を壊して行くのだろうか。 やはり身体を6部位に切断してから始めるのだろか。このように想像するのは楽しい事だった。 決して関わりたくはないタイプだが、それ以上にそのこだわりと人間性には興味がそそられる。同じ漂白者としても、英永剛がどうやってターゲットを殺害するのか?という事も気になる所だった。使用する武器は何だ?等、決行日には何か食べる物は決まっているのか?とかまるでファンか何かのように考えてしまうが、実際には圭介にも想像出来ない何かを、英永剛は他人を惹きつける何かを、持ち合わせているのかも知れない。 正直、この情報は吉田萌に話すつもりはなかった。話た所で、吉田萌が英永剛殺害の計画を止めるとも思えなかった。と、そこまで考えてある疑問が頭を掠めた。 萌は中学2年生の時、英永剛に両親を殺されたと言っていた。事実かそうでないかはこの際置いておいて、そうなるとそれは今から何年の前の話だ?英永剛は確か50歳後半だった筈だ。なら萌は幾つだ?見た目は20歳そこそこに見えたが、それが正しいとなれば、10年前までは英永剛は轢死専門でやっていたという事になる。 つまり圭介が中学生の頃って事だ。つい最近じゃないか。現代においてそのような手口を使って目撃者無しではいられるとは思えない。おまけに死体を捨て置くんだぞ?父親からの話も含めればとても10年前だなんて思えなかった。あり得なかった。そうなれば自然と萌の年齢がもっと高いと言う事になって来る。 英が、ラピッドの漂白者と接触したのが幾つの時かは知らないが恐らくは20年以上前の話しだ。となれば吉田萌は30半ばから後半にかけての年齢と言う事になる。その時代であればまだ、轢死体を捨て置く事件が起きていても何ら不思議じゃない気がした。勝手な想像だが、圭介はそれで納得がいった。 吉田萌って意外と歳を取ってんだな、と映画を観ながら圭介は思った。なるほど。そうか。マリヤと吉田萌の立場を逆転させれば吉田萌の姿も見えて来るじゃないか。 マリヤのように年齢が若ければ若いほど殺傷能力の高い武器を選びがちだ。だが吉田萌はどうだ?筋弛緩剤の投与だ。それを殺害方法として使用しているのであれば、やり方はやはりターゲットの寝込みを襲うのが一番だろう。それなら特別な体力はいらないし、身体能力を高める必要もない。相手の反撃をくらう恐れも限りなく低い。 つまり吉田茂は派手な武器を使用するには年齢的にもキツいのかもしれない。それに萌はこうも言っていた。 仕事柄、薬品は手に入れ易いと。 つまり吉田萌は看護師をしていて、ある程度、立場がある人間だ。そうでなければ比較的簡単に薬品は手に入れられない筈だ。ベテラン看護師、か。そんな吉田萌が英永剛を殺すだと?恐らく無理ではないかと圭介は思ったが、例えば日中に英永剛の後をつけ信号待ち等で背後に位置どり、注射を打ち込む。出来ない話ではないが、圭介はそれでもやっぱり無理だと思った。英永剛はそういう所は案外、抜け目がない男のような気がしたからだった。 釣りに出掛ける4時過ぎまで起きていようと思ったが、真っ暗な部屋の中で映画を観ていると少しずつ睡魔が襲って来た。ソファに横になり天井を見上げる。音声だけ聴きながら目を閉じた。 英永剛はラピッドからの依頼以外に、普段は別の仕事をしていると聞いた。確か静岡に死体を受け取りに行った時に聞いたのではなかったか。記憶違いかも知れないが、何にしろ、英永剛は自分と違って、社会に溶け込んでいるという事だ。 映画の中では良くある話だ。人望に厚く情熱的で女性からの人気もあり、仕事仲間から絶大な信頼を得ており社会的地位もある。が、それは裏の顔で表の顔は社会の混乱を招いている恐怖の殺人鬼、みたいな話だ。 英永剛がこの手のタイプだとは思えないが、仕事をしているなら周囲からは不審がられる事はない。 どう言った理由で昼間は社会に出てごく普通の生活を送っているのかは知らないが、そのような人間であるなら吉田萌が近づけるチャンスは大いにある。 圭介はそこまで考えて、馬鹿だなと呟いた。 吉田萌が英永剛を殺したいなら勝手にすればいいだけの話だ。手助けする義理もない。 英永剛自体に興味はあるが、2人が同時に殺し合って2人共死ねば、その分こちらに仕事の依頼が回ってくる回数が増えるだけの事だ。どんな仕事もそうだが、休み過ぎるのは良くない。 いざと言う時に身体がついていかなかったり、その他の感覚も鈍ってしまうからだ。幾ら筋トレをし、シュミレートしていても生身の人間を相手にした時とはまるっきり違って来る。それがズレだ。ズレ幅が大きければ大きい殆どミスが出る。失敗する可能性のリスクも上がっていくわけだ。 第6の殺人は例の刑事の事もあり、しばらく先延ばしにするつもりだったが、やはり準備だけはしておくべきか。圭介はこの半年で自ら下した殺人を一つ一つ思い返しながらゆっくりと眠りについていった。
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