第八章 ⑨⑧

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第八章 ⑨⑧

午前中の授業が終わると永剛は図書室にも寄らずまっすぐ家に帰った。鞄を押し入れに入れ、制服をハンガーにかける。ランニングシャツとブリーフを脱ぎ、バケツに水を入れ石鹸で泡立てた。 それを置いて永剛は裸の上から父が生きていた頃に着ていた黄色のトレーナーとジーンズを履いて家を出た。 永剛の私服の全ては、全部父のお下がりだった。サイズ的にはまだかなり大きかったが、袖や裾を折り曲げれば何とかなった。 父が居なくなっても、何故、母は服を捨てずに取っているのか不思議だったが、つまりはこういう事なのだ。 永剛が大きくなってから着る服を買わないで済むように母は残しておいたのだろう。それとは別に殺してしまった罪悪感か、もしくは寂しさから捨てられなかったのかも知れない。 何にしても母の気持ちなんて永剛には関係なかった。外出時に着る服があるだけ良かった。休みの日まで制服を着て外出はしたくないし、そんな姿を誰かに見られたくなかった。見られたら、間違いなく月曜日の朝には、クラス中に噂が広まるからだ。だからどんな服だろうが制服でなければ良かった。 家を出る時、永剛はウシガエルを捕まえた時に入れる物がないと気づき、一旦、引き返した。 それらしい入れ物がなかったので、数日、洗っていない蓋付き鍋を持って行く事にした。流し台の中に置きっぱなしの鍋の中には普段と変わらずゴキブリが集まっていた。珍しく母が作ってくれたカレーの残り滓にゴキブリ達が吸い寄せられた気もするが、永剛は蛇口を捻り鍋の中に水を入れ、ゴキブリ達を追い出した。 そして蓋も水洗いしてから家を出た。 蓋付き鍋を手に持って歩くというのは意外と疲れるものだった。袋に入れて来ればよかったと今更ながらに後悔する。自転車ならば引き返すのも楽だろうけど、生憎、永剛は徒歩だった。引き返すくらいなら少しでも前へ、河川へと向かった方がいい。そしてウシガエルを捕まえるのだ。 河川につくと背の高い緑の雑草が随分と生い茂っていた。永剛は土手をおり草むらを掻き分け中に入って行った。が、中に入って直ぐに気がついた。こうも草が生い茂っていたらとてもじゃないが、カエルがいたとしても気付けやしない。 そんな風に思いながら地面に目を向けたまた進んで行くと、いきなりぬかるみに足を取られ転んでしまった。 尻と手についた泥を払いながら起き上がる。転んだ拍子に落とした鍋を拾おうとした時、一匹のウシガエルを見つけた。そっと手を伸ばし顔を近づける。だがウシガエルは逃げもしなかった。 永剛は難なくカエルを一匹捕まえる事が出来た。鍋の中に入れ蓋を閉める。恐らく今の時期は水辺に近いぬかるんだ所に生息しているのかも知れない。生態を調べたわけじゃないから正しいかわからないが、一匹いたのだから、当たらずとも遠からずじゃないだろうか。 永剛は鍋を持ちながら水辺に近いぬかるんだ場所を歩き、時には土を掘り返してみた。結果そこそこ大きなウシガエルを5匹捕まえる事が出来た。 これだけいれば、先生も自分達にカエルの解剖をさせてくれるかも知れない。永剛は次の理科の時間が楽しみだなと思った。 家に帰ると泥のついたジーンズを洗い、つけ置きしておいたブリーフとランニングシャツを洗って干した。そして鍋を押し入れの中に入れた。カエルが飛び跳ね蓋を開けようとするので空気が入る程度に、蓋をずらして置いてから四方にガムテープを貼り付けた。これで逃げ出す事はない筈だ。 その後にお風呂に入り、母が帰宅して来るまで宿題を済ませ、今日の授業の復習をした。 続けて独自で教科書を読み進めながら、遠藤冴子はちゃんと本を返してくれただろうか?と思った。 まぁあの女の事だ。僕の悪口でも言いながら返却したに違いない。むしろ新品の文庫本が新たに図書室に加わるのだから感謝して欲しいくらいだ。だからと言って大量の本を寄贈したわけではないから別に嬉しくはないが、ただ今後、その本が万引きされた物だと知らず借りて行く人間がいる事を思うと永剛の表情が緩んだ。 そういう奴らは自分と同罪だと永剛は思った。例え知らずとも盗まれた本の内容を全て読む事が出来るのだ。それは万引きと何ら変わらない。だから川へ沈むが読む事が出来るのは自分が万引きをしたお陰なのだ。例えそれが本じゃなくてもゲームだろうと小物だろうと同じ事だ。共有した時点でそいつらの罪は確定する。実行犯ではないにしろ、心に黒い濁点が刻まれるのだ。だって知らなかったで済めばこの世界に罪人など居なくなる筈だから。殴ったら痛いとは知らなかった。刃物で首をついたら、人は死ぬなんて知らなかった……知らなかった……知らなかった…… 何て惨めで利己的な言葉だろう。永剛は自分の知らない所で、これから同じ罪を背負った人間が増えていく事に笑顔を抑えられなかった。 ウシガエルが何を好物としているか分からなかった永剛はとりあえずゴキブリを数匹捕まえて鍋の中に入れてやった。一匹は直ぐ食われ、残りの数匹は鍋の底を這いずり回ったりウシガエルの体に登ったりしていた。一匹食われた事でゴキブリも餌になる事を知った永剛は、少しホッとした。2、3日餌をやらなくても死にはしないだろが、それでも万が一を思っての餌やり嫌だった。どうせ解剖するなら生きたままのウシガエルの腹を切り裂いてみたい。ウシガエルの生きた姿を眺めていると、その思いは次第に強くなっていった。 夜中にガサゴソという物音で永剛は目を覚ました。手探りで懐中電灯を掴み辺りを照らす。眩しさに目を細めながら物音の原因を見つけた永剛は、そちらへゆっくりと手を伸ばした。 側まで近づくと素早くウシガエルを捕まえた。どうやら蓋の隙間から逃げ出したようだ。 鍋に向かって懐中電灯の灯りを照らす。中には4匹のウシガエルが入っていた。逃げ出したのはこいつだけか。永剛はうつ伏せのまま掴んだ手を顔へ近づけた。ゆっくりと握った手に力を入れて行く。弾力のあるウシガエルの身体は水風船のように伸びた。 全力で握ったら内臓が破裂して死んでしまうかな?そのような疑問が頭の中に浮かぶ。直ぐに力一杯、ウシガエルを握った。だが四肢が伸び、口から舌先を出しだけで、ウシガエルは死ななかった。 こういう状況で殺すにはやっぱり「叩き、潰す」しかないようだ。壁に向かって投げつけるとい手もあるが、それは気乗りがしない。いや、その行為自体が綺麗とは思えなかった。むしろ嫌いだ。 だが「叩き、潰す」には致命的な欠点が永剛にはあった。それは母のように細く長い綺麗な指を持ち合わせていなかった事だ。 その手を持たない限り美しく「叩き、潰す」事は出来ない。 つまりそれは永剛を一生涯悩ませ、父を憎む要因となるに違いなかった。永剛は掴んだ手の力を緩めウシガエルを鍋の中へと押し込んだ。 懐中電灯を消し鍋に手を伸ばしたまま目を閉じた。 週はじめに鍋を持って学校へ向かった。 ウシガエルは狭い鍋の中に押し詰められていて元気はなかったが、一匹も死んではいなかった。その事が永剛は嬉しかった。 この授業が好きで待ち遠しいなんて教科は一つもなかったが、次の理科の授業は楽しみで仕方がなかった。今日の午前中を乗り切れば午後にはウシガエルの解剖が出来る。 麻酔はかけるのだろうか?仰向けにして足に釘を打ちつけ動けないようにしてから体の線に沿って腹を真っ直ぐ切り裂くのだろうか。切った箇所から血が滲み出て、両指を使い裂いた腹を開く。ウシガエルの臓物が見えた瞬間、みんな悲鳴をあげるだろうか。 目を塞ぎ逃げ出す生徒もいるかも知れない。遠藤冴子はどうだろう?泣いたりするだろうか?永剛は臓物を引き出したウシガエルを遠藤冴子の顔に近づける所を思い浮かべた。抑えきれない笑みが浮かんで来る。 だが気の強そうな遠藤の事だ。目に涙を浮かべながらも、永剛の事を罵って来るかも知れない。それはそれで楽しそうだった。罵られようがそんな事は痛くも痒くもない。何なら臓物を引きちぎり後ろの襟から制服の中に入れてやるのも楽しそうだ。 永剛は教室に向かう前に理科室へ寄り扉を開けて中に入った。アンモニアの匂いがする部屋に入り、ビーカーやフラスコ、アルコールランプが並べてある棚の横の机の上に鍋を置く。鍋に雑巾をかけて暗くしてやろうかと思ったが、夜と勘違いし活発に動き出されると困ると思い、光が漏れ入る窓辺側の実験台の方へ移動した。 永剛は理科の先生に捕まえて来た事を報告しに行こうとしたが思い留まった。5匹も捕まえて来たのか!とびっくりさせてやりたかったからだ。永剛はその瞬間の先生の顔を思い浮かべ、思わずほくそ笑んだ。そして職員室へ向けた足を引き戻し自分の教室がある方へと足を踏み出していった。 普段は集中力を切らさず授業に向き合えた永剛だが、今日はウシガエルの事が気になって中々集中力が保てなかった。どの教科も内容的にはとっくに予習を済ませた箇所なので、上の空で聞いていても理解は出来た。 その合間合間に永剛の頭の中では解剖されていくウシガエルの姿が思い起こされた。極力、麻酔はしないで解剖をしたかった。それに恐らくは誰もウシガエルには触りたがらないだろうから、麻酔を打った振りも可能かも知れない。その後の解剖も全て自分でやりたかった。他の奴等は外野で黙って見てればいいんだ。永剛がそのような事を妄想している内に、時間はあっという間に過ぎ去っていった。 昼食を終え、昼休みになると5時限目の教科書を持ち理科室へと向かった。最後の晩餐じゃないけど昼休みをウシガエルと過ごしてやりたかった。狭苦しい鍋の中に押し込んだ事も謝るつもりだ。意気揚々と理科室へ向かった永剛だったが朝は開いていた理科室が施錠されており中に入る事は出来なかった。午前中に他のクラスか、もしくは上級生がここを使用し、先生が鍵を閉めて行ったのかも知れない。 その事が永剛を腹立たせた。先生も先生だ。理科室を使ったのであれば、ウシガエルの存在に気づいた筈だ。 ならば自分を呼び出すなり、会いに来るなりしても良さそうなものなのに。だが理科の先生は永剛に会いに来なかった。捕まえて来いと命令だけして後は知らんぷりなのか。その態度は教育者としては失格だ。それならば自分に頼まなきゃ良いだけだ。 感謝が出来ないなら最初から自分で捕まえたら良いじゃないか。労力を惜しまず自ら探しに行けばいいんだ。それもせずに知らんぷりはない。永剛は手に持った教科書を床に叩きつけようとして、堪えた。そのような事をした所で何も解決はしないからだ。永剛は怒りを内に秘めたまま、理科室の前で5時限目が始まるまで待っていた。 授業の10分程前に理科の先生が現れた。 その姿を見て床に座り込んでいた永剛は立ち上がった。 「何だ、英、早いな」 「はい」 先生はいい、理科室の鍵を開けた。 「カエルは捕まえられたのか?」 「捕まえて来ました。それで今朝、理科室の扉が開いていたので中に置かせてもらいました」 「扉が開いてた?」 「はい」 「変だな。確かに昨日、閉めた筈だが……」 先生は首を傾げながらおかしいなぁと呟いた。そんな先生の後に続いて永剛も中へと入って行く。一直線に窓際へと向かった。鍋に近寄るとそこには5匹いた筈のウシガエルが1匹しかおらず、残りの4匹は鍋の中から姿を消していた。 「先生」 「何だ」 「午前中、理科室は使われました?」 「いや、俺は使用してないぞ」 「そうですか……」 「どうした?カエルが居なくなったのか?」 「いえ、カエルは、います」 「なら良いじゃないか。先生はてっきりカエルがいなくなったと思ったぞ」 いなくなったのだ。それも4匹もだ。だが永剛はその事を黙っていた。 「ひょっとして化学の宮崎先生は理科室使われたりしてないでしょうか?」 「いや、今日理科室を使うのは先生が最初の筈だ」 「そうですか」 「英、何だ?」 「あ、別に何でもないです」 「本当にそうか?」 「はい」 「なら良いが、じつは気になる事があるが、言えないとかじゃないのか?」 「いえ。本当、特にないです」 「そうか?それなら良いが、悩み事があれば遠慮なく先生に相談するんだぞ?」 「ありがとうございます」 悩み事があるとすれば、逃げた4匹のウシガエルの行方の事だった。だがそれを相談して何になる?ひょっとしたら理科室内の何処か涼しい場所に隠れているかも知れないが、それを探す為に大事な解剖の時間を潰したくはない。この手で解剖出来ないのは残念だが、4匹のウシガエルは諦めるしか無さそうだ。 「英、ちょっといいか」 「何ですか?」 「解剖の為に必要な道具を準備するから、悪いけど手伝ってくれ」 「わかりました」 永剛は先生に手渡された様々な器具や道具を長机へと並べていく。麻酔ビンに脱脂綿 。エーテルとピンセット。細胞を切り取り見る為のスライドガラスに顕微鏡。ウシガエルの手術台となる解剖皿、そして解剖鋏などを置いた。 その次に蓋のある麻酔瓶の中へエーテルをしみ込ませた脱脂綿を入れた。その中にウシガエルを押し込み蓋をしウシガエルが動かなくなるまで数分間放置した。どうやら、エーテルという薬品は解剖の時に有用な麻酔代わりになるようだった。 ウシガエルを取り出す頃、続々とクラスメイトが理科室へとやって来た。 先生は解剖皿にぐったりしているウシガエルを仰向けに寝かせ前足と後ろ足へ虫ピンを差し込んだ。ウシガエルが動けないように固定する為だ。そしてそのままにして、先生は解剖皿がある長机の周りに生徒達を集めた出した。と同時計ったように5時限目の開始のチャイムが鳴った。 先生は、授業でカエルの解剖をする意図は告げず、 「ほら、見てみろ。麻酔が効いて伸びてるぞ」 と永剛が捕まえて来たウシガエルを指差しそう行った。 その後すぐに、先生はウシガエルの腹の部分の上皮だけをつまみ、鋏の片方だけを使って皮に穴を開けた。その穴に鋏の先を押し込んだ。徐々に切り裂かれていく腹からは血が滲み出て、ウシガエルの乗せられている解剖皿を血で汚した。 先生はその穴に鋏を差し込み更に先へと切り込みを入れて行く。その時点で長机を囲む前列の生徒から小さな悲鳴が漏れた。 慌てて逃げ出そうとする生徒に先生が 「しっかり見ときなさい」 と半ば脅迫じみた殺し文句をぶつけた。かと言ってまともな人間であればこのような光景から目を離すのは至極当然の結果ではあった。凝視するのが難しいのは誰もがわかっていた。だからとはいえ、両目を塞ぎ、見ようともしないのは何故だ?解剖する事は前回の授業の時点でわかっていた筈だ。それなのに逃げ出そうとするそんな生徒達に永剛は腹が立った。 先生のあまりの作業の単純さに永剛は少しシラけてしまった。やはり麻酔なんてするべきじゃなかったのだ。麻酔をせずに腹を切り裂けばウシガエルは痛みに驚き逃げ出そと必死に抵抗するかも知れない。そんなウシガエルの全力で暴れる姿を見てみたかった。何故なら切り裂かれた腹から臓物を垂らし歩き飛び跳ねる姿を目にしたら爽快な気持ちになれると思ったからだ。だが麻酔は効きウシガエルはピクリとも動かなかった。永剛は溜め息を吐き、仕方なく先生の説明に耳を傾ける事にした。 「これが肝臓で、こっちが腸と肺。それでこの黄色い物が脂肪体と呼ばれている。が、この黄色いドロドロがカエルの身体の中でどのような役割を果たしているかは未だにわからないんだ」 先生の説明に、へぇという声が理科室内に響き渡る。 「次はこれが胃だ。お前らにも当然、あるよな?」 数名が先生の言葉に反応し笑ったり、あるに決まってるじゃんなどと口走る。 「で、最後、これ見てみろ?ゆっくりだが微かに動いているだろ?これが何かわかる人?」 数人が手を挙げた。その内の1人を先生は指した。 「心臓」 「正解」 誰でもわかるような事に周りから「おぉ」という感嘆な声が上がる。この程度の事で喜んで貰う為に僕は苦労してウシガエルを捕まえて来た訳じゃない。1人1人が生きたウシガエル相手に緊張と不安を抱えながら震える手で対峙しその中でしか味わえない言いようのない興奮や幸福感を解放する姿が見る為だ。 それを自身の身で体感したかった。ウシガエル1匹を殺す事くらい簡単だ。幼稚園児にだって出来る。だけど解剖となればまた違って来る。だからウシガエルを捕まえて来たのだ。こんな結末が待ち受けているとわかっていたなら、最初からウシガエルなんて捕まえやしなかった。直ぐ側で、色々と説明して行く先生の声が永剛から遠ざかって行く。それは小さくなりいつしか永剛の耳には届かなくなっていった。僕が見たかったのはこんな解剖じゃない。永剛はいつしか貧乏ゆすりを始め、唇を噛み締めた。理科室からいなくなった4匹のウシガエル。これが今日という日を心待ちにした人間に対して起こるべき事か。起こっていい事なのか。いなくならなければこんな気持ちになる事もなかった。 「クソッ」 思わず口に出たが、誰も永剛のその声を聞いてはいなかった。僕は誰からもこのような仕打ちを受ける謂れはない。むしろその逆だ。褒め称えられるべきだ。僕はその立場にいる人間だ。それは僕だ。僕の筈だった。先生じゃない。ピンセットでウシガエルの臓物を突いたりしている先生なんかじゃない。そんなのは僕にだって出来る。それに先生の手は綺麗じゃなかった。綺麗で細く長い指を先生は持っていないじゃないか。そんな手で偉そうに解剖なんてするべきじゃない。してはいけない。するんじゃない。 何故なら先生は僕のように自分のその手を恥じていないからだ。恥なき者に生き物の命を左右する資格はないのだ。永剛は怒りに震える身体を抑える為に自らの足を踵で踏みつけた。 そして自分の気持ちをズタズタに切り裂き、解剖という楽しみの全てを台無しにしたウシガエルに怒りを覚えた。永剛は前にいる生徒を押し退け前例へ移動した。 中腰の体勢で解剖皿を覗き込む生徒の襟を掴み後ろへと引っ張った。仰け反った生徒は後ろの生徒にぶつかり尻餅をついた。そんな生徒に構わず永剛は長机にピッタリ身体を寄せ上半身を伸ばし腕を振り上げた。 その先にある手は広げられていた。理科室の蛍光灯の明かりが永剛の指の隙間を抜け未だウシガエルへと注がれた。腹を裂かれ臓物を曝け出したまま眠っているウシガエルに向けて、永剛は力の限り、手の平を振り下ろした。 歩くその度にその場から逃げ出すゴキブリのように、先生や周りの生徒達が一斉に長机から飛び退った。内臓が潰れるべちゃりという音がし、剥き出しの胃は裂け脂肪体からは黄色い汁が飛び散った。肺は潰れウシガエルの口から血が吐き出された。手応えはあった。手の平や指の腹全てにウシガエルの命が触れた確かな感触があった。 この瞬間、永剛は今までで1番上手く「叩き、潰す」事が出来たと思った。 そして誰もが永剛の取った行動に呆気に取られている間、永剛はウシガエルの小さな心臓に人差し指の腹をあて、軽く力を入れてからゆっくりと押した。 「ぷちゅ」 小さいが、とても瑞々しい音が解剖皿の中で響き、同時にウシガエルは完全に動かなくなった。
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