山滴る

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 夏休みに入ってすぐに三者面談があったが、父は急な仕事を理由にドタキャンしてきた。操さんは自分が行こうかと言ってくれたけど、何となく居心地が悪くて遠慮しておいた。 僕は誰もいない教室で先生と二人で向かい合った。高校は東京と決めていたが、地元にも同レベルの進学校があると言う。その学校の話とクラスでの様子を少し聞かれて、面談はすぐに終わった。 外に出ると既に日が高くなっていて、じわじわと暑さが増していた。蝉の声が辺りに響く他はとても静かだ。休憩してるのか田んぼや畑にも人影はない。 帰ったらエアコンを効かせてアイス食べよう。そんなことを考えながら、とぼとぼと帰り道を歩いた。 家までちょうど半分の距離のところに川がある。 川幅はそれほどでもないが、澄んだ水をたたえた流れはいつもゆったりとしている。泳いでいる誰かの頭がいくつか見えた。 「おーい」    聞き覚えのある声が僕を呼んだが、それを無視して歩き続けた。相手になんかするもんか。田舎者め。 「お前も泳げや」 「そりゃ無理だって」 「東京もんは、意気地なしじゃあ」  どっと笑い声が上がり、その挑発に我慢できず声のするほうを振り向いた。 信じられないくらい透き通った水面に、夏の陽射しが跳ね返る。思わず手をかざして目を細めると、案の定クラスメイトの顔が見えて、その中に燿もいた。 まったく嫌になる。ここには娯楽というものがない。 小学生じゃあるまいし、野生児みたいな遊びしかないのか。燿は難なく泳いで見る間にざばっと岸に上がると、土手にいる僕に近づいてきた。陽に焼けた肌の上を弾けるように水滴が流れていく。 「あの橋の上から飛べるか」  すぐ目の前に川に架かる古びた橋がある。 「度胸試しだ。高さも深さもそこそこある」 「何で僕が?」 「あんだろ。そーゆーの。俺らと同じこと出来たら仲間にしてやるとか」 「別にそんなの要らない」  帰ろうとすると声が追いかけてきた。 「怖いのか」  僕の中でぷちっと何かが切れた。 ただでさえ毎日色々な感情がごちゃ混ぜになっている。それを吐き出す場所もなく、黙っていられなくなった。 「そんなに言うならやってやるよ。やればいいんだろ」 「頭からは危ない。足からだぞ。溺れそうになったら俺が助けてやる」 「うるさい。余計なお世話だ」  僕はリュックを草の上に下ろし、コンクリが割れた階段を登って、橋の真ん中まで歩いていった。四方をぐるっと囲む山々が見えて、恐らくそのどこかからの水源が眼下の流れに繋がっている。透明度は高いはずなのに、同時に真下の薄く青みがかった部分は底が見えなくて、その深さが容易に想像できた。 塗装の剥げた欄干を跨いで細い土台に立つと、水面から風が吹き上げて前髪を乱した。下で見た時は思わなかったのに、見下ろすとひどく高さがあるように見える。彼らの顔が遠く小さく感じて、気取られないようにごくりと唾を飲んだ。 「いいぞー。行けー」 「無理すんなー。どっちにしてもネタになる」  ぎゃははと聞こえてきた笑い声が、僕の変なプライドを逆撫でした。泳ぎには自信がある。  足からなら… 息を吸い込み、目を閉じた。そして、何もない空間に僕は跳んだ。
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