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「母親が、再婚するって」
「…てか、離婚してたん?」
「知らないよ。そんなの」
彼のせいじゃないのに、不機嫌になって八つ当たりした。
何も知らなかった。
両親がいつの間にか離婚していたことも。
母にもうずっと前から恋人がいたことも。
それを父が知っていたのかどうかも。
でも、もう全てが終わった後だ。共に暮らす人も住む場所も、どれを選んで何も変わらない気がした。このまま何も考えずに、眠っていたかった。
「うちは父親がさ、そんな感じで。出ていったきり」
初めて聞く彼の話に、僕は咄嗟に何も返せなかった。ただ、彼が僕をずっと気遣ってくれた理由がやっとわかった。
一度手にしたものを失う時、寂しさや悲しみはより深くなる。どんなに強がって忘れようとしても、それは心に刺さったままの棘になり、持続する痛みを僕たちにもたらす。
「陽斗。ここにいろよ」
そう言って、燿は握る手に力を込めた。
「…何で」
「理由なんかねえよ。お前にいて欲しいから」
「子どもか」
「何でもいい。来年もその先も、お前と一緒にここで過ごしたい」
不覚にも胸が熱くなって、真剣な願いを笑い飛ばせなくなった。誰かに必要とされていることが、こんなに嬉しいなんて初めて知った。黙ってると燿がぽつりと言った。
「泣くなよ」
「…泣いてない」
ばっと彼が半身を起こして僕の顔を覗き込んだ。そのにやにやする顔に込み上げる笑いをこらえて、僕はマフラーに口元を埋めた。
「ちぇ。泣かしたかと思ったのに」
「残念だったな」
「くそ」
燿が乱暴に立ち上がったので、彼が払ったものが全部僕にかかった。顔に冷たい雪片が容赦なく降り注ぐ。
「冷たっ。何すんだよ」
げらげら笑って先に立つ彼を見送りながら、僕は雪を溶かした涙と一緒に顔を拭った。
山間のせいかここは冬の季節が少しばかり長い。解ける前に次の雪が積もって、山も田んぼも景色は白一色になる。元々静かな風景なのに、雪に取り込まれてさらに音がなくなっていく。生き物も木々も息を潜めて冬をやり過ごしている間、静寂の世界で燿と僕はたくさんの言葉を交わした。かつて他人の声がこれほど深く、心に届いたことがあったかと思うくらいに。
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