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「でも彼女、遺書に全部書いていたのに、どうして現場にいたんでしょうね」
「早く見つけてほしかったんだと思います」
理乃はティーカップを傾ける手を止めた。
「きっと、ご家族のところに早く帰さなくちゃ、って思って」
通報してくれる誰かを探していたのではないか。山でこんにちは、と会釈したあのとき、理乃が文香を認めて目が合ったのが嬉しそうだった。
「なるほど。実際、彼女は一人暮らしでしたし。有給休暇と連休を合わせて一週間、仕事を休む予定でしたから。あなたの通報がなければさらに発見が遅れたでしょうね。男性の妻も、連絡がとれなくて心配していましたし――知りたくなかったことも、知らされたわけですが」
「そうですね」
相槌を打って、理乃は日光に明るむ広いガラス窓を見やった。知らないで済めば、その方がいいこともあるのかもな。気が付けば、知りたくなるだろうけど。
「コーヒーは、苦味もそれが美味いんですけどね。それも、美味いの範囲に収まってるから言えるのかな」
本当に美味いなとコーヒーを飲み干して、井間はテーブルや椅子、カウンターも天然木を中心にしつらえられた店の中を眺めた。
「いい店ですね。美味しいし、落ちつくし」
このカフェを提案したのは理乃だ。ですよね、と笑みで答える。
「鑑定するときに使ってます」
「僕も占ってもらおうかな。圧の強い上司に、気を揉むことが多くて」
ベテラン刑事のだみ声を思い出して可笑しくなった。
「ぜひ。対面でもオンラインでも、お忙しければメールでも」
「対面がいいです。ここでも、他の店でも。またお茶しましょう。顔見てゆっくり聞かせてください」
「はい」
手のひらで、空になったカップを包む。どうしようかな。ハーブティーも飲み終わったし、コップの水も飲んでしまったが。もう少し――。
「井間さん。お水いりますか」
「はい。お願いします」
微笑んで、理乃はセルフサービスのお冷を二人分、注ぎに席を立った。
終
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