「おかえり」が言えない

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「ただいまぁ、キヨシぃ」  母のくたびれた声で、俺の一日は始まる。  時刻は十八時半。ビニール袋をガサガサ言わせながら、のっそりした足音が部屋の前を通り抜ける。  返事は、しない。できなくなった。  俺は、引きこもり歴十二年の社会不適合者だ。何がきっかけだったかも思い出せないが、ある日、突然 外の世界に出られなくなった。  女手ひとつで大学まで出してくれた母に合わせる顔がなくて、返す言葉を探し続ける間にすっかりきっかけを失った。  俺は今夜も「おかえり」が言えない。  それなのに母は温かな食事を扉の向こうに置いて、こう語りかけるのだ。 「今日も大変な一日だったけど、帰ってきてキヨシがいると思うと頑張れるよ。ありがとねぇ、キヨシぃ」  その無償の愛に答えられない自分が恨めしくて、俺は今夜も言葉を失う。そしてネットの世界に逃げ込む。それが俺の毎日だ。
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