第2話 むかしむかしの綺麗な綺麗な出会い

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「…どうしたんだ?」  上級生は、突然手を止めた後輩に、軽く姿勢を落とし、顔をのぞきこむようにして、右側から訊ねた。  彼は慌てて飛び跳ねるようにして顔を上げ、椅子から立ち上がり、上級生から退いた。上級生は不機嫌半分、怪訝そうな顔半分で後輩を軽くにらんだ。 「何か俺が悪いことをしたのか?」  彼は慌てて首を横に振った。違う。確かにそれは違うのだ。 「じゃあ何だよ」  上級生は迫った。だが彼自身、何がなんだか、自分に何が起こったのかさっぱり判らないので、とにかく後ずさりするしかなかったのだ。  そして気が付いたら、壁ぎわに追いつめられていた。もともとアプライトのピアノは部屋の隅にあった。  気付いたのか気付かないのか、上級生は右の手を上げ、壁と自分の間に彼を挟み込むようにして接近して問いつめていた。  そして幾つかの問いが、彼の中に飛び込んだ。そのたびにその声は、彼の中に入り込み、かき回した。  彼はその問いに、ただ頭を振るばかりだった。  だが、さすがにそこまでされれば、彼も何故自分が訳の判らない状態になっているのか、気付くことができた。 「…あなたの声が悪いんだ」  何度かの上級生の問いの果てに、彼は消え入りそうな声で告げた。  すると上級生は、彼の顎に手をのばすと、くっと自分の方へ向けさせた。彼は息を呑んだ。  視線が合う。  混乱と恐怖、そしてそんな醜態を見せたことに対する羞恥のせいか、彼の目はやや潤んでいた。  その表情には、さすがに上級生も心動かされるものがあったらしい。やや大きすぎるくらいの目が、こころもち細められた。 「…俺の声が?」  彼はうなづいた。視線が、離せない。  そして続けた。  とにかく何かしら、本当のことを言わなくては、この上級生が自分に何をするか判らないような気が彼にはしていた。 「…あなたの声が耳に入ると、僕は何やら訳が判らなくなるんだ」  それは本当だった。上級生はそれを聞くと、軽く首を傾げ、ふうん、と言いたげな顔になった。 「俺の声が?」  上級生は確かめるかのように彼に問いかけた。  掴まれたままの顔ではうなづくこともできない。大きな手は、軽く掴んでいるだけのようなのに、彼の自由を完全に奪っていた。彼の中で不安が高まった。それはほとんど初めて味わう感覚だった。  ところが、不意にその左手の長い指は、つ、と僅かに耳の方へと移動した。その途端、そんなつもりはないのに、彼の口が軽く開き、目が細められた。  喉の中から、声が細く漏れる。  長い指は、そのまま彼の首筋をすべり、鎖骨のあたりまでたどりつくと、不意に離れた。 「じゃあ仕方ないね」  くす、と上級生は笑い、壁についていた手を離した。  ふっと自分の周りの気温が下がるのを彼は感じていた。それほど接近していたことに、彼はようやく気がついた。  はあ、と彼は大きく息をついた。ずる、と背中が壁にへばりついたまま落ちていくのを感じながら、緊張が解けるのを感じていた。  そしてその元凶は、あはは、と笑いながら上着のポケットに手を突っ込んでその部屋から出ていった。  Gは全身で安堵した。  額から背中から汗が一気に吹き出すのを感じていた。何が起こったのか、頭は一気に整理しようと努力を始めていた。  そして、それだけで済んでほしい、と彼は思った。
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