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地平線に近く、高度が低い位置にあると月の青い光は届きにくくなって赤く見えるらしい。 地上の空気が汚れているから、なんて話も聞いたことがあるようなないような。 だけど、いつもよりも大きく見える月がさらに紅く見えるなんてことが起きたら何か悪いことが起きる前兆なのか?なんて考えが過るのも分かるし、科学だけで何もかもを理屈付けて世界を理解した気になるのは早まった考え方であるとは思っている。 何故ならすぐ傍に理屈だけでは説明のつかない状況が今まさに口を開けて自分を追いかけて来ているから。 風を切って走る毛並は手入れなどされておらずボロボロで汚れていた。所々毛の生えていない部分があり、そこには化膿した傷跡があったりもして、空腹で共食いに走った末に負ったものなのだろう、と想像出来た。 極限まで腹を空かせ、群れの中で暮らすもその群れ同士に仲間意識などはなく全員が敵であった。 生き延びるために与えられるわずかな血肉の味を覚え、それと同じ匂いのする餌を追いかける。彼らに働くのはただ生き延びるための本能だけ。追いかける餌が『人間』であることなど彼らにはどうでもいいことなのだった。 全速力で走るのは山の中に残された廃墟となったホテルだ。 ガラスと言うガラスはすべて割れてホテルとして機能していた名残など何も残さないほどに崩れ去った五階建ての建物の最上階を階段のある端から反対側へと突っ切るように走っていた。 五階なのに外へと出られるようにぽっかりと間口の開いたスペースが在るのはかつてはその先に食事も取れるテラス席があったから。 今はそのテラス部分は瓦礫となって崩れ落ち、中の鉄筋が切っ先を空に向かせた状態で地上に放置されている。 周囲を囲んだ三角コーンは紫外線による劣化でボロボロとなっており、所々倒れていた。もう何年も誰にも何にも注意を向けられておらず機能を果たしていないことは見て取れる状態だ。 そんな地上の状況はすでに日中、ここを下見に来た時点で彼は知っていてその上であえて五階レストランフロアへと逃げて来た。逃げたと言うよりは誘導して来たと言うのが正しい。 自らの体を餌として、限界まで腹を空かせて劣悪な環境に押し込められていた犬たちをここまで連れて来た。 これほどまでに狂暴化し、人間を餌として認知した犬たちが懐柔出来る見込みはない。これ以上の被害者を出さずにこの犬たちを捕獲する術もそれを訴える人間も居なかった。 犬たちに下された殺処分と言う判断を彼は遂行する任務を請け負っていた。 そして、今まさにそのタイミングがやって来た。 「憧燿!」
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