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雪十を抱えたまま地上を覗いた憧燿に、雪十は慌てて憧燿の首に掴まる手に力を込めた。
まだ数匹、痙攣しているようだったが後は時間の問題だろう。
状況を確認すると憧燿は雪十を抱えたまま縁を降りた。
彼の動きには音が皆無だ。湖面すれすれを飛ぶトンボのごとく、何も立てずに進んで行く。奇妙だが雪十にとってはそれも日常のこととなっていた。
理屈では説明しきれない、理解の範疇を超えている、倫理や理性で制御できるものでもない、それが憧燿と言う男なのだ。
はぁ、と一つ溜息をつき、雪十は「いい加減下ろせよ」と要求しようとした。
その時、憧燿が前を見据えて足を止める。
彼の目線の先を雪十も追いかけると一匹の犬が屋上への出入り口で身構えていた。
滴る涎と理性を失った瞳は人間に寄り添って生きる犬とはかけ離れた一匹の獰猛な獣の姿で体中の傷跡と口の端から吹き出す荒々しい呼吸がこの犬の強さを表していた。
即座に判断した雪十が胸元から一丁の拳銃を取り出すと躊躇いもなく引き金を引く。
と同時に犬の頭部だけが木っ端みじんにはじけ飛んだ。
その血の一滴が雪十の眉間へと跳んできたが彼の体に触れることはなく、目の前の見えない壁に弾けて地上へと落下した。
時間としてはほんの数秒だった状況を瞬時に理解し、分析し、答えに至った雪十は憧燿の髪を引いて自分へと向かせた。
「あんた!一瞬であの犬たちを殺せたんじゃないか!」
雪十の訴えに憧燿は心外だと言う顔を見せると表情を緩めて雪十に答えた。
「さすがにあれだけの数を一度に始末するのは難しい話だ。雪十が居なければ成し得なかった」
一度にまとめなかったら出来たってことなのかよ?なんてツッコミが過ったが今さら何を訴えても後の祭りだった。こういう状況も、憧燿の意図もすべて予想の範疇だ。結局、彼の手の内で転がされている自分を諦めていたし最終的にその憧燿を転がしているのは自分なのだと言う強い自負はあったから雪十は主張を引っ込めた。
「俺はもう疲れた。車までこのまま運んで行け」
「あぁ、そうしよう」
素直に身を預ける雪十を抱え、憧燿はまた出入口へと歩き出した。
足元に転がった血まみれの犬の目玉を躊躇いなく踏みつけて。
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