リン 3

2/2
前へ
/2ページ
次へ
 店を出ると、アムンゼンが、  「…では、矢田さん、今日は、これで…」  と、言った…  私は、ビックリしたが、思わず、  「…そうか…」  と、返した…  「…今日は、矢田さんと、食事が出来て、楽しかったです…」  「…私もさ…」  私は、言ってやった…  なにしろ、このラーメン屋から、私の自宅は、近い…  だから、以前、自宅から徒歩で歩いて来て、この店の特製ラーメンを食べるために、行列に並んだのだ…  真逆に、アムンゼンの自宅は、遠い…  だから、このロールス・ロイスで、この店まで、やって来たわけだ…  私は、思った…  思ったのだ…    私は、このラーメン屋の駐車場で、アムンゼンとオスマンと別れた…  そして、思い返せば、その別れが、永遠の別れだとまでは、言わんが、その後、少々、厄介な展開になったわけだ…  私は、徒歩で、自宅に帰ったが、その夜、会社から、自宅に戻った夫の葉尊が、血相を変えて、私の元にやって来た…  「…お姉さん…大変です…」  「…どうした? …なにが、大変なんだ?…」  「…大変です…テレビを見てください…」  「…テレビを見てくれだと?…」  「…ハイ…」  「…わかったさ…」  私は、言いながら、テレビのスイッチを入れた…  と、そこには、暴動の群衆が、映っていた…  サウジアラビアの群衆の暴動が、映っていたのだ…  「…な、なんだ? …これは一体?…」  「…サウジアラビアで、今、暴動が起こっています…」  「…なんだと?…どうして、だ?…」  「…それが…」  夫の葉尊が、言い淀んだ…  だから、私は、もう一度、  「…それが、どうした?…」  と、葉尊に聞いた…  聞いたのだ…  「…それが、SNSに、動画がアップされて、それが、きっかけで…」  「…SNSで、動画がアップだと?…」  私は、驚いた…  その可能性について、すでに、あのアムンゼンが、言っていた…  アラブの至宝が、言っていた…  3歳児にしか、見えない、アラブの至宝が、言っていた…  間違いなく、アラブの至宝が、恐れていたことを、言っていた…  だから、  「…どんな動画だ?…」  と、聞いた…  当たり前だった…  すると、すぐに、夫の葉尊が、  「…おそらく、この後、テレビに、映ると、思います…」  と、告げた…  私は、夫の言葉に従い、テレビをジッと見た…  私の細い目を、さらに細めて、どんな小さなことも、見逃さないように、テレビを凝視した…  マジマジと、見た…  ほどなく、葉尊の言うように、SNSが、テレビに映された…  問題の動画が、テレビの画面に映された…  が、  問題は、その動画だった…  その動画には、この矢田が、映っていたのだ…  あのラーメン屋で、アムンゼンとオスマンと、いっしょに、ラーメンをすする映像が、出ていたのだ…  その映像を見た瞬間、  …やはり、あのアムンゼンが、恐れていた通りのことになった!…  と、気付いた…  壁に耳あり、障子に目あり…  あのアムンゼンが、予言していた通りのことになったと、気付いた…  万事休す!…  アムンゼンの正体が、バレたか?  アラブの至宝の正体が、バレたか?  と、思った…  が、  違った…  全然、違った…  テレビの解説で、それが、わかった…  問題は、アムンゼンではなく、オスマンだった…  アムンゼンの甥のオスマンだった…  テレビの解説のひとが、  「…問題は、この方なんです…」  と、オスマンを指摘した…  私は仰天した…  オスマン?  オスマンが、問題?  なにが、問題なのか?  オスマンは。私とアムンゼンといっしょに、ラーメンを食べていただけ…  ただ、それだけだ…  会話の主役は、私とアムンゼンのはずだ…  一体、オスマンのなにが、問題なのか?  わからんかった…  わからんかったのだ…  すると、解説のひとが、  「…彼は、王族です…」  と、続けた…  「…問題なのは、彼が、王族にも、かかわらず、率先して、戒律を破ったことです…」  「…戒律ですか?…」  「…そうです…戒律です…日本でも、すでに、多くの方に知られているように、アラブの人々は、イスラム教です…そして、イスラム教には、さまざまな戒律があります…」  「…さまざまな戒律ですか?…」  「…そうです…具体的には、食べ物が、よい例ですが、食べては、いけないものが、あります…」  「…それは、どんなものですか?…」  「…代表的なものは、豚肉です…」  「…豚肉?…」  「…そして、問題なのが、このラーメン屋…普通、豚肉は、ラーメン屋では、出汁を取るために、使うし、なにより、チャーシューを入れます…チャーシューは、普通は、豚肉です…」  「…たしかに…」  「…だから、この映像は、この王族の方が、王族にも、かかわらず、率先して、戒律を破って、豚肉を食べている…それが、今、サウジアラビアで、話題になって、デモになっている…そういうことです…」  「…そうだったんですか? わかりました…」  「…と、言いたいのですが、それは、表向きの話…」  「…エッ? …表向き? …それは、どういう?…」  「…この王族の方…彼、ハンサムでしょ?  …イケメンでしょ?…」  「…それが、どういう?…」  「…嫉妬ですよ…」  「…嫉妬?…」  「…彼、サウジアラビアで、女性の方から、人気があるんです…王族でも、イケメンというと、数が、少ない…ですから、男の方から、不評で…」  「…不評?…」  「…だから、サウジアラビアで、デモをしているのは、皆、男です…もちろん、お国柄、女性が、前に出ない国でも、あるんですが…」  と、苦笑する…  すると、隣にいた、女性キャスターが、  「…たしかに、彼、イケメンですからね…」  と、うっとりとした表情で言う…  途端に、私の脳裏に、  …顔か!…  と、いう声が、聞こえてきた…  …所詮は、顔か!…  と、いう声が、聞こえてきたのだ!…  と、同時に、  …やはり、人間、見た目か?…  とも、思った…  あのオスマンは、イケメン…  アラブ人特有の浅黒い肌に、精悍な顔立ち…  おまけに、180㎝を超える、長身のイケメンだ…  たしかに、いい男だ…  この矢田も、夫の葉尊が、いなければ、間違いなく、手を出した…  自分のものにしようと、手を出したに違いない…  おまけに、オスマンは、サウジアラビアの王族…  もはや、相手にとって、不足はない…  いや、  あのオスマンこそ、この矢田にふさわしい…  ふさわしいのだ…  ふと、気が付くと、いつのまにか、この矢田は、拳を握り締めていた…  力いっぱい握り締めていた…  それに、気付いた夫の葉尊が、  「…どうしたんですか? …お姉さん…そんなに、拳に力を込めて…」  と、言った…  私は、夫の一言で、自分が、無意識に拳を握り締めていたことに、気付いた…  私は、とっさに、どう言い訳しようか、考えた…  が、  すぐに、言葉が浮かばんかった…  まさか、葉尊と、結婚しなければ、オスマンを狙っていたなんて、とてもじゃないが、口にできんからだ…  すると、葉尊が、  「…お姉さんは、優し過ぎるんですよ…」  と、笑みを浮かべながら、言った…  あまりにも、意外な言葉だった…  「…優し過ぎる? どういう意味だ?…」  「…今、お姉さん…オスマンに対して、同情したでしょ?…」  「…同情?…」  「…隠さなくても、わかります…あのオスマンが、イケメンだという理由だけで、男たちの嫉妬を招く…つくづく、可哀そうです…」  「…」  「…でも、世の中、そんなものです…」  「…そんなもの?…」  「…ハイ…そんなものです…誰も、なにもしなくても、妙に、突っかかって来る人間は、世の中に、案外いるものです…」  「…どういう意味だ?…」  「…ボクが、そうです…」  「…葉尊…オマエが?…」  「…子供の頃、ボクが、なにもしていないのに、同級生の中で、ボクに、わざと突っかかってくる人間が、いました…」  「…わざと?…」  「…父が、事業をしていて、今とは、比べ物にならないくらい、ちっぽけな成功をしていたんですが、それが、気に入らないのでしょう…」  「…気に入らない…」  「…要するに、他人の成功を妬む…自分より、他人が、いい生活をしていることに、我慢が、ならない…そういうことです…」  「…」  「…それが、あのオスマンといっしょです…」  「…」  「…あのオスマンは、長身のイケメン…おまけに、サウジアラビアの王族…金もルックスもすべて、持って生まれています…だから、それが、悔しくて、仕方がない…自分が、どう頑張っても、手に入れることが、できないものだからです…」  「…」  「…そんなオスマンが、今回のように、イスラムの戒律を破ったことが、わかると、まるで、鬼の首を取ったように、騒ぎ出す…オスマンの落ち度を見つけたからです…弱点を見つけたからです…だから、騒ぎ出す…」  「…」  「…まったく、憐れと言っては、言い過ぎかも、しれませんが、なにもない人間の方が、オスマンのように、すべてを持って生まれた人間よりも、人間的に劣っている…ずばり、性格も悪いものです…」  葉尊が、断言した…  私の夫が、断言した…  たしかに、夫の言うことは、わかる…  わかるのだ…  しかしながら、その言葉に、あらためて、私は、葉尊の闇を感じた…  私の夫の闇を感じた…                <続く>
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加