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店を出ると、アムンゼンが、
「…では、矢田さん、今日は、これで…」
と、言った…
私は、ビックリしたが、思わず、
「…そうか…」
と、返した…
「…今日は、矢田さんと、食事が出来て、楽しかったです…」
「…私もさ…」
私は、言ってやった…
なにしろ、このラーメン屋から、私の自宅は、近い…
だから、以前、自宅から徒歩で歩いて来て、この店の特製ラーメンを食べるために、行列に並んだのだ…
真逆に、アムンゼンの自宅は、遠い…
だから、このロールス・ロイスで、この店まで、やって来たわけだ…
私は、思った…
思ったのだ…
私は、このラーメン屋の駐車場で、アムンゼンとオスマンと別れた…
そして、思い返せば、その別れが、永遠の別れだとまでは、言わんが、その後、少々、厄介な展開になったわけだ…
私は、徒歩で、自宅に帰ったが、その夜、会社から、自宅に戻った夫の葉尊が、血相を変えて、私の元にやって来た…
「…お姉さん…大変です…」
「…どうした? …なにが、大変なんだ?…」
「…大変です…テレビを見てください…」
「…テレビを見てくれだと?…」
「…ハイ…」
「…わかったさ…」
私は、言いながら、テレビのスイッチを入れた…
と、そこには、暴動の群衆が、映っていた…
サウジアラビアの群衆の暴動が、映っていたのだ…
「…な、なんだ? …これは一体?…」
「…サウジアラビアで、今、暴動が起こっています…」
「…なんだと?…どうして、だ?…」
「…それが…」
夫の葉尊が、言い淀んだ…
だから、私は、もう一度、
「…それが、どうした?…」
と、葉尊に聞いた…
聞いたのだ…
「…それが、SNSに、動画がアップされて、それが、きっかけで…」
「…SNSで、動画がアップだと?…」
私は、驚いた…
その可能性について、すでに、あのアムンゼンが、言っていた…
アラブの至宝が、言っていた…
3歳児にしか、見えない、アラブの至宝が、言っていた…
間違いなく、アラブの至宝が、恐れていたことを、言っていた…
だから、
「…どんな動画だ?…」
と、聞いた…
当たり前だった…
すると、すぐに、夫の葉尊が、
「…おそらく、この後、テレビに、映ると、思います…」
と、告げた…
私は、夫の言葉に従い、テレビをジッと見た…
私の細い目を、さらに細めて、どんな小さなことも、見逃さないように、テレビを凝視した…
マジマジと、見た…
ほどなく、葉尊の言うように、SNSが、テレビに映された…
問題の動画が、テレビの画面に映された…
が、
問題は、その動画だった…
その動画には、この矢田が、映っていたのだ…
あのラーメン屋で、アムンゼンとオスマンと、いっしょに、ラーメンをすする映像が、出ていたのだ…
その映像を見た瞬間、
…やはり、あのアムンゼンが、恐れていた通りのことになった!…
と、気付いた…
壁に耳あり、障子に目あり…
あのアムンゼンが、予言していた通りのことになったと、気付いた…
万事休す!…
アムンゼンの正体が、バレたか?
アラブの至宝の正体が、バレたか?
と、思った…
が、
違った…
全然、違った…
テレビの解説で、それが、わかった…
問題は、アムンゼンではなく、オスマンだった…
アムンゼンの甥のオスマンだった…
テレビの解説のひとが、
「…問題は、この方なんです…」
と、オスマンを指摘した…
私は仰天した…
オスマン?
オスマンが、問題?
なにが、問題なのか?
オスマンは。私とアムンゼンといっしょに、ラーメンを食べていただけ…
ただ、それだけだ…
会話の主役は、私とアムンゼンのはずだ…
一体、オスマンのなにが、問題なのか?
わからんかった…
わからんかったのだ…
すると、解説のひとが、
「…彼は、王族です…」
と、続けた…
「…問題なのは、彼が、王族にも、かかわらず、率先して、戒律を破ったことです…」
「…戒律ですか?…」
「…そうです…戒律です…日本でも、すでに、多くの方に知られているように、アラブの人々は、イスラム教です…そして、イスラム教には、さまざまな戒律があります…」
「…さまざまな戒律ですか?…」
「…そうです…具体的には、食べ物が、よい例ですが、食べては、いけないものが、あります…」
「…それは、どんなものですか?…」
「…代表的なものは、豚肉です…」
「…豚肉?…」
「…そして、問題なのが、このラーメン屋…普通、豚肉は、ラーメン屋では、出汁を取るために、使うし、なにより、チャーシューを入れます…チャーシューは、普通は、豚肉です…」
「…たしかに…」
「…だから、この映像は、この王族の方が、王族にも、かかわらず、率先して、戒律を破って、豚肉を食べている…それが、今、サウジアラビアで、話題になって、デモになっている…そういうことです…」
「…そうだったんですか? わかりました…」
「…と、言いたいのですが、それは、表向きの話…」
「…エッ? …表向き? …それは、どういう?…」
「…この王族の方…彼、ハンサムでしょ? …イケメンでしょ?…」
「…それが、どういう?…」
「…嫉妬ですよ…」
「…嫉妬?…」
「…彼、サウジアラビアで、女性の方から、人気があるんです…王族でも、イケメンというと、数が、少ない…ですから、男の方から、不評で…」
「…不評?…」
「…だから、サウジアラビアで、デモをしているのは、皆、男です…もちろん、お国柄、女性が、前に出ない国でも、あるんですが…」
と、苦笑する…
すると、隣にいた、女性キャスターが、
「…たしかに、彼、イケメンですからね…」
と、うっとりとした表情で言う…
途端に、私の脳裏に、
…顔か!…
と、いう声が、聞こえてきた…
…所詮は、顔か!…
と、いう声が、聞こえてきたのだ!…
と、同時に、
…やはり、人間、見た目か?…
とも、思った…
あのオスマンは、イケメン…
アラブ人特有の浅黒い肌に、精悍な顔立ち…
おまけに、180㎝を超える、長身のイケメンだ…
たしかに、いい男だ…
この矢田も、夫の葉尊が、いなければ、間違いなく、手を出した…
自分のものにしようと、手を出したに違いない…
おまけに、オスマンは、サウジアラビアの王族…
もはや、相手にとって、不足はない…
いや、
あのオスマンこそ、この矢田にふさわしい…
ふさわしいのだ…
ふと、気が付くと、いつのまにか、この矢田は、拳を握り締めていた…
力いっぱい握り締めていた…
それに、気付いた夫の葉尊が、
「…どうしたんですか? …お姉さん…そんなに、拳に力を込めて…」
と、言った…
私は、夫の一言で、自分が、無意識に拳を握り締めていたことに、気付いた…
私は、とっさに、どう言い訳しようか、考えた…
が、
すぐに、言葉が浮かばんかった…
まさか、葉尊と、結婚しなければ、オスマンを狙っていたなんて、とてもじゃないが、口にできんからだ…
すると、葉尊が、
「…お姉さんは、優し過ぎるんですよ…」
と、笑みを浮かべながら、言った…
あまりにも、意外な言葉だった…
「…優し過ぎる? どういう意味だ?…」
「…今、お姉さん…オスマンに対して、同情したでしょ?…」
「…同情?…」
「…隠さなくても、わかります…あのオスマンが、イケメンだという理由だけで、男たちの嫉妬を招く…つくづく、可哀そうです…」
「…」
「…でも、世の中、そんなものです…」
「…そんなもの?…」
「…ハイ…そんなものです…誰も、なにもしなくても、妙に、突っかかって来る人間は、世の中に、案外いるものです…」
「…どういう意味だ?…」
「…ボクが、そうです…」
「…葉尊…オマエが?…」
「…子供の頃、ボクが、なにもしていないのに、同級生の中で、ボクに、わざと突っかかってくる人間が、いました…」
「…わざと?…」
「…父が、事業をしていて、今とは、比べ物にならないくらい、ちっぽけな成功をしていたんですが、それが、気に入らないのでしょう…」
「…気に入らない…」
「…要するに、他人の成功を妬む…自分より、他人が、いい生活をしていることに、我慢が、ならない…そういうことです…」
「…」
「…それが、あのオスマンといっしょです…」
「…」
「…あのオスマンは、長身のイケメン…おまけに、サウジアラビアの王族…金もルックスもすべて、持って生まれています…だから、それが、悔しくて、仕方がない…自分が、どう頑張っても、手に入れることが、できないものだからです…」
「…」
「…そんなオスマンが、今回のように、イスラムの戒律を破ったことが、わかると、まるで、鬼の首を取ったように、騒ぎ出す…オスマンの落ち度を見つけたからです…弱点を見つけたからです…だから、騒ぎ出す…」
「…」
「…まったく、憐れと言っては、言い過ぎかも、しれませんが、なにもない人間の方が、オスマンのように、すべてを持って生まれた人間よりも、人間的に劣っている…ずばり、性格も悪いものです…」
葉尊が、断言した…
私の夫が、断言した…
たしかに、夫の言うことは、わかる…
わかるのだ…
しかしながら、その言葉に、あらためて、私は、葉尊の闇を感じた…
私の夫の闇を感じた…
<続く>
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