関ヶ原秘録

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関ヶ原秘録

 小五郎は富田林の西にある洋館ホテルに滞在していた。部屋で赤ワインを飲みながら夕陽を眺めていると昔のことを思い出した。  1952年5月10日、荒川放水路(日の丸プール)で新聞紙に包まれた胴体だけの男性遺体が発見された。この発見がきっかけとなり、後に頭部と両腕が同じ放水路で相次いで見つかることとなる。頭部から作成されたモンタージュ写真により、行方不明だった板橋警察署の巡査が被害者であることが判明する。  5月17日、捜査により被害者の愛人が犯行を認め、愛人の母親も死体損壊に関わったとして逮捕される。暴力団との交友関係を持ち、暴力を振るっていた夫に耐えかねた愛人は、男を紐で絞殺し、母親と共に遺体をバラバラにして放水路に遺棄したと供述した。この事件は、被害者の素行や暴力、さらに事件後の対応が世間を騒がせた。  その一方で、この事件に対して異常なほどの関心を寄せる男がいた。名探偵、**明智小五郎**である。 --- **明智の調査開始**  56歳になったばかりの明智小五郎は新聞でこの事件を知り、ただの暴力による殺人ではないと直感する。特に、犯行動機や殺害の手口、遺体をバラバラにする冷静さが一般的な復讐心からくるものとしては異質だと感じたのだ。  さらに、被害者の警察官という職業と、愛人とその母親の背景に何か大きな陰謀が隠されているのではないかと考え、調査を始めた。明智は、事件関係者の名前に興味を持ち、そのアナグラムを解き始める。彼は、この名前に文学的な何かを感じ取ったのだ。 --- **アナグラム**  明智は、事件関係者の名前がすべて**戦国武将**に絡んでることを突き止める。たとえば、犯人である愛人の名前が『小早川千秋』、これは関ヶ原の戦いの際に西軍についたにも関わらず東軍に内通した『小早川秀秋』。  さらに彼女の母親の名前が『滝川益子』。信長の重臣で甲賀忍者出身の『滝川一益』を彷彿とさせる。千秋は既婚者で旧姓が滝川だ。さらに被害者の巡査の名前が『黒田政長』、これは豊臣秀吉の軍師、『黒田官兵衛』の息子、『黒田長政』のアナグラムだ。 「これは偶然ではない」と確信した明智は、図書館で歴史書を調査した。 --- **暗号と封印された歴史**  明智は、戦国武将たちの名前が並ぶことで特定のパターンが浮かび上がることに気づいた。彼はアナグラムを解くだけでなく、名前に隠されたメッセージや暗号を探し始めた。戦国時代の陰謀や策略に関連した文献や記録を調査するうち、ある一つの古文書が彼の目に留まった。  それは『関ヶ原秘聞録』と呼ばれる書物で、江戸時代に書かれたものである。そこには、関ヶ原の戦いの裏で暗躍していた秘密結社の存在がほのめかされていた。明智はこの書物に記された暗号と現代の事件との関連を見出し、次第に事態の核心に迫っていく。 --- **封じられた秘密結社『月影』**  この『関ヶ原秘聞録』によると、戦国時代、影で戦国大名を操り日本を統治しようとした秘密結社『月影』が存在していた。彼らは大名たちの間で起こった内通や裏切りを操り、陰から日本の未来を決定づけようとしていた。しかし、江戸幕府の成立とともに『月影』は消滅したとされている。  明智はさらに調べ、現代に至るまで、この『月影』の血脈が密かに引き継がれているのではないかと考え始めた。彼は、被害者の巡査、犯人である愛人とその母親が『月影』の末裔であり、彼らの名前に込められた暗号が過去の陰謀を現代に呼び起こそうとしている証拠だと推理した。 --- **事件の背後に潜む真実**  明智は事件の核心に迫りつつあった。愛人の小早川千秋が男を殺したのは、ただの家庭内の問題だけではなかった。彼女は、男が『月影』の秘密を知り、過去の陰謀を暴こうとしたため、その口を封じるために犯行に及んだのだ。  さらに調査を進めると、黒田政長が実は『月影』の暗号を解読し、彼がかつて守ろうとしていた警察組織の中にも『月影』の勢力が浸透していることを突き止めたことが明らかになった。これが彼の運命を決定づけたのだ。 --- **最後の対決**  明智は、全ての手がかりを元に、事件の真の黒幕と対峙する準備を整えた。その人物は、警察内部で『月影』の意志を継いでいる高官であり、黒田巡査が命を懸けて暴こうとした人物であった。  1952年5月20日、明智は富田林の西にある洋館ホテルで、その男と最後の対決を迎えた。   ---
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