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「ただいま帰りました」
心を落ち着かせてからドアを開け、そう呼び掛けると、一人の老婆が私を出迎る為、玄関に現れた。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「はじめまして、ただいま帰りました」
「私、佐倉と申します」
「佐倉さん。よろしくお願いします」
佐倉さんというそのお手伝いさんは、今までのお手伝いさんの中でもかなり高齢に見えた。
腰が曲がっていて、お辞儀するのも辛そうだ。
「今日の学校は、いかがでしたか?」
この台詞を聞くのは、夏休みなどの学校の長期休みを除いた全ての平日。
そしてこの台詞が、同じ人間から発せられる事はない。
「楽しかったです」
私の返事のバリエーションはそんなに多くないけれど、たまに変える事もある。
今日はシンプルに答えてみた。
すると老婆は、優しく微笑んだ後で、これまでの誰とも違う事を言った。
「お嬢様。もう、嫌にならないですか?」
「え?嫌って・・・」
イレギュラーな展開に、私は当然戸惑う。
「毎日違う人に出迎えられて、嫌になりませんか?まるで、ただいまじゃなくて、お邪魔しますっていう態度で自分の家に入って来るようで・・・」
佐倉さんの言いたい事はよく分かった。
でも・・・
「私が、佐倉さんのマニュアルから外れた発言を協会に報告しても構わないんですか?」
「はい、構いません。ご覧の通り、もう年です。協会を追い出されたって悔いはありません。それに、私はもう、潮時だと思うのです。ですが・・・お嬢様をこのまま放っておく事が、私には出来ません」
「私が、可哀想ですか?」
「はい。可哀想です」
「私にはもう、自分を可哀想と思える感覚は残っていません」
「では本当に、お嬢様が可哀想です」
佐倉さんは、私の手を握った。
こんな人、初めてだった。
「佐倉さん・・・お父さんなりの愛情は、間違っていたんでしょうか」
「間違いかは分かりません。でも、このままじゃお嬢様は、亡くなったご家族からしか愛を感じられません。私は、お嬢様の状況を知った時、継続した愛を与えたいと願いました」
「それは、お手伝いさんとしてですか?」
「何でも構いません。ただ、お手伝いさん選びに協力するだけでも構いません」
「協力・・・」
私は、一人ぼっちだ。
母は、私が生まれてすぐに亡くなり、父は私が七歳の時に亡くなった。
父が残したのは、莫大な遺産と、お手伝いさんを選ぶ権利だった。
「いいかい?この人が良いと思ったお手伝いさんを一人、自分で決めるんだ。良いと思える人に会えるまで、いくらでも試してみるといい。決まるまでは、毎日違う、素晴らしいお手伝いさんが来るように手配しているから。良い人に出会えたらその日、止めればいいんだ」
それが、最期の言葉だった。
それから私は、おびただしい数のお手伝いさんとの、たった一日の出会いと別れを繰り返したのだ。
「お嬢様。もう、止める決意をしませんか?お嬢様は、お手伝いさん選びを、お父さんとの遊びのように感じておられたのですよね?でも・・・最初は楽しかったかもしれませんが、きっと今は、寂しくなってしまったのですよね?それに、一人を選ぶのが怖くなってしまったのではないですか?自分が選んだ人との別れが、訪れるのではないかと・・・」
佐倉さんは手を離し、今度は私の肩に触れた。
「お嬢様。別れは確かに来ます。でも、だからと言って、誰とも向き合わないのはダメですよ」
そんな事を言ってくれた人も初めてだった。
私は急に、泣きたくなってしまう。
「私は、お金持ちだからって、こんなおかしい選択を残した父が嫌です。お手伝いさんを選べ?決まるまでは、毎日違う人を手配してる?おかしいですよね・・・確かに最初は、寂しさを紛らわせてくれました。毎日違う人が来るから、良い意味で緊張感も保てたんです。父の狙いはそこだったのかな、なんて思う事もありました。私に寂しい思いをさせないようにって。でも、父もまさか、こんなに長く続くとは思ってなかったでしょうけど・・・」
「お嬢様、泣いていいですよ」
佐倉さんに可哀想と言われてから、そして、泣いていいと言われた今。
これまで我慢してきた気持ちが、一気に溢れ出してくる。
「佐倉さん・・・」
佐倉さんは泣く私を抱きしめ、背中をそっとさすってくれた。
「お嬢様。いっぱい泣いて下さいね」
私は本当に、いっぱい泣いた。
佐倉さんはいつまでも、私のそばにいてくれた。
「佐倉さん、お手伝いさん選び、協力してくれますか?」
「ええ。もちろんです」
「それから、佐倉さん」
「はい、お嬢様」
「私と友達になって下さい」
「お友達ですか?」
「お手伝いさんならお給料も貰えるし、そっちの方が良いに決まってますけど。でも、佐倉さんとはちゃんと、対等に向き合ってみたいです。佐倉さんは、私を助けてくれた人だから」
「お嬢様・・・こんな老婆が、いいのですか?」
「歳なんか関係ありません。もし、お友達になってくれるなら、“お嬢様”じゃなくて、名前で呼んで下さい」
「はい。かしこまりました・・・」
佐倉さんは私の名前を呼び、私達は友達になった。
お手伝いさん選びに掛かった時間と比べたら、どれほど即決だったのだろうか。
私はちゃんと、人と向き合う努力を始めた。
自分の家で、「はじめまして」と言うのをやめたのだ。
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