第十話 血の絆

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第十話 血の絆

 小さな木造りの家の外では、猛烈な雨が降っていた。  湿った土臭いような匂いがする。雨を感じる度に吸血欲求が増した。  おそらくは身体があの嵐の夜、瀕死になったのを思い出してしまっているのだと仮定している。  一度ラキを吸血したことで吸血鬼族の本能が強まっているということも関係しているのかもしれない。  ……食事が美味しそうに見えない。せっかくラナが作ってくれたのに。  ラナが私によくわからない魔術の作業を手伝わせて長い時間作っていたのは保存食だった。これから旅に出るのだから今のうちに作っておこうと思ったのだという。  ……雨に……保存食……。   確かにあの嵐の夜に保存食を食べたことまでは双子に話していなかったけれど、こう重なると流石に弱るわね。  干した肉の生乾いた匂い。私たちはそれらを囲んだ。ラナがそれぞれの分を取り分けてくれたが、私はしばらく口をつけられずにいた。 「あれ? サキさん食欲ないんですか? そういえば最近食べる量が減っているような……」   ラナがもぐもぐと美味しそうに頬張っている口を手で隠しながら私に聞いてきた。  双子は、もうすっかり私の前で頭の獣耳を隠すことはなくなっていた。  ラナが口を動かすのに合わせて、狼型のような耳が弾んだように動いていた。  ……とても可愛いらしいわね。ラナは、私に負けず劣らずの美少女かもしれない。  私は改めてこの干し肉と少しの雑穀を食べられないのに罪悪感を覚えた。 「そういえば体を動かしたりないとか言っていたな。動かないと体調不良にでもなるのか? 本当に戦闘狂なんだな」    ラキもラナの言葉に乗り、先ほどから少しも食べ進めない私の分の食糧を見て軽口を叩く。  なぜかよく言われるが、私はそれほど戦闘狂ではないと思う。  ただ戦いを楽しんでいるだけよ。 「うーん……そういうわけではないんだけどね」  双子は私を見つめている。……もう言ってしまおうかとも思う。吸血鬼族の本能が強まりつつあり食事が喉を通りそうにないことを。  ラキもラナもその辺りは理解がある。なんといっても亜種族の混血の当事者だからな。  ただ……言うとどちらかを吸血させてもらうことになる。可愛いラナを噛むわけにはいかないから多分ラキを。  ラキもラナが吸血されるくらいなら自身がされるほうが良いと思うはずだ。    覚えていないがラキのことは一度吸血済みでもあるし。ラキは私にかなり心を開いてくれてきたが、 「ねえラキとラナは獣族の特性はどれくらい表れてるの? その耳だけ?」  ラキとラナは話が見えないというような顔をして互いを見合った。こうすると、双子はどちらも黒い髪に赤い目で鏡が合わさっているようだ。 「俺もラナも普通より身ごなしが良いと、父が生前に言っていたな」 「私は嗅覚が人より強い気がしますね」  ……なんか話を切り出しにくいわね。 「実はさ……私……いや……やっぱり何でもない……」    私は結局何も言えずに、水で無理矢理流し込んで食事を終えた。 「ごめん。確かに体調が悪い気がするから今日はもう休む」  2人の方は見ずにそれだけ言って去り、私は部屋に籠った。   *  息が詰まるような深夜。  延々と鳴り止まない滝のような雨音。  先刻流し込んだものは、殆ど消化されていない気がした。 「……はぁ……もう限界ッ……」  私はベッドの上で毛布で全身を包み耳をふさいでいた。雨の音が聞こえなければ、まだしも楽になる気がした。  肉を噛み生き血を啜りたい衝動は、もはや誤魔化しようがなかった。  隣の部屋で寝ているはずのラキとラナへの衝動が私を駆り立てた。 「グ……ッ……」  何とか正気に返り、己の掌を噛む。  流れ出した鮮やかな血。  人族の歯であれば、流れないほどの血が流れた。  指でなぞると、いつのまにか私の歯は吸血鬼族のそれに近くなっており牙のように尖っていた。  血を喉に通すと少し満ちた気がした。  私には吸血鬼族の血も人族の血も流れているはずだから……これで満たされてくれればいいんだけれど。  だが、やはり心は熱く焦がれたままだ。  このままでは気が狂いそうだ。血を……。血。  そうだ、鷲型の殲獣の血が、ラナの研究部屋にあるはずだ。  とりあえずあれで気を紛らわせるしか……。  そう思い、辛うじて立ち上がり部屋を出ようと扉に向かう。いつも軋んだ音を響かせる扉を、ラナやラキを起こさないようにゆっくりと開いた。 「……何でいるのよ、ラキ」 「お前が隠し事が下手すぎるだけだ」  ラキは私の部屋の前で立ち通していた。私に気取られずにいたということはずっと動かずそこにいたのか。 「どいて……ラキ」  焦がれていた生き血(ラキ)が目の前に、いる。 「無理だな」 「深夜に部屋の前で待ち伏すなんて感心できないわよ」 「……言ってろ」  ラキは、あの日、私と共に来ることを宣言して、私が大河でミラクと何があったかを聞いてからは向けてこなかった、あの鋭い目を見せた。  夜闇の中、ラキの赤い瞳が光った気がした。 「サキ、お前は()()ミラクが忘れられないんだな」  こんなときに、そんな目で、その冷たい声で言われてはもう、ラキの目は見れなかった。 「これから雨の度にそんな顔をするつもりか?」 「ラキ……! 怪我をしたくなかったらどいて……!」  涎が垂れる。唸り声が零れる。  もう衝動は抑えられない。これ以上ラキと対峙していたら嚙みついてしまう。  私は駆けた。ラキは一瞬目を見開いて、私はその隙に横を駆け抜けた。 「おいサキ!」 「来るなッ!」  私は、家の中から雨の森へ飛び出した。身に降りかかる豪雨は冷たいのに、体は熱に侵されて火照っていた。 「あ……ッ!」    私はしばらく走ったが、うまく足が動かず、もつれて横倒しになってしまった。バシャバシャと雨水を跳ねてを立ててラキが追いかけて来るのが聞こえた。  私が思わず振り向くとラキは、私の手を掴み向き合ったまま言った。  ラキの首筋は、両腕で私の腕を掴んでいて、がら空きだった。  瞬間、気が付いた時には嚙み付き、その血を啜っていた。  ここ数日は普通の食事が満足に喉を通っていなかったこともあり、無我夢中で啜った。  焦がれた生き血。自身の血では、満たされなかった心が満たされた。  ラキは嚙みつかれ微かに声を零したが何も言わずにただ私を見ていた。  私を駆り立てていた熱が引いて、頭が冷えてた。  ラキの首からゆっくりと口を離した。  雨音と、私の弾んだ呼吸だけが聞こえていた。 「もう雨なんて、大嫌い……」 「……そうか? 俺は案外悪くない気分だ」 「ラキ、血を止めなくちゃ……。……ごめん……こんなつもりじゃなかったのに……」 「血なら大丈夫だ。そのうち止まる。知らないか? 吸血鬼族の唾液にはそうさせる力があるらしい。吸血鬼族の特性の一つだ」  ラキは首筋を抑えながら言った。雨は少し小降りになっていた。 「なんでそんなこと、知ってるのよ」 「お前に初めて吸血された後調べた。家には父が遺した本がたくさんあるからな」 「なによそれ……教えてくれたらよかったじゃない」  言えばサキは素直に俺に血を吸わせるように頼んだのか、とラキは呟いた。  まさかここまで追い詰められるほど、意地を張り続けるとは思わなかったがなとも付け加えた。不敵そうな笑みで。  咄嗟に反論が頭をよぎる。意地を張っていたのはむしろラキのほうではないか。  しかし、やらかしてしまった事の手前、強くは言えなかった。 「……その……首の怪我は、どうなの? 明後日の旅に出るに障りそうだろう?」  また日を延ばそうか、と言いかけたがラキが語気を強めて遮る。 「問題ない。充分先延ばしただろう、出発は」 「……そう、ね」  ラキは立ち上がり、私に手を伸ばした。何となく癪だったが手を取り立ち上がった。 「気分はどうだ? もう落ち着いたか、サキ」 「そうね、身体はもうなんともないけどさ……」  雨の日は今日のことを思い出してしまいそうだわ、と少し拗ねたような声を出してしまった。    ラキは、笑った。夜の森、豪雨の中で。 「よかったじゃないか。これからは、雨の日は過去の裏切り者のことじゃなくて、今いる俺のことを考えたら良い」  思わず笑みが綻びた。暗い森の中、雨が冷たいのに明るく暖かい気持ちが溢れた。  ラキは面白いことを言うものだ。 「でも……またラキの血が……その、飲みたくなるわ」 「ああ、いつでも飲め」  ただし、首筋は遠慮して腕か肩を辺りにしてもらいたいがな、とラキは可笑しそうに言った。  そして私は、確かになぜ、首に嚙みついてしまったのだろうと思った。  ラキは言った。古典的な吸血鬼族の風習で、想い人同士は首筋から互いの血を飲みあったと。 「……はあ!?」 「本に書いてあったぜ」 「知らないから、私はそんな風習なんて! ぐ、偶然に決まってるわっ!!」 「おい、あまり大声で騒ぐな。ラナが起きる」  ラキが少し前方を見やったまま、私の口に手を当てた。 「あ……」  言い合いながら歩いていたら、いつのまにか家の近くまで来ていた。私は声を抑えて言う。 「……正直言ってもうこんな思いをするのはごめんだわ。飲ませてくれるんなら、これからは遠慮なく飲ませてもらうから」 「ああ。俺は構わない。……」  ラキは何か続けて言った気がしたが、軋む扉の音で聞こえなかった。
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