第五話 眩む希望

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第五話 眩む希望

 赤く染まった大河の激流。  私は絶望に打ちのめされていた。必死で、浮かんでいる流木に体を預けた。大河の激流が、何度も顔に叩きつけられて息が続かない。  こうしている間にも、いつ殲獣が現れてもおかしくはない。いくら私でも今の状況では、戦いようがない。一体何故こんなことになってしまったのだろう。  何をどこで間違えてしまったのか。私があの時、違う選択をしていたここまでの事態になることはなかったはずだ。    大河での冒険は、私が期待していた希望に満ちたものとは、まったく異なる悪夢だった。記憶の糸を辿りながら、私の意識は徐々に落ちていった。   *     水の流れる音が聞こえ、足を早める。  森を抜けると晴々とした空の下に、帝国最大の大河が広がっていた。  向こう岸はかろうじて見える程度である。川沿いには、所々に船頭が立っており、私達以外の冒険者も遠くに何組か見えた。 「わぁ……! これが、大河なのね! 思っていたよりもずっと大きいわね」  川というと、村の近くにあったような小さいものしか見たことがなかったが、これは全くもって別物だ。水の流れる音がけたたましい。“大河”と呼ばれているだけありあらゆる面で期待以上だ。   「しばらく川に沿って歩いて、適当な渡船を探すぞ」  ミラクは大河には目もくれずに渡船が集まっている場に足を進める。 「もしかして、ミラクさんは大河を渡ったことがあるんですか?」  慣れた様子のミラクにニーナが首を傾げて尋ねた。 「俺は都シュタット出身だ。西部に来るときに渡った。言っていなかったか?」  都には、辺境と比べて亜種族が圧倒的に多い。  ミラクが、人族の多い辺境では亜種族の体は高く売れると言っていたのを思い出した。 「都と違って西部は亜人共が少なくて清々する」  ミラクは私を横目で見て嫌味を吐く。私が吸血鬼族の混血だと知っておきながら、よくもそんな口を叩けたものである。  亜人とは、亜種族の蔑称である。おそらくこの男には、都出身でありながら亜種族の知り合いとか友達はいないのだろう。  私は人族の村に育てられ、常識は人族のものだ。私はニーナの前では外套を取っていないため、ニーナはまだ私が吸血鬼族の血を引くことを知らない。  話の流れがわからないのか、ニーナは不思議そうな顔をしている。 「都出身だなんて聞いてないわよ。私がどれだけ都を楽しみにしているのか知っているだろう、ミラク? どんなところなのか、少し聞かせてみてよ」  私はミラクに友達はいないはずだからこの問いかけには困るに違いないと思い、嫌味を返すつもりで言う。 「無駄話をしている暇はない。適当な船頭に声をかけるぞ」    ミラクは動じなかった。ミラクは本当にどこから明日この辺りが嵐が来るという情報を仕入れたのだろうか。  「ねえミラク。まだ昼だし、しばらく大河の周辺を探索するのもいいんじゃない?」 「それなら朝早くあの村を出た意味がねェだろう。何より明日は嵐だ。天気は徐々に崩れる。早く渡るべきだ」  もっともな答えが返ってきてしまった。 「仕方ないわね。じゃあ、あの大きな船に乗りましょう。まだ売ってない蒼龍の鱗だってたくさんあるし、お金には余裕あるわよね?」 「でかい船はだめだ。相乗りになることがほとんどだからな。あの船辺りが妥当だな」 「なんでよ? 相乗りでもいいじゃない。私は他の冒険者とも色々話してみたいし、むしろ相乗りがいいんだけれど。嫌でも、たった半日くらい我慢しなさいよ」 「大河を最短で渡れて半日で着くのは、大河の流れが緩やかになる冬季だけだ。普通は流されながら進むから丸一日かかる。一晩は船の上だ。向こう岸に着くのは明日の朝だろうな」  冒険者でない者は、生まれた土地にとどまるのが普通だから、あの村の酒場の店主はそうとは知らずに私に誤って半日で渡れると教えたのだろう。  ミラクは正しい情報を知っていたのなら予め説明しておいてくれたらよかったのにと思った。だが、それだと一つ不自然な点があった。 「明日の朝着くなら、船の上で嵐に巻き込まれないの?」 「その情報は公には出回っていないからな。船頭たちは、今の天気なら出発するだろう」 「ふーん……本当にどこでそんなこと知ったのよ? 今はとても雨なんか降りそうにない晴天だわ」  ミラクは答えなかった。ミラクはいつも、肝心なことは無視した。  私はもっと自分の旅路に責任を持って考えるべきだったかもしれない。数日分の旅の遅れが何なというのだ。嵐が過ぎ去るまで、村に滞在しておけばよかったのだ。    私は、どんな理由であれ共に旅をすることになったミラクのことを徒らに疑うことなどはしたくなかった。  私が抱いていたのは、旅に出た先で出会った仲間と共に未来へ歩むという希望だったからだ。  結局、私たちはミラクの見繕った渡船に乗ることになった。  船に乗ってからは、いつまで経っても現れない殲獣に私が痺れを切らして、川に潜ろうとした。ニーナに危険だと必死に止められたので、止めておいたが。  最悪、殲獣と遭遇できなかった場合は、向こう岸に着いたあとに1人で、川に潜りに戻ればいいと思った。  水は澄んでいて、綺麗に見えた。ミラクの言うように嵐になるとは、とても思えなかった。    渡船の中、数刻。退屈だが穏やかな時間が流れた。  夕食はニーナが用意してくれた。保存食が余っているからお裾分けしたいと言った。 「1人でずっと旅をしてきましたから。保存食を作るのは得意で、たくさん持ち歩いているんです」  可愛くて料理も上手なんて本当に素晴らしい子だと思った。ニーナが旅に加わってくれたことに感謝した。  私とニーナは肩を寄せ合い、狭い船の中で眠りについた。  ポツポツと降り出して強まっていく雨音が聞こえた。ミラクの言っていたことは本当だったのかと思いながら、意識を手放した。    そのはずだった。   *  全身を打つ冷たい風雨の感触で目が覚めた。 「なによ、これ……。私、どうして外に?」  体を動かそうとしたが、上手く動かなかった。仕方なく朧げな意識で暗闇の中、目を凝らしていると、真っ先に目に飛び込んできたものに驚愕した。 「ニーナ!?」  ニーナの胸は赤く染まっていた。斬られていた。 「そんな……」  私は、動かないニーナを抱き起こそうと腕をあげようとした。そこで、縄で縛られていることに気がついた。 「殲獣用の麻酔薬を飲ませたのに、もう起きたのか。このまま何も知らずに溺れ死んでいた方がお前には幸せだったろうぜ、サキ」  満足に動かない体を何とか起こして見上げると、そこには血に塗れた刀を翳したミラクがいた。  ここから先は、もう思い出したくもない。  断続的な意識の中。  私の意志とは裏腹に、何度も何度も、あの光景とあの言葉が脳裏に蘇った。 『サキ、悪く思うなよ。お前は俺の手に余った。それだけだ』  いつもの、ミラク特有の抑揚のない冷淡な声。冷たい瞳。嵐の中、私はミラクの赤い瞳を朦朧とする意識を無理矢理奮い起こしながら睨みつけていた。 「なんでよ!? ミラク……! 私達は、短い間だったかもしれないけど……仲間だったわ! お前は、私の初めての仲間だった……なのに……裏切るというのか!?」  私の腕の怪我が治るまでミラクに付いてまわったギルドでの地味な依頼。  蒼龍を見つけたとき、確かに分かち合ったした高揚。    他人は利用するだけだという態度を貫き、心を開くことを忘れたこの男を救いたいと思った。  いつか心を通じ合わせて笑い合いたいと、思っていたのに。   「ミラク……すべて嘘だったというのか?」  絞り出せた言葉は、それだけだった。 『何か勘違いをしているようだな。サキ、出会った日を思い出すといい。俺はお前を利用していたに過ぎない。お前との旅で心を動かされたことなど、ただの一度もない』  もうお前に利用価値は無い、と。そう告げたミラクは、縄で拘束した私と、斬られて動かなくなったニーナを荒れる大河へと蹴り落とした。 『この方法が一番、処理が楽で良い』  船から蹴り落とされ大河に沈む直前に、ミラクがそう言ったのが聞こえた。  ああ。私はこの男のことを本当に何もわかっていなかった。 『知っているか?人族の多い地域では、亜種族の体は高く売れるんだぜ、生体死体問わずな』 『こんな翼じゃ売っても大して値は張らねェだろうな』 『こいつを見て逃げ出すようなら、今ここで殺して、その翼を売り捌くつもりだった』 『囮、ご苦労だったな。サキ』  今までミラクが冷たい声で私に言った言葉が浮かんでは、消えた。  私は、この軽口は、冷淡で、でもどこか可哀想な男なりの不器用な意思疎通だと思っていた。  とんでもない、思い違いだったわ。  あの男の言葉は、あの冷酷な瞳は、すべて本心だったんだ。なんて孤独で哀れな男なのだろう。改めてそう思った。  ただ、共に旅をしていたときの、ミラクを救いたいという気持ちはもう湧き出てこなかった。  何の罪も無かったあのニーナを殺し、私のことも殺そうとしたあの男に対して感じるのは、もはや憎悪のみだった。  溢れるほどに胸の内側から感じていたはずの希望の光は、ゆらゆらと掻き消えていった。
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