1  ティプトリー

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1  ティプトリー

    夏達の通う高校は、駅からバスで25分かかる緑がベタつく鬱蒼とした所にポツンと建てられた言わば、厄介払いされた偏差値30〜40ほどの世間様から「おバカ学校」と嘲笑される学校だ。  夏には本当はもっと行きたい学校があったのだ。   しかし受験日当日に交通事故に会い、晴れて滑り止めにと受験したこの学校の一、生徒として配属されてしまった。あのグレーのSU○ARUの車を夏は一生忘れない。  行きたくないと駄々をこねる夏が、親に引きずられながら登校し見た光景はド派手な化粧、ずり落ちそうなスラックス、床に落ちてるコンドーム、抱き合うカップルと思わしき男女、それらに頭を抱える教師の姿だった。  その時夏は、すぐにでもこの学校をやめ、通信制高校に通うことを決意した。  とにかくここの生活は夏にとってはストレスが貯まる場所でしかない。  勿論、下品なクラスメイト達から織りなされる数々の光景もそうだが、教師陣も生徒に負けず劣らずの厄介者がちらほら居る。  彼らは大抵、夏達生徒に対し、舐めてかかった態度であからさまに「お前らにこんなこと、出来ないもんなあ?」と言わんばかりの態度でふんぞり返っている。  その教師陣の中でも、特に気に食わなかった影山に、小テストで手の甲に書いたメモからカンニングの冤罪を着せられた夏は嫌気が差し、階段を上がり屋上に向かった。  4月の終わり頃、彼は屋上の先客として、一人で地べたに座り込んでいた。  何となく、いつもクラスの中で見る彼とはどことなく別人の様にじっと、屋上の太陽に熱せされた硬いコンクリの床を見ている姿がうっすらと見えた。  何となく見てはいけないものを見てしまったようで引き返そうとした時、  「あ、えーと、村田さん?だっけ?」  と、何処かひょうきんな彼の声が背中から聞こえてきた。しまった…と思いながらもこのまま、気が付かなかった振りも出来ず渋々屋上へと夏は足を戻す。  彼はまた、『クラスメイト用の彼』に戻っていた。  「ごめんね〜俺、人の顔と名前一致させるの下手だからさぁ、合ってた?名前?」  とヘラヘラしながら話しかけてくる彼はやっぱりこの学校の生徒らしい。  自由奔放で何も考えていない、人の気持ちよりも自分の気持ちファースト。悪気もなく思ったことを口に出す自分たちをコミュニケーションの要領を掴んでいると自負しているような…と、夏は頭の中で悪態づきながら無愛想に答えた。    「違う。村井。」  「?」  「私の名前。村井夏。」  「………、ああ、そうだそうだ!そうだった、なんかさ〜あの、さだめナントカみたいな本読んでる人!」  彼は満面の笑みでヘンテコな返答を返す。  「何?さだめナントカって。」  「あれ?言ってなかった?自己紹介で…。」   そこまで聞いてやっと思い出す。新学期の自己紹介で夏は  「村井夏です。〇〇中から来ました。愛読書はJ・ティプトリー・ジュニアの『愛はさだめ、さだめは死』です。」  と話したのだった。これはいわば、クラスメイト達へ牽制のようなつもりだった。それに、教師達大人にも舐められたくなかったのだ。無教養なクラスメイト達と同族と思われたくなかった。  まあしかし、案の定、脳筋の体育教師の担任は「おお、なんかすごいな。じゃ、次!」とだけコメントし受け流され、クラスメイト達の大半から夏の発表は  「村夏でぇーす、私わぁ、ジュニアの…なんだっけ」 「ジュニアでーす。俺のここ!ジュニア君だよぉ〜。」 「やめてよ〜可愛そうじゃーん。」   等の格好の彼らのネタにされてしまった。    今でも思い出すだけで体中の汗がじわじわと出て、恥ずかしくなってくる夏のこの学校初の黒歴史だ。  彼の口からそのことに触れられた瞬間、この場に留まってしまったことに若干の後悔をし始めた。    しかし、彼の口から発せられたのは彼女に対しての嘲笑の言葉ではなかった。  「村井さん、頭いいんでしょ。俺達、全然本なんて知らねーもん。なんか、いかにも俺達とは住む世界が違う人っぽいし。」    その言葉に戸惑いつつも、恥ずかしさと嬉しさを隠そうと、夏も返答する。  「あー、いや、全然。私、勉強できないし…。ぶっちゃけ、あの本もあんまり理解できなかったし…。」  と、そこまで言ってしまってからまた少し、夏は自分が恥ずかしくなった。  本当は薄っすらと気がついていた。  自分の相手を牽制しようとムキになって必死に、同世代の皆が知らないであろう作家の本を探そうとしていた自分。そうやって自分という個性を必死に出そうとしている姿が、クラスメイト達には『イタい』と捉えられていたこと。  そのことから逃げたくて、相手は自分より無知なのだからと言い訳して、自分の恥部から目を逸らしていたこと。    そのことを彼に悟られたかもしれないと心の中で焦り始める。  しかし彼は特に夏の発言には気を留めていない様子だ。そして続けて  「なんでその人知ってんの?」と聞いてきた。    「いや、なんとなく…本を中学の図書室で見つけたから…作者のことはよく知らない。」と返してみる。    「いや、俺も本は知らねーんだけどさ、もしかしたら、俺の勘違いかもだけどさ〜、その人、銃で死んだ人じゃなかったっけ?違ったらアレなんたけど…」  「え…、あ、そうなの?」  まさか彼が、マイナーな文学作家の知識を持っているとは思わず、少し驚きの声が言葉に混ざる。  「うん。確か。俺、今ちょっと病んでるからさぁ〜。なんか調べたら出てきた。銃で心中?したんだよ。相手もろとも。二人とももう、じーさん・ばーさんだったみたいだけど。」  彼は何時ものひょうきんな顔で明るく物騒な話をし続ける。    「なんかさ〜、絶対こういうこと言うの間違ってんだろうけど、ちょっと格好良くねぇ?ハリウッドスターみたいじゃん。」  「うん。ちょっと格好いいね。」  驚きながらもつい、同意していまう。  銃なんて平和な日本に住んでいる私達とは、なかなか接点がない物騒なものを、年老いた自身のパートナーに向ける晩年のティプトリー。確かにその姿は何処かハリウッドスターの渋い俳優・女優が繰り出す映画のワンシーンのようだ。  「だよなぁー、カッケーよなぁー…。いーなー、アメリカ。」    そう言いながら彼は屋上の鉄柵に寄りかかり、空を眺めた。  「あ、で、でもさぁ、アメリカって気安く救急車とか、呼べないんじゃなかったっけ。医療費とか保険効かないから、すごい額、請求されるんだよ。」   と、おずおずと夏も鉄柵に手を掛けて、声を弾ませて答えてみる。  「あ~マジか〜、じゃあ俺、破産すんじゃん。」  マジかよ〜と大袈裟にヘコむ彼を見て夏はこの学校に来て、始めて笑ってしまった。  それにつられて彼もえへへと笑い返す。  ずっと、こういう友達が欲しかった。  こうやって変に牽制しないで一緒にちょっとしたブラックジョークを言い合えるような…。  そんなことをぼんやり考えながら、嬉しさに浸っている彼女の耳に、学校の五月蝿いチャイムが聞こえてきた。  「やべ、次、保健じゃん!俺、単位やべーのよ。週一回しかねーじゃん?」  チャイムが鳴り終わったと同時に彼は慌て始めた。  「あー、うちは今日はもういいかな。ヤなことあったし早退する。」  少し彼とのおしゃべりが中断されたことを残念に思いつつ答える。  「えー、ヨユーじゃん。」  「うん、だって今までオールで出てたし。疲れた自分へのごほーび。」  そっかーと答えた彼はふと、何かを思い出したようにブレザーのポケットの中で何かを探し始めた。そして、 「はい、コレ。」 と細長い薄い小さな板のような物を夏に手渡してきた。  「何これ?あ、栞?」  確かにそれは、薄っすらと張り巡らされた金縁や銀縁が剥がれてきてはいるが、少しずっしりとした元は高級そうな栞だった。  「うん、そう。なんか入学祝いとかで、親戚がくれたんだけど俺、本読まねーし。村井さんにあげる。」  夏は慌てて答える。  「え、もらえないよ。そんなの。」    そう慌てる彼女に彼は、いーのいーのとだけ言い残し、慌てて二回目のチャイムが流れる中、階段へと突っ走っていった。
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