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    なんとなく、なあなあでもらってしまった栞を自宅に戻った夏は自室の机にそっと乗せてみた。  机の隣からカーテン越しに流れてくる太陽の光に反射し、時折きらきらと輝く栞が『クラスメイトから貰った物』だと思うと何となく、より一層、特別なものに映る。  高校に入って、クラスメイト達がよくお昼休みにお菓子を交換する現場をよく目撃したが、真逆最初にクラスメイトに貰うものが立派な栞だとは思わなかった。  「センスいいよねぇ、これ。」  と、独り言を呟きながらそっとその栞を手にとって眺めてみる。  ふと、栞に何やら文字らしきものが目に入り込んできた気がした。なんだろうと少し錆び始めた銀縁に目を近づける。どうやら小文字のアルファベットのようだ。何となく気になり、机の引き出しからメモ用紙を取り出し順番に目に写ったアルファベット達をメモ用紙に写してゆく。  「これ、URL?」    長い文字列を目を細め、必死に解読し、目がチカチカし始め筋肉のない腕が悲鳴を上げ始めた頃、ようやくすべての文字を書き写し終わった夏は、彼が自分宛てに暗号を送ってきたのかもしれないと、何処か伝言ゲームのようなワクワク感からスマホの検索画面を開き始めた。  多分、印刷されたような均等に書かれた文字列ではなかったことから栞を作った会社のものではなさそうだ。  何が表示されるのかと少しワクワクしながら、すべてのアルファベットを検索バーに打ち込み検索のボタンを押す。  明るい画面に表示されたのはどうやら個人ブログのページのようだ。誰でも聞いたことのあるような大手のブログサイトから書き込まれたのであろうそのページには、  『コーコーセーのひとり言』  『普段のSNSとかには書けないこと 書いていきます。あっちに書くと友達に見られるので』 とある。 どうやら、彼の個人ブログのようだ。今、SNSが自己主張する際の王道のツールとなったこの時代に、ブログを開設する若者は少ないため、知人に見られまいと思い書き始めたのだろうか。自己紹介の部分にも友人には見られたくないと書いている。 最新のブログを、何の気なしに閲覧してみる。タイトルは  『学校に行きたくない』  思わず「えっ」と声が漏れた。あんなにクラスの中でわいわいと下らないことでふざけ合い、ニコニコとクラスメイトの輪の中でこれぞ『青春』というような生活を送っている、彼の姿が脳裏を過る。  と、同時に昼間見かけたコンクリの床を、何処か虚ろな目で眺めていた彼の姿が思い出される。  「そういや確かに『俺、病んでるから〜』みたいなこと、言ってたけどさ…」  そりゃあ、悩みのない人間なんていないだろう、と頭では分かっていてもヘヴィーなイメージのある『不登校』という単語と彼の姿は、どうしても頭の中で重ならない。  驚く気持ちを抑えながらブログの内容に目を通す。  『なんだか最近、得体のしれない、モヤモヤした気持ちの悪いものが胸のあたりにつっかえてる気がする。正直、すげー気持ち悪い。そのせいなのか学校に行くのめっちゃだるい。俺、自分で言うのもなんだけど悩みとかないぜ?なんで?誰か詳しいこと分かる人いたら頼んます。なんとかしてこの状況を分析してくださーい。また何か変化とかあったら書いてきます。』  何処か慌てている中にも、おちゃらけた雰囲気があるこのブログは間違いなく彼のものなんだろう。  「でも、何も悩みなんてないんでしょ?うちの家みたいに…」  と、心の中で呟いてみる。  夏の自室にはまだガムテープが剥がされていないダンボールが山積みなっている。  夏の両親はもう二年も前に離婚しており、夏は仲の良い母親についていった。夏の母親は図書館の司書をしており、夏が小さい頃から様々な物語を教えてくれた。  同じパンを何時も買いに来るお客にチーズをこっそり挟んだパンを渡した間抜けなパン屋の話、知的障害を持つが心の優しい青年が脳の手術を受ける話、株の暴落によりボロボロになった男の人が、安楽死を提供してくれるホテルで女性と出会いもう一度人生をやり直そうとする話。  英語が苦手な夏と血が繋がっているとは思えないほど、外国語を習得するのも母は得意だった。今では夏の母はフランス語の習得を試みているくらいだ。  夏は母に対して愛情と同じくらいの劣等感も抱いていた。  「なんでこういうところばっかり『あの人』に似てんだろ。」     夏の父親はあまり勉強が得意な人ではなかった。軽い学習障害のある父親は、それをバネにと必死に教員免許の試験を受けたものの、見事に落ちてしまい仕方なく事務職に落ち着いた。しかし、そのことから、父は夏の母に対してどこか劣等感を抱えているところがある。と、夏は感じていた。それもあってか、夏は父親の笑った顔を見たことがない。  何時も「この世には何も面白いことはない」と、言わんばかりの仏頂面で家に帰ってくる父親が、夏は怖かった。どことなく、窶れた父の横顔も小さい頃に見てしまったホラー映画に出てきた死神のようだと思って怯えていた。  そうやって怯える夏に母は「そんな態度とったらお父さん、悲しむでしょ。本当はああ見えて繊細な人なんだから。」となだめる。  父親は何時もムスッとはしていたが、夏に暴力を振るうようなことはしなかった。今にして思えばそれが、母と父の間を取り持ってくれていたのだと夏は思う。  三年前の秋頃、夏は秋服が欲しいと思い、母親におねだりしていた。  「ねえほら、このブラウス良くない?これで3980円だしさ、ね、だめ?」  母はサンキュッパかー、どうしようねぇ〜と笑いながら  「ねぇ、どう?お父さん。お給料入ったばっかりだし…」  と父の様子を伺った。  いやいや務め始めたとはいえ、父は、今では事務職でかなりの大役を任せられる程のポジションを確立していた。そのため給料もそれなりに貰っているはずだった。しかし彼は夏達の住む家の家賃も、夏の教育費も、一切払っていなかった。夏は父親がずるいと思っていた。母は父に甘いと感じ、母の気の弱さに対して一抹の不安を抱いていた。  だからこそ、せめて夏の洋服代くらい出してほしいというのは当然のことだった。  しかし、その日は特に父の機嫌が悪かったのか  「服?前にも買ったのあるだろ。そんなに買ったところで夏は制服だぞ。普段。いらないだろ、そんなの。」  と無愛想に言い切った。  夏は夏でその日は生理二日目ということもあり少しイライラしていた。そんな中で可愛いと思った洋服を「そんなの」と切り捨てる父親に対してつい、応戦してしまった。    「何さ、『そんなの』って、お父さんなんて服以上に役に立たないフィギュアとか漫画ばっかり買ってるじゃん。そんなに言うならせめて、家賃か、私の教育費くらい払いなよ。私もお母さんもおかしいと思ってるんだからね。お父さんの方がお給料いいのにっお母さんに家計のこと頼りっぱなしで恥ずかしくないの!?」  と、そこまで一息で言い切った次の瞬間、夏の右の頬に熱いものが走った。   きゃー!という母の悲鳴を尻目に、うっすらと目を開いた夏の目には、後悔半分焦り半分の父親の顔があった。  そこからはあっという間で、夏と母の中で確立されていた、家族に手は上げない「根は悪い人ではない父親像」は消え、冬になる頃には父と夏の関係はプッツリと切れてしまった。  両親が離婚届を提出したことを知った夏は、ぼんやりと記憶の片隅にあった、昔連れて行かれたイベントで父に肩車され、こいのぼりを見た思い出が記憶から薄らいでゆくのを感じた。  離婚とともに今の家へと引っ越した夏はそれ以来、原因不明の倦怠感に襲われ、なかなかダンボールを開けられなかった。  やっと取り出したのは必要最低限の物、学校に必要な教科書や筆記用具ぐらいだった。  「このままじゃ虫、湧くよなぁ。」  分かってはいるのだがどうしても頭の中で片付け用の頭に切り替えられない。 そんな自分のような、言ってしまえば『分かりやすい悩み』を持っていないのであれば一体、何が彼をここまで苦しめているのだろう?  と夏は同級生・熊本藤谷に話を戻してみる。  もし、このURLが書かれた栞を故意で私に渡したのならば、きっと彼はどうにかしてこの原因を私に見つけてほしいのかもしれないと夏は思った。  途端に自分は今、人から頼りにされているのかもしれないと、どこか使命感に掻き立てられている気がする。  早速夏は彼の他の日のブログも資料の一貫として見てみることにした。
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