4  みんな単純

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4  みんな単純

    夏は2時間目の終わりの休み時間、彼にどう接触したものかと悩みこんでいた。彼はクラスのムードメーカーと認識されるだけあって、いつも友人が誰かしらが、彼の机の周りにたむろっている。  このままではすぐに休み時間が無くなってしまう。話しかけるのはお昼休みにしようかとも考えたが、昼休みはみんな購買やらトイレやらで人と行き来が激しくなる。そんな中だと落ち着いて話あえない。  正直、そこまでする義理があるのか夏も不安ではあったがうじうじしている自分にイライラしてきている自覚もあった。そのため、なるべく平静を装いつつ、彼の机の友人が比較的少ない今を狙い、声をかけた。  「熊本くん。ちょっといい?係のことで聞きたいことがあって…。」  そう夏に声をかけられた彼は一瞬きょとんとしたものの、すぐに  「いやー、俺、役に立ちますかねぇ〜。」  とふざけながらも席を立ち、夏についてきた。影では  「誰だっけ?あれ?」  「知んなーい。告白だったりして〜。」  「えー、頑張って〜ナントカさーん。」  と茶化すクラスメイト達の声が聞こえてくる。それを聞いた隣のクラスの男子も一緒になって茶化し始めた。  夏は苛立つ気持ちを抑え、何も聞こえていないという表情で彼と出会った屋上へと続く階段を登り始めた。 屋上に到着してすぐ、藪から棒に彼は  「あいつら単純だよなぁ」  と、ぼそっと呟いた。  「ほんとねっ」  と語気を荒めながら答えた夏は、彼の顔がまた、あのとき屋上で始めてみたどこか別人の様な顔に変わっていることに気が付いた。  夏は慌てて言葉を続ける  「あ、でもほら、熊本くんはそういう子達とも上手くやっていってるしさ。すごいと思うよ。」  「うん…。でも俺、時々あいつらの間抜け面見るとイライラすんだ。まるで自分たちが思ったことが正解って感じじゃん。」  彼の声は何時ものあの、お調子者の姿から発せられる拍子抜けした声とは180度違う、厳しさのある冷たい声になっていた。夏は見慣れない彼の姿から、人の心の闇を見てしまったようで途端に冷や汗が出て、背筋が寒くなるのを感じた。春真っ盛りのポカポカとしたのどかな周りの空気もこの空気の中ではハリボテのようだ。  そんな夏の表情を見た彼はやっと夏たちの見慣れた『クラスメイト用の顔』に戻ったようで、  「嫌、だってさぁ〜最近うざいくらい影山の奴、小テストやってくんじゃん?英語の大柴も今日はやたらとうるさかったしさぁ〜。別にいいじゃんなぁ〜宿題やってない奴が多いくらい。やってくるやつがいるだけ有り難く思えっつーの。  まあ、ストレスフリーの俺だってさぁ、そーゆー環境に身ィ置いてっと色々とストレス貯まるのよ。」  どこか言い訳のようにも聞こえたが夏はその助け舟に乗るように   「そ、そーだよね、あいつら自分たちが教師だからってちょっと、威張り過ぎなところあるよね。あくまでも教師と生徒は対等なものなのにさ。だ、第一私達生徒は教師よりも年下なんだから。だから色々教えてもらうってことで親にも教育費出してもらってんだし。お給料出るんだからもう少し愛想よくしてほしいよね。嘘でもいいから。」    と、彼に負けず劣らず一息でベラベラと話してしまった夏に追い打ちをかけるように昼休み終了を知らせるチャイムが鳴った。  「あ、やべ。村井さん、どーする?」  「あ、ごめん…、その私、本当は…、その、勘違いなら悪いんだけど、もらった栞に書いてあったの…。」  そこまで言った夏の様子を感じ取ったのか彼はまた、いつもの調子で  「えっ!あれ見つけたの。すげぇ。村井さん探偵みたいじゃん。俺のあのメンヘラブログ見つけたんだ。」    とニコニコしながら嬉しそうに笑った。    「あれ、キメぇよなぁ。引いた?」  「う、ううん。ちょっと普段とのギャップにビックリはしたけど…。あ、でもそういうのって皆あるじゃん。私もあるし。」  そっか、と彼は夏の返答に、本当に安心したようだった。  「何となくさぁ、村井さんならあーゆーの『キモい』とか『かまってちゃん』で終わらせないんじゃないかな〜って。俺、本気で悩んでるしさ。ほんとに無いんだよ。そーゆー病むようなストレスみたいなのは。」  夏は黙って頷きながら彼の言葉を聞いていた。    「私、今、熊本くんの話聞いてやっぱ、思ったんだけど、そーゆー病むこと?心の病気とかって原因が分かんないことのほうが多いし当たり前なのかもな〜って。これかもな〜?みたいな後付の理由とかはあるかもしれないけど、結局のところは皆、理由を提示されてもピンときてないんじゃないかな。」    だから熊本くんの悩みの原因が分からなかったりピンとこないのも普通なのかもよ、と夏は返す。  熊本くんは夏のことをまるでノーベル賞受賞者を見るかのような、驚きと関心を滲ませた目で見つめている。  「すげー!村井さん、本気のカウンセラーとか、そういう人みてぇ!」  夏は素直に相手を褒める彼の言葉が少しくすぐったかった。     「い、いや、こーゆことって結構みんな考えてるでしょ。私以外にもとっくにそういうこと発見した人いると思うし。」  「そーかぁ?少なくとも俺の周りにはいねーもん。だから十分すげーよ。」  「そ、そう?あ、それで熊本くんのブログを読んで他にも色々考えたんだ。」  夏は、自分でも調子に乗ってきていることを自覚しつつ、素直にすげぇすげぇと褒めてくれる熊本くんを喜ばせたいという気持ちからかなのか、ベラベラと喋り続けた。  「今、熊本くんのブログの5日分まで目を通したんだ。それでやっぱり気になったのは初日のお母さんとのやり取り。熊本くんのお母さん、具体的にどういうことに対して心配してたの?なんか熊本くんには賑やかな子達は合わないみたいなこと言ってたみたいだけど…」  『お母さん』というワードを聞いた彼は少しまた、暗い表情を見せた。  「あー、いや俺、その……  私生児なんだ。とーちゃんいねーの。ブログの中では見栄のためだろみたいに書いてるけど…。なんかかーちゃんはそのことでうまくコミュニケーションが取れないんじゃって心配しててさ。流石にこういうことは書けねーしな。」  夏はしまったと思った。  すっかり彼の話すことばかりを真に受け、彼を環境的には何も問題がないのにも関わらず病んでいる人なのだとばかり思い込んでいた。  「あ、ごめん。言いにくいこと無理に言わせちゃって。」  夏は誤りながら後悔していた。やっぱり私は調子に乗らないほうがいい。こういう複雑な、デリケートなことはプロの人の任せたほうがいいんだ。  しかし彼はさほど気にしていないといった様子で、  「あ、いや気にしないで。俺自身、そういうことが原因だとはぶっちゃけ、あんまり思ってねーんだ。俺が物心付く頃にはじーちゃんばーちゃんがかーちゃんと一緒に俺の面倒見てくれてたから。そこに関しては正直悩んでない。むしろ俺が今、病んでることをそのせいにされることのほうが困るんだ。」  彼は続けて  「そもそもかーちゃんが私生児だから〜とか言って俺のコミュニケーションのことで悩んでる理由にさ、なんか俺、小さい頃に、小学校とかでついさっきまで悪ふざけとかして遊んでた友達と、いざ別れた瞬間めっちゃ泣くみたいなこと、あったらしいんだよね。めっちゃ楽しかったはずなんだぜ?でもいざそいつらと別れたとき、途端にほっとして力が抜けるみたいな感覚になってさ。」  何となく、人のデリケートな家庭の話を交えながら聞かされる話を聞いていた夏は自分がこのような話を聞いていていいのかと不安を覚え始めた。それでも熊本くんは、話し続ける。  「ぶっちゃけると、たしかにそりゃ、あいつらと友達になりてぇ。そのためにはあいつらに気に入ってもらえるやつになんなきゃ。みたいなことは考えてるし、全く気を張ってないといえば嘘になるけどさ。それでも、なんだかんだで気に入ってもらえることは出来るし、そうなればすげー嬉しいんだぜ?みんなそういう相手の機嫌を伺うみたいなことはするだろ?」  なあ?と少し不安そうに熊本くんは夏の顔を覗き込む。   その表情は今にも消えてしまいそうなほど不安定な彼の気持ちが滲んでいた。  必死に夏も返事を返す。  「そ、そりゃあみんなそういうのあるよ。そんなの当たり前じゃん。特にこう言ったらなんだけど、女子のほうが男子以上にそういうことに気を張ってると思うし。その気疲れだけで病むみたいなことはないよ、きっと。」  しかし、夏はそう言いながらもどこか自分の発言の中に的をいてしまっている部分があるように感じた。  もしかして…。いやしかし、もし、熊本くんにそんなことを言ってしまったら…。  そんな夏の不安を助長させるように熊本くんも言葉を返す。  「だ、だよな?かーちゃんは俺の病む原因はそこにあるとか思っててさ。俺はもっと大人しい物静かな奴とつるむべきだって。でも俺は、ヤなんだよ。仮に、仮に俺がそういう騒がしい奴らと合わないとしてもさ、やっぱり友達になりたいやつと友達になりたいじゃん。特に俺達高校生はさ。友人関係が全てみたいなところあるだろ?」  「そ、そりゃあ授業参観とかでかーちゃんが来れないとき、じーちゃんばーちゃんが来て、二人のこと好きでもやっぱり『あの二人が自分のとーちゃんかーちゃんだって周りに思われたくないな』とか思ったりしたこともあったよ。そ、そういうこととかのせいで皆に自分のこと格好いい奴、イケてる奴って思われたい気持ちはそりゃ、人より少し強いかもしれないけどさ…。」 殆どそれは告白のようなものだった。そう震えながらまるで犯罪の自白でもするかのように、顔を俯けながら熊本くんは話している。  熊本くんはきっとほんとは分かっていたのだとその時夏は確信した。  熊本くんはきっと自分のことに対して正直すぎる。皆が『自分』を保つために必死に見ないでおこうとしている恥部の部分に真正面にぶつかってしまっている。  夏は必死に彼の顔を見まいと顔をそらしながら懸命に言葉を紡ぐ。 「絶対に『そういうこと』が原因なわけじゃないよ。もっときっと根深いところにあるんだよ。そ、それに元々こころの病気って脳が原因みたいだし。風邪みたいに、原因とか関係なくある日いきなりなっちゃうものみたいだしさ。」  「俺、やなんだ。原因なんてほんとはどうでもいい。それよりこのモヤモヤから開放してほしい。なのにそーゆー医者ってすぐ原因を見つけようみたいなこと言うじゃん。見たくないものって皆あるはずなのにさ。抱えてるはずなのにさ。なんで病んだやつだけそーゆーのと向き合わなくちゃいけないんだよ。」  もう、お互い言いたいことだけ言い合って、会話を成立させようとしてはないことが、夏は分かっていたが、それでもせめて相手のために話しているという気持ちだけでも伝えようと、必死に熊本くんをなだめた。    「私がさ、見つけるよ。熊本くんのそのもやもやもの解決法。原因じゃなくて。そういう原因が何なのかを突き止めるなんて、基盤を壊すような怖い真似しないよ。だから大丈夫。」  「ほんと?」  熊本くんの声はもはや小さい男の子のように頼りないものになっていた。  「ほんとだよ。熊本くんと今のグループとか、周りにいる子達と引き離す以外の方法、見つけるよ。私が。」  夏がそう答えるとやっと熊本くんは落ち着いたようだった。そして、  「ああは言ったけどさ、あいつ等も悪いやつじゃないんだぜ。」  と、少し嬉しそうに話した。  その熊本くんの言葉の真偽なんて、夏にはどうでも良かった。夏は学生にとって学校内の理想通りの友人関係が、心と体のバランスを保つのには絶対に必要なものだということを知っている。夏に限らず世の中の学生は皆、そのことを知っている。だからこそ、大人の手を借りるなんてその理想から一番かけ離れた、致命傷となるようなことなんてしない。    熊本くんはきっと今の子たちと引き離されたら、そんな自分を受け入れられないだろう。彼はもう十分、自身の恥ずかしさから心の傷を受けてしまっている。彼は夏のように諦めることができない。仕方がないことなのだと、合わない友達を切り離すことができない。今や熊本くんのアイデンティティや精神のバランスを保つのに『イケてる子たち』とつるむことはなくてはならないのだろう。それに、そうやって今、彼が悩んでいることと、彼が私生児であったことからの出来事の関係性を持ち上げて、これが原因だと決めつけてしまえばきっと彼のお母さんも傷つくことになる。  だったら一番の対策はどうやって合わない友達である彼らから受けるストレスを緩和させ、周りにそれを悟られないようにするかが重要になってくると、夏はぐるぐると高速で回転する頭の中でふと、どこか冷静な自分がいることを不思議に思った。
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