国語の教科書

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 春、葉桜の小学校。  四年一組の教室の窓から教科書を読む声が聞こえてくる。  国語の時間、教科書の「一つの花」の朗読だった。  先生に当てられたのは秋野美結。  泣いて、最後まで読み切れなかった。  戦争で永遠のお別れになってしまう家族のお話。  あふれてくる感情。  ぬぐっても次々と涙がこぼれ落ちる。  全員がもらい泣きした。 「あの体験をもう一度やってみない?」  自分たちで心の琴線に触れる物語を作ろう。  それが先生が出した夏休みの宿題だった。  猛暑の中、それぞれが思い出をたどって一生懸命に文章をつづった。  愛犬が大ケガをした話。  おばあちゃんが天国へ旅立った話。  友達に仲間はずれにされて寂しかった話。  二学期、教室で発表会が開かれた。  だけど、一人もうまくいかなかった。 「お話を書くのって難しいね」  みんな、先生が言う通りだと思った。  文章で心を動かす困難さを実感した。  それから二十年。  美結はまだ諦めずに物語を書いている。  あの一冊の教科書をきっかけにして……。  諦め切れない生徒がもう一人いた。  美結の朗読を隣の席で聞いていた赤山智史だ。  彼も小説を書き続けていた。  先生の訃報を聞くまでは。 「宿題、とうとう間に合わなかったね」  通夜で美結と再会した智史は筆を折ったことを告げた。 「私、締切は天国でまた先生に会うまででいいかな」  美結は夜空を見上げた。  夏休みはとうに終わっている。  明日はまた来る。  宿題はまだ続いている。 (了)
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加