家には帰りたくない

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「…………ただいま……」  もはや、あってない挨拶で玄関に入る。最初から、ここまで小声だったわけじゃない。こうなってしまったのは彼女の――祖母のせいだ。  毎度の如く一番に、祖母のトキは玄関にやってくる。温和を顔に貼り付けた笑顔で、なぜかいつも走ってきた。 「きららちゃん、今日もかわいいねぇ!」  そうしてお決まりの第一声を発射――これが毎日のルーティンである。  祖母は『おかえり』よりも先に『かわいい』と褒めた。それだけなら全然いいし、多分モヤモヤなんてしなかった。  この時間に心が痛むのは、私が“きらら”ではなく“弘子”だからである。  そう、彼女が褒めているのは私ではなく、私の知らない誰かだった。  つい数ヶ月前までは、ちゃんと弘子ちゃんと呼んでくれていたのに。認知症が酷くなってからは、私を“きらら”と間違える。父のことも母のことも、まだちゃんと名前で呼ぶのに。  祖母のことが大好きで、両親よりも愛しい存在だった。共働きだった両親に代わり、私を甘やかしてくれたのが彼女だったからだろう。  近い過去の時間を、長く陣取っていたのは私のはずなのに。それなのに、一番に消えてしまったことが悔しく悲しかった。
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