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荒れ果てた大地で力尽き、どうしようかと思案しているところだった。
リアルマネーで購入する高価な蘇り天使を呼んでこの場で復活するべきか。それともチェックポイントまで戻ってこの長くて退屈な道のりを再びなぞるのか。
でも、お小遣いは使いすぎてしまっている。
悩ましい局面でドアがノックされた。
「哲太?」
母さんが遠慮気味にドアの外から呼びかけた。
部屋に閉じこもってゲームをするようになってから、許可してもないのに勝手にドアを開けるなと怒鳴り散らしたら、母さんは一定の距離を保つようになった。
こっちが返事をしなければそのまま立ち去ることもある。
「クラスメイトの飯束千颯さんが来てくれたわよ」
どうやら返事をしなければならないようだ。
まったくもって、面倒くさい。
今までも何人か来てくれたことがあったが追い返している。きっと彼らだって渋々来てるんだろうから、門前払いされた方が楽ってもんだろう。
なんでそこは察してくれないんだ。いちいち声をかけずに帰ってもらったらいいのに。
ところが玄関どころかドアのすぐ向こうで女の子の声がした。
「あのー。飯束です」
なんだよ。何でもう家に上がり込んでるんだ。こんなやつ初めてだ。
飯束千颯とは誰だったかを思い返していた。
同じクラスになっていたことは忘れていたが、同じ小学校に5年間も通っていたら名前と顔ぐらいは知っている。
委員長タイプの子ではなかったと記憶してるけど――
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、入ってもいいかな?」
「え? ちょ、ちょっと待ってよ。いきなりなんだよ」
かくして悩ましい局面の選択肢はあっさりと決まり、慌ててゲームを終了させて部屋を見渡した。別に見られて困るようなものはない。ひたすらにゲームをやってるだけだから。
食べ散らかしたお菓子の袋をまとめてゴミ箱に突っ込む。
一ヶ月くらいこもりっきりだから匂うかな。窓くらい開けておこう。って、なんで受け入れる気満々なんだよと、窓を開けたときだった。扉が開く音がして飯束さんが顔を覗かせた。
「あたし、男兄弟の中で育ったから、どんな格好でもどんなにきったない部屋でも驚かないから大丈夫だよ」
「いや、そっちがよくてもこっちが無理だから」
しまったなと、着ている服を見下ろした。母さんが買ってきた、わけのわからないロゴマークが入っているスウェットの上下だ。どこにも出て行かないから一日中これを着ている。
「よかった」
なにがよかったのか、扉を大きく開いて飯束さんは入り込んだ。
「さすがに着替えの途中なら遠慮しようと思ったけど、よかったよかった」
哲太の部屋だというのに哲太の方が所在なげにたたずむ。
揚々と入り込んできた飯束さんはというと、長いTシャツのようなワンピースに、ランドセルを背負って手提げのカバンを持っていた。学校帰りってところか。耳の上辺りに髪の長さのわりにはデカい髪留めをつけていた。
哲太の視線に気づくと「これ?」と手で触れた。
「最近髪の毛切ったばかりなんだけどさ、ミナちゃんがこれくれて。百均で全部材料そろえて自分のためにバレッタ手作りしたみたいなんだけど、ビーズとかビジューとか余っちゃったからあたしの分も作ってくれたの。グルーガンってなんでもくっついちゃうからついつい乗せすぎたとかで、すっごく重いんだよね。だけどつけてないと悪いし、でもこの髪に合ってないからバッグにつけ直した方がいいかな」
永遠かと思うようなおしゃべりにあっけにとられながら、「いや、大丈夫だと思う」と、なんとか答えた。
そもそもその手の意見を哲太に求めること自体間違っているが、飯束さんはもはや髪留めを気にする様子もなく哲太の部屋を見回した。
まさか自分の部屋に女子が上がり込むなんて。想像してみたこともない。
今まで気にもしなかったことにあせり出す。センスのかけらもないインテリア。けれども垣間見られてしまう趣味。本棚のフィギュアがちょっとだけ恥ずかしい。
並べた女の子のポージングが、ほんとにゆるくだけど、ゆるくエロいのだ。
なんか気まずい。
「えぇと、それより、なんか用?」
おずおずと声をかけると、きょろきょろしていた飯束さんはパッと哲太を見やった。
すごい目力。威圧感に身が縮まる。
――おれって、飯束さんになにか迷惑をかけてしまったのだろうか。
「島崎くん」
あらたまって名前を呼ばれ、「はい」と姿勢を正してしまう。
「島崎くん、図書室で本を借りたでしょ」
唐突すぎですぐに記憶をたどれなかった。
学校に行かなくなって一ヶ月くらいが過ぎていると思うが、ずっとゲームばかりで学校での出来事が遙か彼方まで飛んでいってしまっている。
「三登田スカイ先生のファンなの?」
「センセイ……あ、うん。まぁ、そうだね」
漫画家の名前に『先生』なんて敬称をつけたことがなくて戸惑ったが、飯束さんはスラッとその名前を口にした。
三登田スカイのマンガはアニメ化もされて、関連グッズも豊富に展開している。コミックも全巻そろえているが、本棚にあるフィギュアもそう。今ハマっているゲームのプレイキャラをデザインしたのも三登田スカイだ。
「飯束さんも三登田スカイが好きなの?」
「そうよ。だから許せないの」
「え? なにが?」
「だから、島崎くん、図書室で本を借りたでしょ」
あ。
思い出した。
三登田スカイにドハマりしていろいろ調べているうちに辿り着いたんだった。
漫画家として有名になる前、『新なぞれきシリーズ』の作画を担当していたのが三登田スカイなのだが、そのころはまだ墨田海斗という本名で挿絵やマンガを書いていた。
あまり流通していない絶版本だからめったにお目にかかれないというのに、図書室でたまたま見つけ、奇跡の遭遇にうれしくなって1巻から順番に借りていたんだった。
「あたしが図書委員だってことは知ってるよね」
五年生になってすぐに学校へ行かなくなったから、委員会とか係とかいわれてもわからない。
申し訳ないというよりは、その剣幕に怖くなって小声で答えた。
「ごめん。知らない」
「島崎くんが借りっぱなしの『新なぞれき』。全部で12巻あるのは知ってるわね? そのすべてが紛失したの」
「え!」
「あ、すべてじゃなかった。島崎くんが延滞している4巻をのぞいて」
そういって飯束さんは本棚に置いてあった『新なぞれき4巻』を抜き取った。
これを探していたのかと、ちょっとうろたえた。
「お、おれは盗んでないよ。そのへんに放っておいていつのまにか捨てちゃうといけないから、本棚に置いておいたんだ」
「それはわかってる。あたしは貸し出しカードに書いてあった島崎くんの名前を見てここにやってきたの」
本の裏表紙にカードを入れる袋が取り付けてあって、貸し出しカードが入っていた。本を借りるときにカードを抜き取り、そのカードに自分の名前と日付を書いて図書委員に渡す。返すときにカードを受け取って本に戻すのだ。
だから、戻ってきてない図書は、貸し出しカウンターに保管してあるカードを見ればすぐにわかる。
「全巻盗もうというのに、馬鹿正直に手順を踏んで貸し出しカードに自分の名前なんて書かないものね」
哲太が盗んだと疑われていなくてほっとした。
「じゃあ、貸し出しカードがあったのは4巻のみということ?」
「そう。だからそのほかは全部盗まれたんだと思うの。この本がどんな本かは知ってるよね」
『新なぞれき』は曰く付きの本で、それ以前に大手出版社から発売された『謎解き歴史』、通称『なぞれき』に構成がそっくりだった。
三登田スカイはこの仕事を後悔しているらしい。出版社が倒産したとき、未払いの原稿料と引き換えに出版権を買い取ったという噂があり、復刊はありえないと公言している。
しかも、「スキャニングした画像をネットでばらまいているヤツは片っ端から訴える」とインタビューで全否定している。
そんなわけで、市場に出回っている古本がものすごい高値で取引されているのだ。
「コレクターなら全部そろえたいよね。そういうものでしょ。売るにしたって全巻そろっていたほうがいい。ただ。本には学校の名前が入ったスタンプが押されてる。ちゃんとした古本屋さんなら持ち込まれたら学校に知らせてくれるでしょうね。だけどネットオークションならどうかしら。スタンプだけ切り取るとか塗りつぶすとか。売られちゃったら最後。でも、これが最後の砦になるかもしれないのよ」
「盗んだヤツはこの4巻が戻ってくるのを待っているってこと?」
「そいつは4巻を狙ってる。だからこれをエサにとっ捕まえてやるの」
物騒なものいいだがこういう人が本物のファンなのだろう。執念深さに脱帽する。
「ってゆうか、なんで学校に来ないの?」
担任の先生でさえ聞いてこなかったストレートな問いかけにひるんでしまう。
「友達とかに聞いてみたんだけど、いじめられていたわけでもなさそうだし、なんでなのかなって」
学校に行きたくないわけじゃなかった。
ゲームにハマりすぎてやめられず、一回仮病で学校休んだら、まぁいいかって、休むようになってしまっただけだった。
こんなどうしようもない理由、親にも誰にもいえるはずがなかった。
黙り込んでいると飯束さんはそっと『新なぞれき』を差し出した。
「ううん、いいの。聞き出すためにここへ来たんじゃなくて。明日、学校へ来られないかなって。この本を返しに来てほしいんだ」
なんだ、持って帰ってくれるんじゃなかったのか。
そうだよな。自分が借りたものだし。
なにげに学校へ出てくるきっかけを飯束さんがつくってくれていたりして。
哲太は本を受け取り、明日学校へ行くことを約束した。
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