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<20・日暮。>
「氏田松枝さん……旧姓・小森松枝さんって人はね、そりゃあもう綺麗なお人だったんですよ」
日暮は、どこか遠くを見るような眼で言う。
「掃きだめに鶴、とでも言えばいいんでしょうか。この暗くて、退屈で、なーんもない村に舞い降りた天使……みたいな人でね。そりゃあもう、当時の男はみーんなあの人に夢中になったってなもんです。あたしも当時はまだ二十代の若造で、結婚もしてなかったもんでね。思わず見惚れてしまったもんですわ」
「だから、お付き合いをした、と?」
「それはちょっと違いますね。……この村の男はみんな、あの人の手の上でころころ転がされていたようなもんです。無論、既婚者とか、手を出さなかった真面目な男もいるにはいるでしょうが……あたしみたいな、まだ女性とろくに関係も持ったこともないような若造はまあ駄目でしたとも。性格もかなり強烈だし、きっついことも言われたし、あたしが本命じゃないことなんかわかりきってましたけど……それでもね、いいと思えるような女性だったんです。まだお若い大学生さんたちにはわかりませんかね……」
嘘を、ついているようには見えない。少しだけ柾は困惑する。
自分たちは確か、月岡から松枝に関する評判をこのように聞いている。
『村の風習ややり方を、外の考えでばっさり切り捨てるようなところがあって。まあ、美しいけど怖い人、郷に入れば郷に従えができない人だとあっという間に広まってしまったよ。村の皆さんとの折り合いはそりゃあ良くなかった。で、あるからだろうねえ。……氏田の家の人達とも、まったく気兼ねなしに交流するようになって……最終的には、本当に氏田の家に嫁入りまでしてしまってね』
彼女は、村の者達とは折り合いが悪かったのではなかったのか。
それなのにセフレがたくさんいたというのは、いささか不思議ではあるのだが。
「松枝さんって、村の人に嫌われてたんじゃ?神様とか風習とかをばっさり切り捨てるような人だったから、って」
柾が尋ねると、そうですねえ、と日暮はからから笑った。
「表向きはそうでしょうとも。この村で信じてきたことを否定するわ、空気は読まないわ、年配の人や女性には酷く嫌われていましてね。若い男性たちも表向きは合わせていたんです、自分達が村八分にはなりたくないもんですから。でも裏ではこっそり、彼女と関係を持っている人も多かった。そりゃあまあ、そうでしょう。若い人ほど心の奥底では……この村の、ガチガチの仕組みに嫌気がさしていたりするもんですからね」
「そういうもんなんですか」
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