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翌日。
私はまた山に入る。
昨日起こったことーー、社の異様な気配や謎の少女が怖くなかったといえば嘘だが、これしきで怯んではいられない。
あの子は幽霊でも超自然的な存在でもなく、人間だ。
昨日見たら影が足下に伸びているのが見えた。
最も妖怪や精霊などに影があるかどうかなんて知らないが。
私は昔からその手のーー、いわゆるオカルト的な話が好きだった。それが卒業論文に山の信仰のテーマを選んだ理由の一つだ。
ふと思う。
それにしてもあの少女はこんなところで何をしているんだろう。
お前こそなんで山に入っているんだと質問で返されたら私は困るが逃げ出すことはしないでおこうと思う。
それに、少女はこの山のことを何か知っているのかもしれない。
また会えるといいとさえ思っていた。
オカルト好きということがこの山をフィールドワークの地に選んだ理由の一つであるが、もう一つ理由がある。
昔、私は姉をこの山で見失っている。
ほんの小さなころ、小学生に上がったばかりのときだった。
私には三歳違いの姉がいる。
昔は二人で野山を駆け巡って遊んでいた。
というのも、この町は田舎すぎて子どもの足で行くにはこれといって遊ぶ場所がなかったから手近な山を選んだわけだ。
二人ともやんちゃな性格だったので虫も植物も平気で触ることに抵抗がなかった。
虫とりをしたり、草で工作したりするのは幼い自分たちにはとても楽しいことだった。
二人で遊ぶなかでもお気に入りだったのは隠れんぼだった。
山の中には大きな木や岩のような石があって草も生い茂っているので小さな二人が隠れるのにはもってこいだった。
姉は加減というものをしらず、妹相手にも本気でかかってくるので勝負はいつも五分五分だった。
姉は捕まえるのが得意で私は小さな体を活かして隠れるのが得意だった。
その日、鬼は姉で自分は隠れる番だった。
忘れもしない。
自分は社の裏に隠れていた。
社には地面と床に少し隙間があってそのわずかな空間に隠れていた。
いつ捕まるかと、姉が気づくかとドキドキしていた。
音に敏感になっていた私は足音が近づいてくるのに気づいた。
息を潜める。もうすぐやってくるだろうか。
みつかってしまう?
別の場所に移動することも考えたが視界を遮るものもないのでそこにとどまることにした。
ザッザッと足音がして。
今にも姉の声が聞こえそうな気がした。
けれど、足音は回れ右をして行ってしまった。
いつも自分は木の裏に隠れるのが定番だったのでそちらに行ってしまったのだろうか。
なんにせよ、そのときはホッとした。
しばらく時間が過ぎてどんどん日が落ちてきてさすがにおかしいと思った。
姉は自分を置いて帰ってしまったのだろうか、ということが一瞬頭をよぎる。
そんなわけない。
喧嘩をすることもあったが姉は私をとても可愛がってくれた。
私もそんな姉が好きだった。
いつの間にか暗くなって。
心細くなって隙間から這い出すことにした。
みつかるならそれでもいいと思った。
その日みつからなかったのは姉のほうだった。
失踪後、警察が数日かかって山周辺を捜索したが姉はみつからなかった。
怪我をしてどこかで動けなくなっているとか誘拐されたのではないかとか様々な憶測が飛び交った。最悪の場合も覚悟しておいたほうがいいと。
幼いながら私は姉と永遠に会えないと思うと悲しくて仕方なかった。
そんな中、年寄りの一人が言っているのを聞いたのだ。
キノメ様が関係しているのではないかと。
公民館にある集会場でそう言っているのを薄く開いた戸の前で立ち聞きしてしまった。
みるみるそこにいる人の顔がこわばった。
そんなことを言うもんじゃないといさめる声があり、あり得ないと苦笑するものもいた。
キノメ様。
名前は聞いたことがあったが、そのときは山の神様というくらいにしか認識してなかった。
しばらくして捜査は打ち切られてしまった。
姉は今でも行方不明のままだ。
そして、時を経て。
私はもう子どもじゃない。
自分で行動して、姉を探そうと思った。
両親は姉が失踪してから私が山に入ることを極端に嫌がった。娘を二人も失くしたくないという想いからだろう。
フィールドワークを口実にすれば、強引だが山にまた入ることができると思った。
幸い今は携帯電話に追跡機能もついている。
強気に両親を説き伏せて探索することにした。
そうは言っても全くと言っていいほど姉を探す道標となるものがない。
手がかりは一つだ。
キノメ様とは何なのか。
その正体を知れば、姉の失踪の理由がわかるかもしれない。
私はそんな妄信にも似た淡い期待を抱いていた。
山を歩いていると不意に妙な音が聞こえた気がして足を止める。
空耳じゃない。
ドン、ドンと太鼓を叩くような音がする。
お囃子の音だ。
不思議だ。祭りの季節でもないのに。
子どもの時に言い聞かせられていたことを思い出す。
誰もいない所でお囃子の音を聞くと連れていかれる。
連れていかれるとはどこへ?
私はふらふらと足を踏み出した。
幼い日の声が聞こえる。
あれは、夏の終わりの頃だった。
私はどうしてもトイレに行きたくなり、姉を呼び止めた。
社の土地に公衆トイレがある。
公衆トイレと言ってもそんな大層な代物ではなく、昔の汲み取り式のトイレが放置されているような状態だった。
待っていてやるからトイレに行ってくるように、という姉に私は振り返り振り返り言った。
「みーちゃん、待っててね。ちゃんといてね」
みのり、というのが私の姉の名だ。
「うん。はやくね」
私はトイレに入る。
石でできた床のトイレは薄暗くてひんやりと寒くて。
湿った落ち葉のにおいがした。
苔が地面だけでは飽き足らず、石でできた床も覆いつくすように広がっていた。
真っ暗な穴がポッカリ足下に開いていて怖かった。
この穴はどこまで続いているんだろう。
落ちたら違う世界に行ってしまうような私はそんな妄想をした。
そんなことをしている間に時間が経ってしまったようで待ちくたびれた姉が置いてっちゃうよ、と言うので私は慌てた。
「まって」
大急ぎでスカートをたくし上げる。
ふと思った。
トイレは箱のようだった。
鍵をかけた戸を引っ張る。
開かない。
どうやら長年放置されていたのが風化していて、開けた拍子に歪んで開かなくしまったようだ。
私は戸をたたく。
出して。
ここから出して。
みーちゃん。
お姉ちゃん。
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