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そんな一時間前のことが、ようやく理解できるようになってきた。
もう、僕に彼女はいないのだ。
まあ、そりゃそうか。こんな面白みのない人間の告白、仮に受け取ってもらっただけでも幸運なことなのかもしれない。
僕と付き合ったところで他の女子に自慢できるわけではないし、付き合ったところでメリットを感じられないと気づいたのだろう。
高校三年生、まだ十八年間しか生きていないのに、すでに人間は平等ではないと知った。
自分を卑下すればするほど、悲しくて悲しくて……涙が溢れそうになる。
鼻の奥がツンとしてきて、頭が締め付けられるように痛くなってきた。
きっと、上手く酸素を吸えていないのだと思う。
あと一回パチッと瞬きしたら、溜まっていた涙が垂れ落ちてしまう。
泣いたら負けだ。ここで泣いてしまったら、自分が許せなくなるだろう。
悪あがきをするように、目線を上げる。そうすれば、涙を垂らさないで済むと思ったから。
悔しいという感情を殺すように、無になることを意識して顔を上げると、目の前に立っていたのが花井果歩だということに気づいた。
花井果歩……学年一可愛いと言われているマドンナ女子で、容姿端麗で頭脳明晰。
今すぐにでもモデルになれそうなくらいのルックスは、他の生徒から一目置かれている。
果歩とは三年間一度も同じクラスになったことがないし、地味中の地味である僕のことなんて、きっと認識すらしていないだろう。
そうか、果歩はいつも各停で帰っていたのか。
同じ家の方向だとは知っていたけど、一度も電車で見かけたことがなかったから、不思議に思っていたのだ。
あれ? 果歩の様子が……おかしい?
まるで僕と同じような、泣きそうな顔をしている。涙を流さないように、必死に堪えているみたいだった。
その強張った表情を見ていたら、僕の方の涙は簡単に引っ込んでしまっていた。
果歩も何か問題を抱えている……パッと思いつくのは失恋だけど、果歩のような完璧人間がフラれることなんてあるのだろうか。
果歩に限って、それは考えにくい。
きっと家族のこととか、別の何かが原因に違いない。
僕はそんな予想を勝手に立てていた。
気にしないようにしていても、意識が果歩の方に向いてしまう。
果歩に怪しまれないようにチラチラと観察していると、一瞬だけ果歩のスマホの画面が目に入った。
”別れよう”
短い文のやり取り。そのラリーはきっと、彼氏さんとのやり取りだ。
そして間違いなく『別れよう』の四文字を、僕は捉えることができた。
他人のスマホを覗いてしまったことに罪悪感を抱くが、そんなのは後回し。
一瞬過ぎっていた失恋が、果歩に起きているということか。
つまり、果歩が必死に堪えているその涙の訳は、僕と同じ理由ということになる。
今だけは、スクールカーストの最上位に君臨する果歩と、同ラインに立てている気がした。
「間瀬袋~間瀬袋に到着です」
各駅停車でしか止まらない間瀬袋駅で、果歩が降りる。
その時、僕の体は自然と動いていた。
頭で考えることはせずに、本能がそうさせる。
ゆっくりとホームを歩く果歩の後ろ姿に向かって、虫のような消える声で、僕は果歩を呼び止めたのだった。
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