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二
「左頬に傷痕のある男を見たという者がおったぞ」
真っ昼間の酒処で仁九郎にそう告げたのは岡崎峯治郎という男だった。
「今から会いに行く」
「……山猿を殺せば気が済むのか。辻堂も、辻堂を討った樋神も滅んだというのに。盛衰は世の理じゃ」
「悪夢を消すためじゃ──」
隆正死後も悲劇は続いた。妹の八重の子は流れ、自害した。
仁九郎は山中での奇襲以降、酒に酔えなくなっていた。
されど酒場には入り浸っていた。
酒処には情報が集まる。
峯治郎とは山猿を追跡する途上で出会った。語るうち、奇遇にもあの夜襲の生き残りと知り、友となった。
しかし峯治郎は山猿の顔は知らない。
辻堂軍での身分は下っ端だったらしく、忠心も恨みも薄い。
似た男を見た、そう告げられるのは何度目か。
主君の無念を晴らす。乱世には滑稽とも言えよう。
仇を討つためとはいえ、仁九郎は辻堂家の敵、樋神家に潜入し、滅びを見届けたのだから。
ただし山猿は樋神に飼われた者ではなかった。正体も目的も謎のままだった。
ならば謀り、辻堂を山道で待ち受けるよう仕向けた理由は何なのか。
辻堂をよほど恨む者なのか。
仁九郎は今は浪人となり月代の毛は伸び放題で、たった半年の経過とは思えぬうらぶれようだった。
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