ミステリー作家 高下美和の推理

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 紙とペンがないか周囲を見回した。幸い、送り用のノートとボールペンを見つけることができた。私は無地のページを開いて、机の上に置いた。 「人間関係を整理するところから」  表向きの関係性だけで判断するのは危険だ。しかし、まだ名前を覚えきれていない。名簿、ないかな……?  その時、視界の隅に何かが映った。壁に貼られた村の地図だ。立ち上がり、確認する。  それぞれの家に名前が記されていた。村はずれの私の家にも『嵐山』と名前が入っていた。  画鋲を慎重に外し、地図がふわりと落ちてくるのを受け止めた。それを、ノートの横に広げる。  この村に来たきっかけは、半年前に遡る。 『美しい山や川に囲まれた農村で、暮らしてみませんか?』  都会の喧騒に疲れていた私は、キャッチフレーズにすがるように応募をした。  デビュー作は、そこそこ売れたものの、次の作品が書けずに悩んでいた頃。執筆が進まず、自問自答を繰返す日々。 ――田舎なら、何か変わるかもしれない……。  インターネット完備。  古い一戸建てが用意され、家賃は5年間無料。畑がついており、農業の技術指導まである。夢のような条件だった。  ノートに経緯を書き進めながら、スマートフォンを取り出して正確な日付を確認しようとした。スケジュールアプリを開くつもりだったが、手が滑り、メッセージアプリを開いてしまった。  やりとりは、編集者くらいだ。数日おきに催促が来るので、あまり見ないようにしていた。しかし、編集者とは異なる未読メッセージが視界に飛び込んできた。 ――直樹!  彼は8歳年上で、穏やかな性格の会社員。  私たちは、都会の喧騒から逃れたいという共通の願望を持っていた。それが、私たちを引き寄せた。行きつけの喫茶店で偶然、隣に座り会話が弾むという、恋愛小説のような出会いだった。  メッセージを開くかどうか迷う。  引っ越す前……3ヶ月ぶりの連絡だ。最後に送ったメッセージは、私からだ。 『一人で行きます、さよなら』  そのメッセージで、直樹への思いを断ち切るつもりだった。なのに……。  震える指先でメッセージを開いた。 『そちらの生活、慣れましたか?』  彼からのメッセージは短い一文だった。胸が苦しくなる。  なぜ、今さら?  直樹は最初、私の移住計画に賛成してくれた。「俺も一緒に行きたい」と彼は笑顔で言ってくれた。
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