ミステリー作家 高下美和の推理

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 その夜、小山田村長の家で盛大な歓迎会が開かれた。村人が一堂に会し、食事を共にすることで、少しずつ村の雰囲気に溶け込んでいくことができた。  次の日から早速、農業指導が始まり、小説を書く時間が取れない日々が続いた。  それでも不思議と心は満たされていた。新鮮な空気、村の山菜で作った美味しい食事。昼間の疲れで、夜はぐっすりと眠れた。 「嵐山さん、最初に来た時よりも、ずっと生き生きしているわ」  そう言ったのは、峠の妻だった。 「うーん」  最初の1か月を回想してノートに書き出したとき、私は唸り声を上げた。不自然な点はない。村人と揉めたことはないし、皆、優しく接してくれた。  私は村の地図を確認した。次に良くしてくれたのは……消防団の団長をしている香山だ。年齢は40歳。村には若い女性が少ないため独身だ。  日に焼けた肌に、隆々とした筋肉の持ち主。見た目は実年齢より若く、サーファーのような印象を受けた。 「来月、神社でお祭りがあるんだけど、手伝ってくれないか?」  香山は、私に声をかけてきた。もし私が独身なら、言い寄ってきたかもしれない。そんな色目遣いだった。  本当に独身なのだけど。  村の人々には「夫は、仕事の都合で移住が遅れている」と言い続けていた。いつか本当のことを話さなければならないと分かっていながら、ズルズルと嘘を引きずっていた。 「夏祭り、楽しかったなあ」  無意識に、地図の中央に描かれた鳥居マークをボールペンで囲んだ。  小高い丘の頂きに、古びた神社がたたずんでいた。神社は村人たちにとって特別な場所であり、祭りは村最大のイベントだった。  香山が祭りについて熱心に語ってくれた。 「通常の神社は、拝殿の裏にご神体を祭る本殿がある。でも、この神社には本殿がないんだ」  彼は力を込めて言った。 「じゃあ、ご神体がないということですか?」 「小高い丘そのものが、ご神体なんだよ」  香山が神社へ向かう階段の下で説明してくれた。彼が指さす先には、木々が鬱蒼と茂る丘がそびえていた。 「同じような神社は、他にもあるよ。奈良の大神(おおみわ)神社みたいにね。三輪山という山がご神体になっている。日本最古の神社の1つだよ」 「へぇ、知らなかったです」  この神社も太古から変わらぬ姿なのかもと思うと、時の流れに圧倒された。 「村ではね、山が信仰の中心なんだ。だから、徳川綱吉が犬を大事に扱ったように、この村でも、山を傷つけることを厳しく禁じているんだよ」 「それって『生類憐みの令』のことですか? 犬を傷つけると厳しい処罰を受けるってやつですよね」 「罰があるわけじゃないけど。祭りの時は別だ。神様に楽しんでもらうために村人が心を込めて準備する。多少、汚れても大丈夫。ただし、祭りの後はみんなで大掃除をするけどね」  神様も、夏祭りだけは大目に見てくれるようだ。
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