11. 玄関先

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11. 玄関先

 田村くんはタクシーを飛ばして来てくれた。私が泣きながらミルクシェイクをズルズル飲んでいたら、わりとすぐに目の前に来た。時間は見てなかったけれど、二十分程度かもしれない。彼もまたミルクシェイクMを買ってきて、向かいに座った。 「はやっち、何があったの? 話してくれる?」 「……お母さんとケンカして」 「ケンカか。どんなケンカ?」 「田村くんとつきあってること、凄く嫌なことみたいに言われたの」 「嫌なこと? どんな風に?」 「どんな人なのかとか、どういったお家の人かとか、ちゃんとした人ならちゃんと話せるだろとか、事情があってお家に伺ってご挨拶したって言ったら何でそんな大事なこと黙ってたんだとか」  田村くんは私と同じようにズルズルとミルクシェイクを飲んでいる。こくりこくりと頷きながら。 「はやっち、泣くことないよ。お母さんの言うことは全部普通のことだよ」 「普通かな」 「普通だよ。もっともだよ。大事な娘がどこの馬の骨だかわからない男とつきあってるって聞けば、そりゃ親としては警戒するってもんでしょ」 「でも、さすがに田村くんのお見合いのことは話せなかった。お家に行った事情を話せって言われたけど」 「そうだよな、言いづらいよな、はやっちからは」 「だから田村くんに聞いてから話すって言った。もうお母さんと話したくなくて、飛び出してきちゃって」  田村くんはミルクシェイクを飲んで、上を向いたり横を向いたり目を動かしていた。そして私をじっと見た。 「ごめん。俺が悪かった」 「なんで!?」 「やっぱりご両親様に挨拶に行くべきだった」 「でもそれは田村くんのせいじゃなくて」 「たとえ君が来なくていいって言ったとしても、あ、言ったか、でも挨拶に行くって言うべきだった」  そんな、田村くんのせいじゃないし、何も悪くないのに。目の前で頭を下げられて困惑する。 「とりあえず、これから送るよ。お家まで」 「え、いいよ。歩いてちょっとしかないところだよ」 「そうじゃなくて。ちゃんとその場で挨拶して、また改めてお邪魔することにするよ」 「そんな……大袈裟だよ」 「大袈裟じゃない。はやっちのこと大好きだし、大事にしたいから、お家の人にもきちんと挨拶するべきだ」 「そうかな」 「それにさ、どこに行くとも言わずに出てきたんだろ? お母さん心配してるよ」  渋る私を説得して、結局は自宅まで送ってもらうことになった。バムバムバーガーを出て、私たちはとぼとぼと歩いた。  小さなマンションの小さな部屋に、私たちは住んでいる。玄関を開けたらすぐに全ての部屋が見えてしまうくらい狭い。掃除も大掃除以来してないし、何だか恥ずかしかった。 「このマンションの三階」 「連れてってくれる?」 「うん」  一応、小さなエレベーターはある。三階まで上がる少しの間、田村くんは手を握っていてくれた。それだけで、安心する。  私は財布から鍵を出して、玄関を開いた。中から母が出てきた。微妙な顔をしている。何を考えてるのかな。わかんない。  横から田村くんが顔を出したとき、母は初めて驚いた表情になった。私が「こちら、田村義仁くんです」と言うと、母は寒いから早く中に入るようにと促した。 「はじめまして、田村義仁です。今日は玄関先で失礼します」 「まあ、わざわざこの子を送ってくださってありがとうございました。玄関先と言わずに、どうぞお上がりくださいな」 「いえ、今日は明日香さんを送ってきただけですから、ここで。お父様はお留守ですか?」 「主人は今日はもう仕事に行っております」 「そうですか。ではお母様に。先日は明日香さんを遅くまで連れ回して申し訳ありませんでした。非常識な時間でした。ごめんなさい」  田村くんが深々と頭を下げると、狭い玄関がどんどん狭くなる。私は後ろに少し引いた。田村くんに頭を下げさせるなんて、申し訳なかった。私がもっと早くお母さんやお父さんに話してさえいれば。 「この前遅くなった日に明日香さんに我が家に来てもらったのは、僕のつまらないわがままです。その件についてはまた改めてご挨拶とお詫びに参ります」 「つまらないわがまま?」 「はい。ちょっとしたつまらない事情です。でも僕にとっては人生を左右されるかもしれないことだったので」 「そうなの、明日香?」  急に私に聞かれてびっくりした。でも、がんばって言わなきゃ。 「そうです。私にとっても大事なことだった」  田村くんは一生懸命にまた話し始めた。こんなに真剣そうな顔を見たのは、入学してから初めてかもしれない。 「ただこれだけはわかってください。僕らはおつきあいを始めたのはクリスマスで、まだ一週間ちょっとしか経ってませんが、でも、凄く真剣です。真面目です。これから就職して会える時間が減るかもしれないけど、とにかく明日香さんを大切にします。僕が初めて好きになった人なんです」 「まあ、そうなの? もう大学も卒業なのに?」 「そうなんです。初めての恋人です。初恋です。だから大事にします。絶対に粗末にしたりしません。将来も考えてます」 「まあ」 「えっ、ほんと?」 「こんな大事なところで嘘なんか言わないよ」  しーん、と玄関が静かになった。リビングから虚しくテレビの声が聞こえてくる。夕方の番組なんか、知らないや。何やってんだろ。 「ひとまず、よくわかりました。明日香を送り届けてくださってありがとうございます。今の話は、主人に伝えておきますね」 「ありがとうございます」 「明日香をよろしくお願いしますね、田村さん」 「はい、また今度改めて」 「お食事は何が好物ですか?」 「僕、好き嫌いありません。何でも美味しくいただきます。でも一番好きなのはコロッケです」 「じゃあ、今度はコロッケを作ってお待ちしますね」  夕暮れの中を、田村くんは帰っていった。下まで送ると言ったけれど、「それじゃ送ってきた意味ない」と笑って、帰っていった。私は手を振って、コロッケ好きなんだ、カニ太郎のこと教えなきゃ、と思った。 「つまらないわがままって田村さんは言ってたけど、彼にとっては凄く深刻なことだったのね」 「……そうだね」 「明日香、こういうことは下手に隠さない方がいいのよ」 「別に隠してたわけじゃない……」 「隠さない方が正々堂々としてられるし、物事もスムーズにいくっていう意味よ」  そういうものなのかしらね。よくわからん。
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