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12. 初訪問とコロッケ
田村くんがうちに来る日は、思ったより早く決まった。一月の終わりの日曜日、お昼ごはんに合わせて来ることになった。
お母さんと共にコロッケを作りながら、正確に言えばコロッケを揚げる母親の隣にいただけだけど、内心ひどく落ち着かない気持ちでいた。
あの日、お父さんにはお母さんから話してもらった。私は寝たふりしてた。翌日になってから、お父さんからは「お母さんから聞いたぞ。その田村さんが来るのを楽しみにしてるぞ」と言われた。怒っているのか笑っているのか判然としない表情で、心の中は読めなかった。
お父さんは今、お茶を飲みつつ新聞を読んでいる。さすがにテレビはつけていない。
あ、玄関のベルが鳴った。インターホンあるけど、この時刻なら絶対に田村くんだから、確認の必要はない。
「はーい」
「こんにちは……」
「どうぞ。待ってたの。お母さんがコロッケ作ったよ」
「うん、いい匂い」
既にコートを脱いだ田村くんは、小声で話している。そうよね、今日はご挨拶の日だもんね。お母さんが「田村さん、いらっしゃい」とエプロンのままで出てきた。
「こんにちは。今日はお邪魔します」
「君が田村さん? いらっしゃい」
お父さんも出てくる。出てくるって言っても、みんな玄関から丸見えなんだけどね。お父さんを見た田村くんは、かなり緊張した様子だった。
「はじめまして、田村義仁です」
「はじめまして、明日香の父の早坂次郎です。さ、入ってください。狭い家で、すみませんが」
「いえ、お時間頂戴できて光栄です。これ、つまらない物ですが」
「おや、手土産まで。これはありがとうございます。お菓子ですか?」
「はい、両親と相談して決めました」
「ではありがたくいただきますか。ご両親様にもよろしくお伝えください。まあ、入って」
靴を脱いできちんと揃えて部屋に入ってくる田村くんは、就職活動と変わらないレベルのスーツ姿だ。紺色の上下に紺と赤の細かいストライプのネクタイ。私もあまりだらしなくできない日なので、クリスマスのデートの服よりもワンランク下のワンピースを着ていた。これも紺色だ。
普段は三人しか座らない食卓に、部屋の奥から揃いの椅子を出してきて、四人の食卓となった。今日のメニューは揚げたてコロッケとポテトサラダ、生のトマト、豆腐とわかめのお味噌汁に白いご飯。我が家の普段のご飯と同じ。
「田村さん、コロッケいくつ召し上がるかしら。たくさん揚げたから、たくさん召し上がってね」
「ありがとうございます。ほっといたらいくつでもいただいてしまうかもしれません」
「それでもいいんですよ」
母はにこやかに言って、父が「では、いただきましょう」と言った。私たちも「いただきます」と声を揃えて手を合わせる。
「コロッケ、凄く美味しいです!」
「まあ、ありがとうございます。お口に合いましたかしら?」
「もちろんです、凄く美味しい。じゃがいもと挽肉、絶対の組み合わせですよね」
「こちらの形の違う方、カニクリームコロッケですから。お好きならどうぞ」
「えっ、ほんとですか? 大好物です」
ザクザクと音を立てて田村くんはコロッケを頬張っている。本当にコロッケ好きなんだな。あ、カニ太郎のこと、まだ話してないや。私もサクッと食べる。お母さんのコロッケはいつも美味しい。揚げたては特に美味しい。私もちゃんと作れるようにならなきゃ。
食事している間に田村くんのいろんなことが話題に上った。今までの学歴とか、ご両親のお仕事のこととか、お兄さんのことも少し。田村くんが中高一貫の私立の男子校に通ってたことなんか知らなかった。
いつ話題が核心にくるのか、私は心のどこかでヒヤヒヤしていた。食事が一段落したら速攻でその話題になっちゃうけど。
「なるほど、したくないお見合いですか。それは嫌だったんでしょうな」
コロッケの残りはお弁当箱に入れられて、帰りに田村くんが持って帰ることになった。トースターであっため直せばまた美味しくなる。ある程度は。
「はい。そのために明日香さんを巻き添えにしたと感じられたら申し訳ありません。でも、もしも明日香さんからデートを断られたら、潔く諦めて見合いしたかもしれません」
「それでお家までうちの子がお邪魔してしまったんですな。まったく、この子が何も言わないから、この子は手ぶらだったでしょう。礼儀知らずで申し訳ない」
「そんな、僕が勝手なお願いをしたからです。明日香さんは何も悪くないです」
そうよね、今日みたいに手土産を持ってお邪魔するのが筋よね。恥ずかしい。何も考えてなくて、情けない。急に自分が子どもみたいな気がしてくる。
「田村さん、これ我が家でご用意したお菓子です。駅の近くに美味しいケーキ屋さんがあるんですよ。上等の羊羹いただいたけど、こちらもぜひ召し上がってね」
「ありがとうございます、ケーキ好きです。いただきます!」
目の前に出されたチョコレートケーキをフォークで切って口に運ぶ。田村くんは食事のマナーもきちんとしている。どことなく、言うに言えない感じで品がいい。
「あ、これ本当に美味しいですね。あまり甘くない」
「ここのチョコレートケーキ、私も大好きなの。二年生くらいまでバイトしてたんだ」
「そうなの? いいな、こういうの好みなんだよ。美味しい」
ひそひそと声を交わしたが、目の前に両親がいるので筒抜け。別にいいけど。たかがケーキのことだし。いや、待て。この「たかが」って考え方に問題あるのかも、私。
「しかし田村さん。君は明日香と同い年だから二十二歳だろう? これから就職して新しい環境に入ったら、いろんな形で他の女の人との出会いもある。今からこの子に決めつけてしまうのは、少し性急すぎないかねえ。大丈夫かな?」
どきりとした。そうだ、大蔵省にももしかしたら女の子が就職してくるかもしれないよね。私よりもずっと頭がいいようなエリートがたくさんいるところだよね。どうしよう。
「そうですね、女性の割合はまだまだ少ないようですが、少しずつ増えるかもしれません。でも、それとこれとは話が別だと思ってます。僕は今、とにかく明日香さんが大好きなので」
「心変わりはしないかしら? まだお若いものね」
母も一緒になって意地の悪いことを言う。もう、余計なこと言わなくていいじゃん。ひどい。
「心変わりは……明日香さんにも可能性がありますし。お互いにどこでどんな出会いがあるかはわからないです。だけど僕は今は明日香さんが好きです。万が一、泣かせるようなことがあったら……殴ってください」
「威勢がいいねえ」
「まだ何者でもない、若いだけの僕ですから」
終始にこやかで、食卓は笑いに包まれていた。何となく田村くんの家とは雰囲気が違う。違うけど、これがうちなんだな。
ケーキがなくなっても私たちは話し込んでいた。
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