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17. お揃い
松木矯正歯科医院でのお仕事は、まあまあ順調に滑り出した。遅刻もしてないし、受付業務はすぐに覚えた。電話の応対も以前に事務のバイトをしていたので、特に問題なくできるようになった。ほとんどが患者さんから、時々は先生への電話だった。
初めてやったことと言えば、歯の型取りのための印象材を練って用意することだった。薬と水を器に入れて練り練りするだけの簡単なお仕事だが、意外と楽しい。あとは歯の撮影をした写真を速攻で現像すること。狭い小さい、びっくりするほどせせこまい暗室で、たくさんの歯の写真を現像する作業。この印象材と現像の二つが初めての勉強だっただけで、あとは難しいことはなかった。
勤務している人は私を入れてだいたい三人。矯正の和泉先生と、歯科衛生士の佐野さんと私。和泉先生と佐野さんは以前からいるから、仲がよかった。昼休みは二人でマンガ雑誌を読んでいる。最近のお気に入りは少年マンガらしい。昔の有名なお医者さんの生涯を描いた『ドクターオギノ』というマンガ。私は最初から読んでいないから、いまいちよくわからない。そんな時は仲間に入れなくて少し寂しい。
昼休みに入ると、私はだいたい松木先生のお昼ごはんを買いにお使いに行かされる。先生はいつも、三芳駅前の大通りにあるお寿司屋さんの助六寿司をリクエストする。そのついでにメロンパンも買って来いと言う。ご飯とパンの組み合わせ。それでいいのかしら。医者の不養生?
私の仕事はのんびりしたものだったけれど、田村くんはさすがに忙しいらしく、電話をくれても疲れた声をしていた。五月の連休になったら、きっと休みが少しはあるから、それまで許してって言っていた。どんな仕事、何の仕事かはあまり言わない。「まだ雑用にすら使えない見習いだよ」って言ってた気がする。きっと、歯医者とは全然違う働き方してるんだろうなって思った。
こどもの日の五月五日、田村くんはようやく時間を取ってくれた。夜は遅くならないようにと思って、ランチとお茶だけにしようと提案した。私のことを送らなくてもいい時間に。気になるなら私の家のそばでもいい。田村くんは、その提案を快くオッケーしてくれた。
青葉町駅前のバムバムバーガーで、ランチとお茶にしちゃおうということになった。何だかハンバーガー系が食べたくなっていたから。
「私、グレイトバムバムにする」
「デカいの食うね。俺もそれにする」
二人でレジに立って、二枚重ねの豪華バーガー、グレイトバムバムとポテトMのセットにする。私は三ツ井ソーダ、田村くんはアイスコーヒーを選んだ。
ゴールデンウィークだからか、外は爽やかで気持ちがいいから、テラス席で食事することにした。同じような考えのカップルが多いらしい。
「あ、日焼けしちゃうかな」
「はやっち、日焼け気にする方なの?」
「うん、なんかさ、紫外線って五月が一番多いって聞くし」
「気になるなら、中で食べる?」
こんなに気持ちがいいのに、中にいるのはもったいない。私はやっぱり日焼けよりも外の席を選択した。
「グレイトバムバム、久しぶりー。このジャンクな感じが大好き」
「美味いよな、これ。ピクルスたくさん入れてほしいけど、そういうことできるのかな」
「レジで聞いてみてもいいんじゃない? ここの人たち親切だよ。あ、そうだ、忘れてた」
私はバッグの中から赤と青のカニ太郎マスコットを取り出した。うっかり渡せなくて延び延びになってたもの。
「見て、これ。可愛いでしょ、ほら」
「ん? ぬいぐるみ?」
「バムバムのキャラクター、カニ太郎だよ。キーホルダーなの」
「え、こんなのあったのか!」
「カニ太郎、可愛いから勝っちゃった。これ、田村くんにあげる。私、バッグにつけよっと」
田村くんは「すげー、知らなかった」と笑いながら、青いカニ太郎をビニール袋から出していろいろと眺めている。
「見て見て、バッグにつけても可愛いよ、ほら。初めてのお揃い」
「いいな、俺もつけよう。つくかな?」
田村くんは肩かけバッグの取っ手にキーホルダーをぶら下げた。青いカニ太郎も可愛い。
「色違いだな、可愛いな」
「ペアルックみたい」
「ほんとだ。はやっちとお揃い、嬉しい。もらっていいの?」
「もちろんだよ。お揃いで持ちたくて買ったの。男の子だからいつも持つのは難しいかもしれないけど、デートの時とかたまにはいいんじゃない?」
「いや、いつも持つ。隠してでも持つ」
「うん、仕事の時は隠してね」
グレイトバムバムに齧り付いて、私たちは新生活、つまり仕事のことについてお喋りした。田村くんは本当に雑用ばかりしているらしい。先輩に言われてコピー取るのがほとんど、だって。自分で自由に動くことはまだまだできないから、言われたことをやるだけだと言っていた。
私の歯医者の仕事には凄く興味を示してくれて、型取りのあのピンクの薬が印象材だっていうのを、びっくりしながら聞いてくれた。現像がたくさんあるのも面白いって。看護婦さんの白衣を着ながら真っ暗な部屋で現像作業をする私が「なんかイイ」と何度も言っていた。
「もしかしてあの看護婦さんの制服がかなり好きなの?」
「好きだなー! 気分が盛り上がるよ。物凄くイイ! 見たい!」
「もう一回、矯正する?」
「いやーあれはもう二度と嫌だ」
「だよね、私はまだ日中も歯の裏側に変なもの入れてるけど」
「今も?」
「今日はサボっちゃってる。デートだもん」
話はいつまでも尽きなかった。いつまででも喋れる。いつまででも一緒にいられる。いつまでも、一緒にいたい。私やっぱり、田村くんのこと好きだなあ。
「不思議。クリスマスイブの日、たった一日で好きになっちゃうなんて」
「それは俺も。普通レベルの好き、が、あの日でぐぐっと大好きになっちゃってさ」
「二人とも同じタイミングで、一緒に好きになったのかな」
「恋に落ちる時は一瞬?」
テーブルの上に差し出された田村くんの手を触ったり握ったりしながら、私は幸せな気持ちだった。
それでも明日以降の仕事のことを考えて、私たちは夕方の六時過ぎには解散したのだった。
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