22. ファッション雑誌

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22. ファッション雑誌

 クリスマスイブのデートは平穏で柔らかく、嬉しい時間となった。田村くんと話し合って、イタリアンレストランに行った。ご馳走すると言うのを、きちんと割り勘にした。トマトとガーリックのパスタがとても美味しくて、私はご機嫌だった。  その後は行き当たりばったりで喫茶店を探したけれど、うまく見つからずどこもいっぱい。さんざん歩き回って、ようやく小さな本屋の二階にある可愛いコーヒーショップを見つけた。  年配の男性や友だちと共に来ている女性たち、比較的年齢層が高めで、浮ついた様子のない手堅い店だった。 「コーヒー美味し……!」 「美味いな。デザート頼んだら?」 「何でも美味しそうだよね、きっと」 「俺も何か食べよう」  子どもの頃以来のプリンアラモードを頼んだ。田村くんはやっぱりコーヒーゼリー。去年のデザートも、彼はコーヒーゼリーだった。食べたのは私だけど。  ジャズピアノの音色が気持ちのいい空気を作っている。すぐそばのおじいさんは新聞を読みながらコーヒー。和服姿のおばさん三人組は品のいい笑い声でそれぞれにデザートを。いいな、ここ。また来たい。  店内の二箇所ほどにマガジンラックがあり、新聞や雑誌が立てかけられている。マンガなんかなくて、もっと大人っぽいものばかり。私が毎月読んでいる『フォンテーヌ』が置いてあった。 「あれ、私が毎月読んでる雑誌」 「ん? どれ? マンガ?」 「違うよ、もう! ファッション雑誌。毎月今頃発売なの。まだ今回のは買ってないや」 「はやっちもファッション誌とか見るんだな」 「フォンテーヌ、っていうの。お洋服の写真が凄くきれいなの。お気に入りの雑誌だよ」  今度、仕事帰りにでも買ってかなきゃ。二十代前半くらいをターゲットにした優秀なファッション誌。  私は雑誌のことを少し考えたが、すぐに思考は田村くんへと戻った。そろそろプレゼント渡さなきゃ。 「田村くん……これ、プレゼント。クリスマスの。どうぞ」 「え! はやっちから? まずい、出遅れた。俺もプレゼントあるよ」 「ほんとに? じゃあプレゼント交換だね」  私たちはそれぞれに細長いけれど大きさの違う箱を交換した。せーの、で、黙々とラッピングを開き始める。  手の中に光っているものは、華奢なハートのネックレスだった。それも今はやりのブランドのもの。 「……す、素敵……エムジュエリーのエタニティハートだ」 「このネクタイも、凄くいい……うわ、これもブランド物。この柄、好きだよ、いいね」  私からのネクタイのプレゼントを眺めて、田村くんはつぶやいた。あ、よかった。ネクタイ、似合いそう。 「ボーナスで買っちゃった」 「俺も」 「ネックレス、つけてみてもいい?」 「ぜひ!!」  今日はV字襟のブラウンのニットを着てきた。きっと、このネックレスは私に似合う。恐る恐る、首につけてみる。 「どうかな?」 「凄くよく似合う。はやっちの首、細めじゃん。前からそれが一番合うと思ってたんだよね」 「ありがとう、すっごく嬉しい。毎日使うね。ネクタイも仕事で使ってね」 「今すぐ締めたいけど、今日はスーツじゃないから、次に会う時は必ず」  ハートのネックレスを指先で触りながら、私は心が満たされるのを感じた。この人だけが、私を愛してくれる。誰にも代え難い存在だった。ありがとう、田村くん。あなたがいれば、何も怖くない。  コーヒーにプリンアラモード。美味しくて嬉しくて、愛おしい時間。私は心の底から彼が好きだった。触れる指先があったかい。このあったかさが、田村くんの魅力。  遅くなる前に送ってもらった帰り道、閉店直前の本屋さんで『フォンテーヌ』を購入した。大きくてずしりと重いけれど、中身は軽やかで美しい写真でいっぱい。家に着くまで田村くんが紙包を持ってくれた。 「今日は楽しかった。ありがとう。このネックレス、大切にするね」 「俺もこのネクタイ、たくさん使うよ。ありがとう」 「次はいつ会えるかな。またすぐに電話していい?」 「もちろん。仕事がどんな感じかわかんないけど、なるべく早く会おうよ」  暗闇の中で、小さくキスをする。それだけで満たされた。今日一日、楽しくて幸せだった。田村くんは玄関先まで私を送り、両親に挨拶して、手を振って帰って行く。 「いい青年だな。毎回こうして明日香を送り届けてくれて。お父さん、安心だぞ」 「田村くん、プレゼントくれたの。このネックレス。私からはネクタイプレゼントしたよ」 「あら、そのネックレス、かなり高級そうだわね」  お父さんお母さんと話しつつ荷物を部屋に置いて、お洋服を脱いでネックレスを外して、そのままお風呂場に直行する。「お風呂入ってくるー」と誰ともなく叫んで中に入った。  外が寒かったからお風呂が気持ちいい。鼻歌交じりで全身を洗い、お湯に浸かってのんびりと出てきた。明日も一応お仕事だから、あまりのんびりし過ぎないようにしなきゃ。でも診察は午前だけだから、気分的には楽だけど。  パジャマ姿で歯磨きして、「おやすみなさーい」と自室に入る。大事なネックレスは、ジュエリーボックスの中へ。椅子の背にかけておいたお洋服はハンガーに吊るしたりして洋服ダンスに。あとは『フォンテーヌ』でも眺めて、ゆっくり眠ろう。  紙包から取り出した雑誌と共にベッドに潜る。うつ伏せになって、雑誌をパラリパラリとめくった。今月はどんな雰囲気だろうか。  ふと、手が止まる。  な、に、これ。  雑誌全体の半分過ぎくらいのところに、あの人の写真。あの、卑劣な男。どうして雑誌なんかに出てるの?  スリムだけれど逞しそうな身体。美しい容姿。クリーム色のニットに黒のジーンズ。長めの茶色い髪を右手でかき上げるポーズが、見たこともないほど洗練されて魅力的だった。私はその写真を凝視していた。 『男性ファッション誌モデルからシンガーへの転身』 『世紀の美貌に包まれたその素顔は』 『デビューシングルはクリスマスプレゼント』  そんな文字が並んでいる。パラ、パラ、パラとめくっていくと、五ページくらいの紙面を割いて、田村くんのお兄さんを特集していた。これ、女の子用のファッション雑誌なのに、何で男の人?  内容を読んでいくと、『フォンテーヌ』と同じ出版社が出している男性ファッションの雑誌でモデルをしているらしい。普段の生活や好きなもの、嫌いなもの、自分の性格、いろんなことが書いてある。好きなタイプは髪のきれいな女性、嫌いなことは理不尽な我慢。好きな人は髪のきれいな人、嫌いなことは我慢……  最後にデビューシングルCDが紹介されていた。発売日は明日。タイトルは『I love YOU』、B面、つまりカップリング曲は『逃がさない』。お前を愛してる。逃がさない。逃げても無駄だよ。迎えに行く。 「どこまで追いかけてくるの……」  私は床に雑誌を叩きつけ、電気スタンドのスイッチを切って布団を深くかぶった。もう何も考えたくなかった。  その夜は夢を見るのが怖くて、ほとんど眠れなかった。
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