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31. 記者会見
記者会見は多くのチャンネルが取り上げていた。午後二時からと聞いていたから、私もその少し前にテレビをつけてザッピングしていた。
和仁だ。おしゃれなスーツを着て、結婚指輪をしている。物凄いフラッシュの数々。見ているこちらまで眩しいのだから、彼はどれほどつらいだろうか。どんなにスポットライトに慣れているとはいえ。
デビューから間もない頃にプロポーズして、結婚。詳しい日付は言わないし、言うつもりもない。それは家庭内のこと。プロポーズの言葉は、愛してるから結婚してくれ。シンプルだ。八歳下の可愛い人で、自分の方から一目惚れ。彼女のことはたくさん傷つけたから、これからは幸せにしたい。だからもう、彼女のことは追いかけないで。質問ならば、自分に。答えられることは答える。答えられないこともある。彼女は怖がっている。これ以上怖がらせるようならば、法的措置を取らざるを得ない。自分たちにも自由に暮らす権利があるのだ。侵害しないでほしい。
他人事のように、和仁の言葉を聞いていた。そんなプロポーズだったっけ。一目惚れだったのか。たくさん傷ついたのは本当のこと。ちゃんと、自覚あるのね。
質疑応答はあったが、ゴシップを拾い上げたり、私たちの生活を覗き見ようとしたりするものばかり。中には、田村くんと私の関係をにおわせる質問もあり、どきっとする。「家族のことは関係ないです」と言い切って、一瞬で一刀両断していたけれど。
和仁の態度には、毅然としたものがあった。そして今日も美しかった。あの美貌は記者たちを威圧できただろう。
そういえば、私から和仁にプレゼントしたことってないな。記者会見とは関係ないことをなぜか思う。結婚指輪を眺めながら、思う。田村くんにはネクタイをプレゼントした。あんな風にピュアにプレゼントを選ぶひとときは、もう二度と私には訪れない。何もかも、和仁が奪っていったから。私の純粋なものを何もかも、剥がし切ってしまった。そして私は、女になった。男の味を知った、女に。
結婚のことが公になると、ファンの人たちが落ち着かなくなったらしい。私はずっと外出できなかった。どこで狙われるかわからない。どん危害を加えられるかわからない。和仁は私が傷つくことを極度に恐れ、彼と一緒でなければ出かけることはなくなった。もともと運動がしたい方でもないし、特別外に出る趣味もない。私は別に構わなかった。少し不自由ではあったが、大丈夫だった。私の身体は病気がちでもなかったし、病院へ行かねばならない理由もなく、インドアな生活を楽しんだ。
インドアならインドアなりに、何か趣味でも見つけたいなと感じ始めたのは、冬が始まりそうな朝のことだった。お母さんが「びったりおどし」だと言った、あの朝みたいに寒い朝。
和仁が美しいというだけの理由で叫んでいた女の子のファンたちが少しずつ遠ざかり、もう少し大人の、本格的に音楽を愛する男女が手堅いファンとして定着していった頃のこと。
二人で歩いていても写真を撮られることが徐々に減ってきた冬の日に、私は買い物へ行きたいと告げた。
「買い物? 洋服かなんか?」
「ううん、手芸屋さん」
「手芸屋……明日香から聞いたことのない言葉だな」
「編み物、やってみたくて」
「へえ……可愛い。いいじゃん。行こう」
アーティストという名称で呼ばれるようになった和仁。以前はまるでアイドルだった。少しばかり年齢を重ねて、ファン層も変わり、自分の歌もどんどん増えていき、アーティストと呼んでまったく遜色ない人物となったと思う。美しいのは今も変わっていない。眩しすぎる仮の覆いを取り去り、本物の人になったように見えた。和仁は三十八歳になっていた。つまり私は三十歳だ。
「編み物、やったことあるの?」
「全然。本で学びながらやりたいの。手芸屋さんに行けば、一通りの商品は教えてくれるだろうし」
「絵になりそうだな、明日香の編み物姿」
「そうかなあ」
大型の手芸屋で編み物コーナーを漁る。店員さんに聞きながら、必要なものを揃えていく。編み物教室もあったが、通うのがめんどくさい。自力でやってみようと、いろいろ買い込んだ。
和仁は買い物の間も、しっかりと隣にいて離れなかった。油断禁物なのだろう。私も気をつけないとと心の中で呪文を繰り返す。気をつけて、気をつけて、気をつけて。
帰り道に食事をして、会計を済ませてレストランを出てみたら、可愛い少女の二人連れがいた。姉妹だろうか。色違いのお洋服を着ていて、とても可愛かった。
「あのっ。たむらかずひとさんですか?」
「ん? そうだよ」
「これにサインおねがいします!」
「子どもさんか。おじさんの歌、聴いてくれてるの?」
大きい方の少女が「さくらのうたげ」ってうたがすきです!」と答えた。
「その年で『桜の宴』か、ませてるね」
「サインしてあげなよ」
和仁がサインしている間、小さい方の少女が私に向かって言った。
「おねえさん、そこ、ゴミがついてる」
「え? どこ?」
「こっちきて」
顔を少し少女の方に寄せたら、突然何かを引っかけられた。
「……あつ……っ!! な、に……」
「明日香!?」
「痛い……顔……何かかけられ……」
少女たちは走って逃げ出している。やられたんだ、私。ついに、やられたんだ。痛い。痛い。熱い。
「すみません! 警察と救急車呼んでください! 早く!!」
顔が痛い。目に、入ったかも。痛くてこすることもできない。私はしゃがみ込んだ。和仁が私の肩を抱いて、明日香、明日香、ごめんと嘆いている。大丈夫、生きてる。だから、泣かないで。
「そうだ、洗うんだ。こういう時は洗わないと。そこのお店の人、手伝って!」
和仁に手を引っ張られて、近くのトイレに駆け込む。目を閉じているので見えなかったが、どうやら男子トイレらしい。
「ちょっと我慢な。水引っかけるから。あ、すいません、怪我人です」
うつむかせられて、顔に水を浴びる。水道の水では少しずつしかかからないけど、やらないよりはましなのかも。
すぐに救急隊が入ってきて、私たちは病院行きになった。救急車の中で、何か薬品みたいなものがかかった服を脱がされたりした。もう何もよくわからない。頭の中は混乱していた。
いつか何かはやられると思ってた。それが今だった。そんなことを、どこかしら冷静な自分が考えていた。
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