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5. 会員制喫茶室
「なるほど、よしくんは旧家でお金持ちのおぼっちゃまだったのか」
「嫌な感じで申し訳ないけど、平たく言えばそんなもんだよ」
「お見合いって、政略結婚?」
「政略結婚かどうかは俺はわからん」
まるでお城みたいな美しい喫茶店に私たちはいた。広い店内。メイドさんみたいな可愛いウエイトレス。香り高いお紅茶やコーヒー。高層ビルの上の方にある会員制の喫茶室らしい。お向かいにはレストランがあって、そこも会員制らしい。
私はサクサクのミルフィーユをオーダーしたのだが、完全に失敗だった。なぜこんなに食べづらいものを。しかも矯正中だというのに。だって見た目があまりにも可愛かったんだもん。
「それ、食べないの?」
「うまく食べられない。壊しそうだし。歯にもちょっといまいちかも」
「俺のコーヒーゼリーと取り替える? まだ食べてないから」
「え、悪いよ。私の少し食べかけてるし」
「いいよ別に。今日は明日香は俺の彼女だろ」
さっさっと素早い手さばきでお皿を取り換え、フォークを取り上げられ、スプーンを渡される。わりとやることスマートだなと、改めて感心した。
「田村くんの彼女になるのも悪くないね」
「よしくん、な。ありがとう」
「今までつきあってた女の子、いなかったの?」
「いない。あまり興味ないし。明日香は?」
「彼氏などいたことはない」
「じゃあ初めて同士だ。おあいこだよ」
一緒に高級レストランでランチして、高級会員制喫茶室でティータイム。別にハンサムでもないけど、悪くない男。お金持ちで家柄もいい好青年。落ち着いていて大人っぽい。私みたいに見た目だけ老けて見えるんじゃなく、身のこなしがきれいだった。多分、お育ちがいいのだろう。
そんな人が私のことなんか好ましく思うことはないか。
ん?
何を考えているの、私は。
ゲンコツを作って、自分の頭をゴンゴン殴った。
「おい、何やってんだよ。こぶできるぞ」
田村くんの手が伸びてきて、ゲンコツの手首を掴まれた。ちょっとドキッとする。
「何してんの? 自分の頭殴るの趣味? 痛くないの?」
「い、痛いよそりゃ」
「ならやめろよ。心配かけるなよ。頭なんか殴るのよくない癖だぞ」
だってなんか。だって。何となく変な気分になったから。
早く切り替えろ、私。
「たむ……よしくん、就職決まったんだっけ」
「大蔵省」
がしゃん。スプーンがコーヒーゼリーの受け皿に落ちた。浴びる注目。固まる空気。
「ご、ごめん。動揺した」
「何に? 大蔵省に?」
「うん、なんか、その、凄くいいところだね」
「ただの省庁だけど。親父が大蔵省なんだよね、どうしてもなあ、家柄重視みたいなところあるのかな、知らないけど」
「そうなのね」
「明日香は? どこか決まった?」
「えと、今通ってる歯医者の受付……」
そうなのだ。あれから急に矯正歯科の松木先生から電話があり、就職浪人確定だった私の就職先が急遽。そう、直ちに決まってしまった。歯科衛生士になるつもりはなかったので、永遠に受付と電話番でいたい。
「よかったじゃん。看護婦さんの白衣でも着るの?」
「制服貸与」
「いいなあ! 覗きに行こうかな」
「歯の矯正されちゃうよ」
「もう嫌だなあ、あれは」
「白衣好きなの?」
「わりと制服って好きだぞ俺」
「変態っぽいわ」
「君に言われたくないな。コミパ通ってたの知ってるぞ」
「なんで知ってんのよ!」
「一年生の頃、自分で言ってた」
そうだっけ。そうかも。一年生の頃はまだ卒業してなかったから。恥ずかしい。情けない。そんな恥に感じることじゃないかもしれないけどさ。だいたいよく四年も前のこと覚えてるわね。
「コミパ行くような女、嫌い?」
「いいや別に。趣味があるのはいいことだよ」
「もうその趣味やめたから」
「次の趣味は?」
「マンガ読むことくらいかな」
デートのはずなのに、なんでこんな話しをしなければならないのか。ひどすぎる。恥を晒されている。処刑?
「よしくん、の趣味は?」
矛先ずらし成功せよ。
「特にないな。本読んだり音楽聴いたりだよ。履歴書に書けないレベルだな」
私だって書けない。だから読書って書いた。
コーヒーゼリーをちびちび食べながら、田村くんが腕時計をちらりと見る。彼の家に行く時刻がじわじわと近づいてくる予感がしてきた。
「まさかもう時間?」
「いや、まだ大丈夫。不安?」
「そりゃあもう」
「だよな。俺も不安」
「何を話せばいいのかと」
田村くんは「うーん」と唸って、さらりと前髪をかき上げた。その前髪は音がするくらいサラサラだった。
「しばらく一緒にいて、俺のこと少し好きになってくれた?」
「えっ! そんなこと!」
何を言い出すの。びっくりさせないで。またスプーン落としそうじゃないの。
「だめ? 俺これでも結構努力してるけど」
「努力」
「そう。好かれる努力」
「たとえば」
「そうだなあ、できるだけスマートに行動するとか、できるだけ君が楽しくなるようにがんばるとか」
そ、そうだったのね。私はまんまとはめられてるわ。田村くんの言う通り、実はちょっと彼のことが気になっている。でもそう正直に言うのもちょっと悔しいので、まあ、ね。
「べ、別にもともとあなたのことは嫌いじゃないし。わりと好きだよ、うん」
「そうか、よかった。俺も明日香のことは好きだよ。もともとわりと好きだし、なんていうか、きょうだい的な感じがするんだよね」
「きょうだい?」
「うん。なんかさ、離れて育った双子みたいな感じ」
そんなことは考えたこともないが、そう言われるとそんな感じもする。気がしないでもない。と微かに思ったりもする。ような心地。
「だから、今日から一緒に暮らしても違和感なさそうだななんて、俺は思っちゃうよ」
サラサラ髪をまたかき上げて、はははと笑う田村義仁。いくらなんでもいきなり暮らし始めるのは無理だぞ。違和感ありすぎる。
私のコーヒーゼリーがなくなる前に、田村くんのミルフィーユは姿を消していた。あんな食べづらいもの、どうやって食べたのかしら。
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