155人が本棚に入れています
本棚に追加
6. イルミネーション
少し歩こうか。足は痛くない? 疲れてたらタクシー使ってもいいよ。田村くんは何だか優しい。今夜のための演技なのかと思うと、ちょっと残念な気がした。手を繋ぐのも慣れてきた。彼の手の大きさを覚えてしまった。夜に田村家を訪れて、やるべきことを済ませたら、私はそれでお払い箱なのだと考えると、妙に寂しい気分になってくる。
出かけるとき、母には「人助けにデートしてくるよ」と言い残して出てきた。夕方が近づいてきて、こんなに面白くない気持ちになるなんて、まったく想定してはいなかった。
「なんだか元気ないね。俺んち来るの、やっぱり憂鬱?」
並木道は木々のすべてがイルミネーションで飾られていて、これから点灯されるのだろう。テレビでさんざん見ていたけれど、その中を自分が通るなんて。しかもこんな気持ちで。
「そんなことはない、けど、なんかさ」
田村くんは立ち止まって私の顔を覗き込んだ。私も立ち止まって顔を見られないようにうつむく。前髪分けてるからうつむいても意味ないか。
ぎゅっと手を繋いだまま。これ、嘘なんだね。みんな嘘。クリスマスなのに。
「なんか、ちょっとさ、なんか」
ボロッと涙が落ちてきた。コートに雫がかかったかもしれない。私自身びっくりしていると、田村くんはもっとびっくりした顔をしている。
「え、はやっち泣いてるの? なんで? 俺なんか言った?」
ぶるんと首を横に振り、笑おうとしたけれど、うまくできずに下を向く。繋いでいない方の手で、思わず口元を塞いだ。
「なんだか知らないけど、泣いてるのごめんな。俺が無理させたのかも。いいよ、今夜来なくてもいい。泣いちゃうくらいつらかったら、こんなことしなくていいから」
繋いだ手をぎゅーっと握って、私は首を横に振り続けた。違うの。そうじゃないの。あなたのお家に行くことなんか大したことじゃない。それが終わった後のことを考えると、凄く悲しくなるだけなんだよ。
「はやっち、泣かないで。君を泣かせるのは俺もつらいよ」
優しい手が頭を撫でてくれている。辺りがほんのり明るくなってくる。イルミネーションが点灯したのかな。
「……違う……」
「なに? もう一度言って」
かがんで耳を近づけてくれる田村くん。ありがとう、優しいんだね。どこまでが本当でどこからが嘘なのか、私わからなくなった。
「……今日は凄く楽しい」
「うん。でもいいよ、はやっち。無理しないでも」
「違う、本当に楽しい。でももうすぐ終わっちゃう」
「ん? 何が終わるの?」
「……デートが」
「うん。終わらせようね、早く。家まで送ってあげるから。無理させたよね、ごめんね」
「違うんだってば!」
少し大きな声を出すと、周囲のカップルたちが私を見た。構うもんか、誰も知らない。私が知ってるのは目の前の田村くんだけだ。繋いだ手をさらに強く握る。
「楽しかったから、終わっちゃうのが嫌なんだよ!」
田村くんはきょとんとして、私のことをじっと見下ろしていた。私よりもずっと背が高い。私の目の高さは田村くんの肩くらい。寄りかかっちゃおうか。旅の恥はかき捨てだよね。
「……はやっち、それって」
「うん」
「俺とまだ一緒にいたいって言ってる?」
「……うん」
「俺んち来るのも嫌じゃない?」
「そんなの大したことじゃない」
「じゃあ、どうして泣いてるの?」
クリスマスだし。旅の恥はかき捨てだし。今日は何もやっても許されるし。こんなことになったの田村くんのせいだし。私は田村くんの肩に抱きついた。
「今日が終わったら全部嘘になっちゃうの、嫌だ」
「嘘じゃないよ、はやっち。俺が頼んだんだし」
「今日が終わったら、もう会えないのは嫌だ」
田村くんは突然、ぎゅっと私を抱きしめた。突然のことに、思わず身じろぎしてしまう。男の子に抱きしめられたの初めてだ。こんな感触なんだ。こんな匂いなんだ。こんな、あったかさなんだ。
「俺のお願い聴いてくれたはやっちには、プレゼントあげる予定だったよね。何がいい?」
がやがやと賑わう並木道で、田村くんは私の耳元で囁いた。こんなにうるさい場所なのに、距離が近いとこんなに聞こえる。
「……いらないよ、そんなの」
「嘘だ。今ほしいものがあるはずだよ」
「思いつかない」
「物じゃなくてもいいんだよ。人間でも、気持ちでも」
ボロボロと涙が溢れてくる。どうしてだかわからないけれど、泣けて仕方がない。田村くんの腕の中があったかくて、冬の冷気は届かなかった。
「……田村くんがいい」
「うん」
「プレゼントは田村くんがいい」
「うん、俺もはやっちがいい」
「こんなはずじゃなかったのに」
「そうだね、びっくりだね」
「嘘じゃなくて、ほんとのカップルがいい」
「うん、俺も」
涙が止まらない。どうにかして止めようと、歯を食いしばってしまった。歯を食いしばるとワイヤーに絞められている歯がズーンと痛む。ようやく我にかえった。
「お家に伺うよ、ちゃんと。もう泣き止んだよ」
身体をそっと離して、私は照れ笑いをした。田村くんも笑っている。地味だけど、あくまでも地味だけど、優しくて誠実そうで、今日一日で大好きになってしまった笑顔だった。
「このまま、キスしちゃおうか」
「キっ! 何言ってんの! 田村!」
「黙ってしちゃえばよかった。泣いてるはやっちも可愛いよ」
「別に、私なんか可愛くない」
「そんなことないよ、可愛いよ」
そう言いながら、彼は私の髪の毛にキスをした。なんというか、頭皮に感じた。照れる。
「お化粧、直したい。泣いちゃったから」
「いいよそんなの。どんな顔でも可愛いのに」
「田村くん、いつの間にそんなに甘っちょろくなったの?」
「今日一日、はやっち凄く可愛かったからさあ」
「好きになった?」
「もともとわりと好きだけど、ほんとに好きになっちゃった」
私たちはそのままタクシーに乗って田村くんの家へ向かった。タクシーの中で化粧も直せた。そして私はお腹が空いていた。泣くと体力を使うことがわかった。
車内でも田村くんは、私の手を握ってくれた。
最初のコメントを投稿しよう!