9. 帰り道

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9. 帰り道

 丁寧にお礼を言って、田村くんの家を後にする。田村くんは私の家まで送ってくれると言って、一緒に出てきた。夜も遅くなってきて、一人で帰すのは心配なんだって。 「はやっち、大丈夫だった? 無理してなかった?」  なぜか自然と手を繋いでしまう。この半日で慣れちゃった。手を繋ぐのも、明日香と呼ばれるのも、田村くんの家の空気も。うん、楽しかった。 「無理なんか全然してないよ。田村くんがいいお家で暮らしてるのがわかって、なんかよかったな。お母さんのご飯美味しかったし、お父さんもいい人だったし」 「なら、よかった」  見るからにホッとした表情で、田村くんは笑った。彼も緊張していたのかもしれない。もちろん私もホッとした。それなりに緊張はしていたから。無理と緊張は別ものってことを知った。 「俺も、はやっちのお家に行って挨拶した方がいいのかな」 「いいよ、そんなの。だいたい私たち、今までつきあってなかったじゃん!」 「それもそうだな」 「とりあえず田村くんのお見合いは阻止できたし、今後のことは、まあ、その、ゆっくりさ」  左手をぎゅっと握られる。ドキドキする。おかしいな、待ち合わせするまで、本当に何とも思ってなかった人なのにな。 「今後のつきあいも続けてくれる?」 「……うん」 「嫌じゃない?」 「そんなわけないよ。だって私から、会えなくなるの嫌だって、言ったわけだしさ」 「嬉しいなあ、そんな風に思ってもらえて」  でも、考えてみれば、田村くんからは何も言われてないんじゃないの? 私のこと。好きなのかどうなのか。あれ? 言われた? 言われたっけ? 言われてないよね? 「たっ、田村くんは……私のこと、嫌じゃない?」 「何言ってんの。嫌なら手ぇ繋いだり抱きしめたりするかよ」 「で、でもさ、その……好き、とか、言われてないような」 「えっ! 言ってないっけ? 何ページか前に言ったような気がする」 「マンガじゃないし!」  もうすぐ降りの坂道が始まるところで、田村くんは私をきつく抱きしめた。今!? 誰も歩いていませんように。 「何度でも言うぞ。はやっち、好きだよ。大好き」 「でもさ、朝まで何とも思ってなかったよね、私のこと」 「うーん、どうだろ。そもそもこのお願いする時点でわりと好きだったしさ。片想いー! とかまではいってなかったかもしれないけど、いろいろ考えてた。どんな服で来るかな、どんな顔見せてくれるかな、喜んでくれるかな、楽しんでくれるといいなとか」 「……ごめん、私、今朝まで田村くんのこと何とも思ってなかったのに」 「そんなのわかってるよ。好きになってもらおうなんて贅沢は考えてなかったよ。ただ、はやっちのミルフィーユのお皿とフォーク取り上げて『間接キッスいただきー』とか中学生みたいなこと思ってた」 「やだもう、馬鹿だなー」 「いいの。結果的にはやっちは雰囲気だけで俺に惚れてくれたから」 「雰囲気だけって」 「雰囲気、大事でしょ?」  田村くんの肩におでこをくっつけて、内心『雰囲気、大事だわ』と思い起こす。フレンチ、それも予約の取れないジョルジュ・ボウとか完全にやられたし、会員制のきれいな喫茶室もやられたし、イルミネーションの中で抱きしめられたらもはやノックアウト。そういえばあの喫茶室、『ラ・メール』とかいう店名だったっけ。 「私のこと、ずっと好きだったの?」 「うん、さっきも行ったけど、まあ好きだった。これからもっと好きになる予定」 「いいの? 私なんかで」 「はやっちだからいいんじゃん。他の子に頼まないよ。はやっちに断られたら、仕方なくお見合いしたかもな」 「じゃあ、結構好きじゃんか」 「だからさっきからそう言ってるのに。信じてよ」  心の中でふふふと笑う。こんな私でも、好きになってくれる人がいる。何だか、嬉しい。変なの、一日でこんなに自分が変わるなんて。 「はやっちは? 俺のこと好きになってくれた?」 「何ページか前に言った」 「ほんとかぁ? 会えなくなるのが嫌だって言っただけじゃん?」 「だからそれよ。好きって意味でしょ」 「ちゃんと好きって言って」 「………………好き」 「聞こえないなあ」 「田村くんが好き……」 「俺も、はやっちが好き」  やだなあ、恥ずかしい。道の真ん中、いや、端っこで。誰かに覗かれてるかも、なんて考えてしまうけど、今の時間が特別な気がする。 「誰も通らないんだね、この道」 「わりと人通りのない道だから。夜に一人じゃ歩かせないよ」  そうか、誰もいないんだ。じゃあ、もう少し接近しちゃおう。私はもぞもぞしながら顔を動かして、田村くんの首筋の匂いを嗅いだ。犬みたいだなあ、私。  ん? 何だかいい香りがする? 田村くんの香り? 「田村くん、何か香りものつけてる?」 「え、くさかった?」 「違うよ、どことなくほんのりいい香りがする」 「出るときに少しだけコロンつけてきたけど、もうさすがに消えてるんじゃないか?」  そうかな。くんくん。何だろうか、凄くいい匂い。田村くん自身の香りなら、この人はいい匂いのする男の子だ。 「残り香かなぁ。好みの香りがするよ」 「はやっちがそう言うなら、それでいいや。また親父のところから拝借しよっと」 「お父さんのなの?」 「うん。前からあった気がする。何となく気に入ってたから、行きがけにプシュッてしてきた」 「いい感じ。うっとりする」  はははと笑って、田村くんはぎゅうぎゅうと私を抱きしめた。いい香りに包まれて抱きしめられるの、気持ちいい。ずっとこうしていたい。 「はやっち、キスしてもいい?」 「んー、だめ」 「何でだよー。いいだろ」 「だめ。もうちょっとこうしてて」  私と田村くんは、道端でずっと抱き合っていた。でもさすがに寒い。クリスマスだもん。冬じゃん。ああ、もう帰らなきゃと身体を離した隙に、田村くんは私にちゅっとキスしてきた。びっくり。 「だめって言ったのに!」 「いいじゃん、はやっち可愛いんだからさ」 「もう! 今後のお楽しみが減ったじゃん!」 「今後はもっとやりたいことがあるぞ」  田村くんは怒る私をなだめながら、家まで送ってくれた。別にほんとは、怒ってなんかいなかったけどね。何となく先に取っておきたかっただけで。  でもさ、恋とかなんとかって、こんなにお手軽に始まるもの? ほんっとーに私、昼までこの人のこと何とも思ってなかったんだけど。いいの? いいのかな? いいんだよね。だって、今とっても好きだからね。いいよね。ふふ。
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