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 久志はみるみる健康になったが、こうして自分を一度俯瞰してみると、これまで憧れていたはずの健康というものが、いかに野心的でないかということを知ると、自分の向かうべき方向、もっと言うとこれからの自分の人生の大半が、いかに灰汁(あく)の効かない、中身のない、つまらない物にはならないだろうかと不安に思った。  彼の健康的な生活が、こんな些細な不安を駆り立てないときは一日とて無かったが、それはまるで部活動に励むにきび顔の若い学生が、伸び悩む記録や成績に悶えるような健全な悩みに過ぎない。  問題は、若いにきびという苦悩がどうやって生えてくるか、しかもどうやったら綺麗さっぱり消せるかということに集約され、その醜さを隠すには、何かしら輝かしい功績が、誰にでも分かりやすい名誉が不可欠という事であった。  久志はつまり、一時の、願わくば一生の、心の平穏を得たは良いものの、何か端倪(たんげい)すべからざる不足に喘いでいた。それは端的には意味とでも価値とでも書き換えるべき、或る観念の窒息のような、蒙昧(もうまい)な意識の閉塞感のようなものだった。  久志は偸安(とうあん)な幸福に悩む不幸に陥ったのである。  幸福の側から見れば、久志が何故そう悩むのか、そもそも悩んでいることさえ分からない。だが不幸の側から見れば、久志は確実に悩んでいるように見える。  もし不幸についても幸福についてもあまねく網羅している辞典のような者がこの世界にいるとしたら、今の久志はきっと意味もなく悩みを打ち明け、請うて幸福の原理について教示を求めただろう。だが久志はその解答の全てにけちを付けて、こう言い放つであろう。 「あなたの言うことは、どれも全て教科書の中のお話だ。どれもこれも役立たずで、嘘っぱちだ」  それは青年の恋愛に対する不幸自慢に似ている。すなわち久志はもう自分の幸福を疑わなかった。  その日久志は仕事が休みだったので、迷惑も承知の上で、寧ろ迷惑をかけに行くつもりで、開店時間直後を見計らい、朝食と風呂と着替えを済ませて、優斗のペットショップに直行した。もはや(やま)しさのようなものは日々濾過されて、いずれ自分に罪を贖う機会があるならば、それはこの場所を根拠に何かしらの行為として再結晶するに違いないと信じて。  久志が御寺町を北上して、或る三叉路に出ると、依然として雲のない酷暑はその連続性を保ち続けていたが、今日この頃、朝から正午にかけて日差しが幾分か優しく感じられた。  三叉路の突き当りの東の空では、微かに淡い太陽が、薄い水色の天頂へ向かって昇っている途中だった。  突き当りの唐松の木陰には、広い境内を四囲する清閑な土塀と、壮麗な彫刻と装飾の四脚門が久志を待ち構え、御寺町に並び立つ数々の荘厳な寺院の中でも一等高い善照寺(ぜんしょうじ)本堂の、威丈高な瓦葺きの棟端の大鬼瓦とその降り棟の両端に控える阿吽一対の獅子瓦が、遥か高みから睨みを利かせて後背の日輪の威容を示していた。  この地方土着の古い迷信によれば、街道上の三叉路の突き当たりには、道を曲がれず直進する魔が(ひそ)むと言い、明治の総建て替え以前の旧善照寺の室町後期に遡る建立の経緯(いきさつ)もそれに由来する。特に丁度今どきのように八月の中頃を過ぎると、本堂に近隣の小学生らを集め、夕暮れどきまで夏休みのお勉強会が催されるが、そのお勉強会の一番の名物は、老齢の妖怪じみた住職御自ら話される怪談百物語で、久志も小学生のころ、この少年たちの輪の中で肝を冷やした。  善照寺を北に取ると、三叉路を右に曲がれば優斗の店に着く。久志はいつものようにそこを右へ曲がった。そうすればあの小体な、ひっそりと佇む店構えがすぐ見えるはずである。  だが、そのとき久志の目に入ったのは、惨たらしい只ならぬ光景だった。  遠くからでもよく分かるように、店先の黒い石畳は目の疲れる赤や黄のペンキでいたずらに汚されていた。そのペンキがどこから流れてくるかといえば、それは店のショウウインドウからである。  店先のしおれた花壇は危うく難を逃れたが、石畳のペンキはというと、一度店のショウウインドウにぶちまけられて、しかしそこへ完全に定着できず、それは傷口から溢れ出てきた膿のような、ふてぶてしい(おり)だった。悪魔は確かに、突き当りを避けて、この道を東西に直進していったのだ。
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