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「数年前、そう、あれは僕が大学を中退して、この店を継いだときぐらいだ。すぐ隣町に、ある人権団体がロビーを作ってね。まあ最近よくある思想テロ商法さ。どっかから持ち込んだ高尚な思想に『啓蒙』って値札を付けて、この辺鄙な街で文字通り売り込もうと考えた知識人たちがやって来たわけ。田舎ってのは、今の時代流刑地みたいなもんだからね。どこにも居場所のない人間が我が物顔で居場所を作りにやってくる。しかしまあ、彼ら朝から晩までとにかく騒がしくてね。商工会やら教育委員会やら色んなところに抗議運動やらなんやらいって、結局地元の人間から煙たがられて、すぐにやっていけなくなったみたいでさ。でもそれで、その人権団体は去年暖簾(のれん)を変えた。動物愛護団体っていう格好の屋号を見つけたんだ。彼らの商売戦略はしっかりしてるみたいだね。しかも今度はちゃっかりどっかから後ろ盾を見つけてきたみたいでさ。ああいう『抗議活動』でうちみたいなのは困ってるわけだけど、もう警察も役所も見て見ぬふりで知らんぷりだよ。ここらにあった同業も随分やられてさ。老舗の金魚屋さんに剥製屋さんに肉屋さんまで皆廃業したよ。今じゃこの地域で生き残ってるのはうちだけだ。ああ、それにしてもなんて滑稽な話だろう。よりにもよって思想がね、思想が理性を失って、感情的になってしまったら、それはもう思想なんて言えないじゃないか。一体いつから思想は嫌われるものになってしまったんだろうね」  優斗は囲炉裏で燻る灰混じりの炭に向かって独り言ちるように、淡々と語った。久志は唖然としているだけだった。以前と全く同じように椅子を出されたものの、二人の立場は綺麗に逆転していた。優斗の話は聞くに堪えなかった。 「信じられないほどうんざりしてるけど、まあそれでも商売としてやっていけるうちは、まだ続けようと思ってるよ。自分で言うのもなんだけど世渡りはそんなに下手じゃなくてね。うちみたいな個人の零細がそもそも潰れない理由はね、売る相手を間違えないことなんだ。うちはね、当然一般向けに用品やペットを売ってるわけだけど、実は裏の流通経路もあってね、と言ってもまあ全然裏社会とかそんな怪しいもんじゃないんだけど。うちは最近増えてる外人の富裕移住者相手に商売してるんだ。彼ら今は羽振りが良いから、相場の二倍三倍でも買ってくれる。まあそこらは巧くだましてるわけだけど。お金が有り余ってる人からちょっと多く貰ってもね、向こうが何も文句を言わないなら正当な商売なんだ。アフターサービスもどこよりも細かくやってる。皮肉だけど大学で第三外国語までちゃんと履修しててよかったよ。まあとにかくね、その富裕層相手でも特に、子なしの家庭を狙うのが味噌でさ。小滝君知ってるかい、子なしの金持ちはね、仔犬や仔猫にオーダーメイドのお洋服を着せて、日除け付きの高級ベビーカーに乗せて散歩するんだよ。人間の子供よりも大事にするんだ。まあ彼らにしてみればね、人間の子供よりずっと安くつくわけさ。金持ちの子供は一人前になるまでに一億円かかるけど、犬や猫なんてね、数匹飼ったってどんなに高くて数千万数百万で済むわけだから。彼らなりの寂しさや喜びの節税法だよ。  いやな話かもしれないけど、とにかく店のあの惨状を見たら、そういう商売でもしないとやっていけないのは小滝君にも分かるだろう。それに金持ち相手の商売は寧ろ安心できるよ。何故って金持ちは自分が金を払った物には最後まで責任を持つから。もしあの仔犬が、君が連れてきた犬が、金持ちの家に生まれていたなら、そもそもあの仔は捨て犬にはなっていなかったんだ。当然無責任に売る方に大きな責任があるけど、それ以上に買う方の貧乏人や一般人は自分にも他人にも無責任だ。貧乏人や一般人はちょっとした思い付きで犬や猫なんか買っちゃいけない。そういう無責任があの仔を置き去りにしたし、巡り巡ってああいう『動物愛護団体』の皮を被った非人道的な理性の貧しい人間を生んで、しかもその下らない日銭稼ぎの八つ当たりが僕らに向かってくる。僕はそういう意味じゃ、どうにかしてその根を断とうと必死なんだ。分かってくれないか、小滝君」  優斗と目が合って、おずおずと久志は口を開いた。 「僕には分かりたくないなんて言えないよ。だけど山本君はそれでいいのか。百歩譲って君がそれを我慢できても、ここにいる仔犬や仔猫が回り回って危険に晒されているのは事実だ。それに夏紀ちゃんは? ここに来たとき夏紀ちゃんに出くわしたよ。彼女泣いてた。それなのに僕は何もできなかった。君はどうなんだ、山本君は心が痛まないのか」 「犬や猫まで、彼らは殺す気はないだろう。所詮ああいう嫌がらせしかできない意気地なしだからね。それに夏紀ちゃんも彼女自身が離れるつもりはないって言っているから、僕に何かする権利はない。それに小滝君だって知ってるだろう。僕には昔から、本当の痛みが分かる心なんてなかった。それがこういう事態を招いたんだ」
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