1/4
前へ
/29ページ
次へ

 久志の脚は、数日優斗の店から遠のいていた。そこには今や土や花や水や光に充たされた楽園ではなく、踏み(にじ)られ略奪された戦場があり、久志がそこへもう一度踏み込むならば、ただならぬ覚悟、最悪は死を覚悟せねばならなかった。  だが久志にはその覚悟が出来ていた。この数日そこから距離を置いていたのは、決して死を恐れたからとか、死の恐怖に打ち負かされたからというわけではない。久志は改めて罰を受けるために、より大きな罪を犯す準備を着々と進めていたのである。  それはようやく久志が、優斗に対する罪の借りを返す絶好の機会に他ならなかった。久志は四日四晩、例の愛護団体のロビーを襲撃する計画を企てていたのである。自ら団体のロビーまで赴いて自宅のアパートからどれだけ離れていてどういう経路でどれだけ時間がかかるか、ロビーの一日の人の出入りはどれくらいで、何時頃が少なく何時頃が多いか、建物の防犯はどれくらい徹底されていてどうやってその網を潜り抜ければよいかなど、とにかくあらゆる事象を丹念に事細かに調べ上げた。  団体のロビーは、久志の自宅から御寺町を抜け、そのままほぼ北西に行った、月山川対岸の駅前店舗街にあることを突き止めた。  優斗も優斗の店も、店の動物たちも、夏紀もあのモチという名前の金毛のレトリバーも、何もかもの平和の秩序を守るためならば、秩序以上の無秩序な罪を犯しても構わない。それに的確なのは、久志しかいない。理性を失った強権な怪物を討ち滅ぼすには、精神を病んでいる、理性を失った久志の暴力こそ適当だろう。  ただ何もそう言って、久志は自己正当化に酔おうとするわけではない。寧ろ久志はそれまでの自分を守っていた内殻を一切合切棄てた。久志はそれまで自分を精神的にも肉体的にも縛っていたものの正体に気付いていた。それは久志自身の内面であり、久志の自意識であり、久志の感情だった。久志は習慣という規律に縛られたから精神を病んだのでない。久志の感情自らが、規律という都合の良い補助具に縛られようとするあまり、精神を病むように仕向けていたに過ぎない。意図して精神を病むように自己暗示にかけられていることに気付いた今、久志はやっとその自己暗示から自分自身を解き放ち無化することの意味を悟り、眼が(ひら)けたのだ。  今こそ久志は、その役目を果たすときだ。自分はそのために今まで生かされてきたのだ、と。これもまた自己暗示の予期せぬ誤植の結末であると。  久志はある夜勤の折に、人知れず中学校の理科準備室に忍び込んだ。アセトン、過酸化水素水、塩酸、硫酸……これらの材料が揃えば、誰でも容易に過酸化アセトンを調合できる。皮肉にも、久志が大学で唯一真面目に受講した化学実験の中で掻い摘んだ知識である。過酸化アセトンは中量でも、衝撃、火、熱を与えるだけで大爆発を引き起こす。これを用いれば建物の一個や二個、建物内の人間の十人や二十人の命くらい、一瞬にして炎の海に吞み込ませ、この世からその記憶ごと消し去ることができるだろう……。  薬品は全て揃った。あとは調合を待つのみである。だがここに来て久志は悩んでいた。自分のような無気力者が、果たして名前も顔もまともに知らない人間を、気兼ねなく手にかけることが出来るだろうか? しかも別に彼らに強い怨みを抱いているわけでない。誰かの平穏のために必要だから、彼らを殺すに過ぎないのだ。そんなに簡単な理由では、実行の直前になって、計画を投げ出してしまわないだろうか。  だがそれも少し考えれば杞憂だった。よく知っている人間よりも、全く知らない人間の方が、我々は無感情で殺してしまえる。久志がかつて、全く素性の知らない同級生や優斗や緑亀やその子供たちを、無感情で痛めつけることが出来たように。よく見知った今では優斗に一つも反抗出来ないように。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加