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 理科室で出来上がった過酸化アセトンを調合した簡易爆弾を、久志は保冷剤と一緒に発泡スチロールの保冷バッグに詰めた。今月最後の休暇を明日に控えた事務室でホワイトボードの予定表をいじり、自分の名札マグネットをそっくり全て指定休の欄に振り分けると、心は満ち足りて万端となった。  家まで持ち帰ったものに久志は入念に防水を施したうえで、一度冷蔵庫の中に保管した。決行日は明日だ。全ては明日の朝始まり、明日の朝のうちに終わる。その時自分はこの世にいないだろう。  そして久志は目覚めた。昨晩は熟睡し、ベッドから転げ落ちることもなく、自分が今日死ぬと分かっていると、これほどまでに朝の目覚めは澄み渡っていることを知らなかった。久志はいつも以上に丁寧に朝の身支度をした。バスタブに一杯に湯を満たし、三十分も首まで全身湯につかって、髭を剃りながらシャワーを浴び、身の隅々までシャンプーとソープで清めた。  久志は午前七時に家を出た。あの団体は、今日の朝早くから、他所から色んな人間を招いて、団体創設三周年セレモニーをロビーで行うのだ。久志の肩にはあの冷たい発泡スチロールの保冷バッグの肩紐が斜めにきっちりとかかっている。久志は可能な限り正装に身を包んだ。自分が死ぬ瞬間に、その正装がそのまま喪服となるのだ。自分の勝手で死ぬのだから、せめて自分で自分の死を見送る義務も果たすべきだ。  だがその前に……。久志は軽やかな足取りで、優斗の店に向かった。まだ店は閉店しているだろう。だが全てを終わらせる前に、最後にあの場所へ、自分の命を捧げる場所へ、久志は向かわねばならない気がした。誰にも知られることなく。  久志は店が近づくほど歩調が荒々しくなった。複雑に折り重なり入り組んだ石畳の町を右に曲がって左に曲がって、そしてあの三叉路の行き止まりが見えてくると、激しい心臓の高鳴りを感じた。  三叉路を右へ。そこには開店時刻に間に合うように、準備中の忙しいあの場所がある。 ……久志の身体がそちらへ向きかけたときだった。突如夏の朝の中空を、けたたましい叫び声のような消防車の鐘の音、救急車とパトカーのサイレンが次々と鳴り響いて、遠のいていった。久志はこれに制圧されてしまった。それはまさに今、目前の石畳を右から左へ駆け抜けていったように思えた。 「お兄さん!」  するとサイレンのすぐ後を追いかけるように、店を飛び出してきた夏紀が久志を見つけて、駆け出してきた。  酷く息切れして、喉から血を吐きそうなほど肩を苦しく上下させながら、夏紀はやっとの思いで久志に一枚の置手紙を差し出した。 「今すぐ読んで。店長が、優斗さんが……」  夏紀の顔は真青で、渡された手紙を開いて読んでいくうちに、久志の顔もみるみる真青になった。  久志の肩からするりとバッグが地面に落ちた。  すぐに店の方から、モチの上ずった遠吠えが、小気味よい四足歩調で二人に近付き、尻尾を振りまくりながら久志の足元にしがみ付いた。モチはバッグにしきりに嗅ぎついたが、その悪臭を感じて跳び下がり、低い構えで威嚇するように可愛らしい牙を剥いて、何度もしきりにまくしたてるように吠えた。
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