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「ちょっとは落ち着いたかい」  優斗に出されたコップの水を、久志は何回かに分けて少しずつ飲んだ。最悪の気分だった。吐き捨てるべき絶望はもう喉には残っていなかったが、それでも絶望の味は苦い。  久志の供述が始まった。 「初めは皆で暴言を浴びせることから始まった。あれは僕の発案だった。人間を拷問するとき、最も効果的に心理的に痛めつける方法は、単純な質問を何度も繰り返すというのを何かの本で読んだのがきっかけだ。僕らは君に、ただ『キモい』と言い続けた。ただそれだけを、学校のどこかですれ違うたびに君に言い続けた。それが勝手にエスカレートして、あれは確か夏休みの前のホームルームだ、四十人ぐらいの生徒が教室前の廊下を占領して、一斉に君の名前と、『キモい』という言葉を合唱し出した。人間の集団心理は本当に恐ろしい。弱っている人間を攻撃していい人間だと信じると、何をしてもいいと思うんだ。それに飽きると、暴言はもっと直接的な暴力に変わった。あれは市村と砂田の発案だ。あいつらは馬鹿だから……勿論僕も頭がいいなんて思わないけど、あいつらは単純に分かりやすい方法しか思いつかない。君を放課後に校舎裏で殴って蹴って……ただそれでも君は最後まで何も変わらなかった。そう、僕らが君の飼育していた亀を殺したときも。君は顔色一つ変えずに、死んでゆく亀を見つめていただろう。それで僕は……君はもう何をしようと痛まない存在、つまり人間性のない人形のような、つまり僕は君が怖くなったんだ。  いや、僕は本当に最低の人間だ。こんなことを話すつもりじゃなかったのに。僕はとにかく、君に謝りたいと思っていたんだ。それも突然思いついたわけじゃない。最近、市村と砂田が立て続けに死んだんだ。しかも二人が夢に出た。そうと思えば、つい数日前に、あろうことか君が、中学生の山本優斗が、あの殺された亀の死体を抱えて、僕の夢に現れたんだ。まさか君が市村と砂田を殺したわけじゃないだろう。そんなのは妄言にも劣る。だけど僕はきっと君に殺されるんだと思ったんだ。僕は今、障害者雇用であの中学校に勤めている。今僕は精神的に壊れているんだ。だけど、だからそんな妄想みたいなことを考えるんだなんて言わないでほしい。何もかもが符合しすぎているから。自分の出た中学に赴任して、中学校の同級生が立て続けに死んで、悪夢の中にあいつらと、君を見た。そして今日君と再会した……こんな偶然が有り得るかい。僕には必然にしか思えないんだ。  いやそれよりも、本当に、なんと言えば良いんだろう。僕に君に謝罪する資格もないことは分かっている。だけどそれでも、今みたく心身が衰弱して、社会のどん底に落とされてみて、初めて僕の中に言葉にしがたい感情が産まれたのは確かだ。一体僕は何をすれば良いんだろう。何もできないくらいなら、せめて山本君に、これでもかと責められるべきじゃないか。どうかこんなわけの分からない話を許してほしい。許してほしいというのも本当におかしなお願いかもしれないけれど……」  三十分ものあいだ、独り言のように久志は滔々(とうとう)と話した。久志は会計カウンターの前に出された木椅子に座り、カウンターを挟んで優斗と対面していたが、久志はどうしても(おもて)を上げることが出来ず、まるで警察署の取調室で供述する被疑者のように、仄暗い静寂に曖昧な、自己弁護な証言ばかりが恐る恐るその場で足踏みばかりした。 「今になって、自分がここまでどん底に落ちた理由は、間違いなく自分の過去の罪のために違いないと思えるようになったよ。例えば今の仕事で、保管期限の切れた五年前の校内資料とかを廃棄するときとかに、ちらっと見てみると苦情書だとか意見書だとかをよく見る。こっそり読んでみると、子供の声が煩いから静かにさせろって不条理極まりない苦情が、同じ名前の人間から三十通も届いてたりする。そんなのを見るとさ、こんな最低な僕でも、抑えられないくらい腹が立ってくる。五年前に時間を遡って、そいつの口が二度と苦情なんか吐けないように、殴り殺してやりたいって思うくらいに。山本君は違うか? 君ももし時間を遡れるなら、あの頃に戻って僕らを殺してやりたいと思わないか。今の僕なら、君にいっそそうしてもらいたい。もしあのとき死んでいれば、今みたいに感情の泥沼に沈まずに済むんだから……」
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