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襖がすーっと開き、
「何の話?」
と夏帆がお母さんとお茶を持ってきた。ソワカには何だか格の違う茶器でお茶が振る舞われている。さすが僧侶、格が違う。
「いえ、皆それぞれいい年齢になって、転機を迎えているなぁと……」
ソワカがそんな事を言う。
「何か資格とかを身につけたり転職するにしても、時期があるものですね、わたくしなどは僧侶になるまでに……」
それっぽい事をソワカが講話として話している。そうだ……! ソワカの言葉に会わせて僕は夏帆のお母さんに言った。
「――それでお母さん、夏帆ちゃん、資格持ってるじゃないですか、また生かすのに研修を受けるんだって言ってて、ここ近辺じゃ、僕のいる街でしかやってないらしいんです」
夏帆が池の鯉みたいに僕を見て、パクパクと口を動かしている。
「ですから、」
僕はお構いなしに続けた。
「一人では心細いそうなので、僕が責任を持って一緒に連れて行きますね!」
夏帆のお母さんはポカンとしている。畳みかけるようにソワカも言った。
「応援しますよ、きっとご先祖様もお喜びです。ではお経を上げさせて頂きます!」
ソワカが満面の笑みで、御母堂、良かったですね、と言い、お経が始まった。
夏帆が僕の袖を掴んで揺さぶる。響き渡るソワカのお経と木魚の音で、夏帆のお母さんには僕らの会話は聞こえないだろう。
「健ちゃん、何、どういうこと⁈」
「どうせここに居たって嫌味言われるだろ? まぁくんと食べるはずだったディナーに連れて行くから、服一週間分と貴重品準備して来い、今すぐ!」
夏帆の瞳が揺れた。
「でも……!」
「夏帆、同じことの繰り返しで終わるの嫌だろ?」
耳元で低く言うと、僕は夏帆の背中を押した。夏帆は僕を見上げると小さくうなずいた。
「お経が終わるまでだぞ!」
「……うん!」
座敷から出た夏帆を、彼女のお母さんが追いかけようとするのを引き止めた。
「お母さん、僕達高校の仲間も夏帆ちゃんを応援しています。彼女が立ち直る手助けをしたいんです」
夏帆のお母さんは、立ち直る、という言葉を聞いて、ハッとした表情をした。
「僕らが……僕が責任を持ってあちらでの暮らしは支えます。心配しないでください」
「でも、夏帆はあんな出戻りでまた外に出たって、人様に何て言われるか……」
「僕のせいにしてください。田坂んとこの息子が連れていったと言ってもらって構いません」
ソワカがこっちをチラッと見た。時間が無い。
夏帆の為だと言ったけれど、これは僕の為でもあった。行き止まりから抜け出せずにウロウロしているのは、僕も同じだ。目を赤くした夏帆が座敷に戻ってきた時、ちょうどソワカのお経が終わった。
「お母さん、もっとしっかりしてから戻ってくるね」
僕とソワカは同時に立ち上がった。長居は無用だ。
「夏帆、まさか今から行くんね⁈」
夏帆のお母さんが声を張り上げた。
僕が夏帆の手を掴もうとした時、
「おー? どうしたぁ?」
と座敷に入ってきたのは速谷のじいさんだった。そうだ、じいさんは夏帆のお母さんと知り合いだ。
「速谷さん、ちょっと聞いて!」
夏帆のお母さんが速谷のじいさんに話している。
「健、夏帆ちゃん、行け!」
ソワカは言うと夏帆のお母さんの前に立ちはだかり、僕らが出るのが見えにくいようにしてくれた。
「頼む!」
玄関で靴を履き、夏帆の荷物を掴むと、背中に速谷のじいさんの声が聞こえた。
「松野さん、昔は十五で嫁に行ったもんだ、出戻りなら充分大人じゃろう、健は墓守もしとる、心配なんかするもんじゃあない!」
カラカラと笑う声に押されて、僕らは車に乗り込んだ。夏帆の荷物をバックシートに投げ入れ、僕はイグニッションスイッチを押した。
「お母さん……」
「大丈夫だ、ソワカもいる。ちゃんと説得してくれるよ」
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