序章

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序章

 掘る。ただひたすらに。頬を汗が伝う。手からは血が滲む。皮膚は擦り傷でボロボロだ。それでも掘り続ける。  金属が岩とぶつかる音だけが響く、ここは名もなきミスリル鉱山だ。汗だくの男達が歯を食いしばりひたすらにツルハシを振り下ろす。 「辛い」  ミスリルといえば武器や装飾品に用いられるレアメタルで、高値で取引されている。光り輝くシルバーの美しい見た目や、数々の金属を合成してようやく得られるような強靭さを持ち合わせており、主に裕福な貴族の間で流通している。  そんなミスリルを掘っているこの鉱夫達はさぞ潤っているのだろう。  などということはなく。  ミスリル鉱山とはいってもミスリルはもうほとんど出ない。既に大部分を採り尽くしてしまったのだ。たまに掘り当てるミスリルも純度が低く、精製に手間のかかるものばかり。  ミスリルで持っていた村は一気に経済崩壊。村には困窮者が増えて雰囲気は最悪、屈強な男達も食い扶持に困り、どんどんと痩せ細っていた。  それでも掘り続けるしかないのだ。いつかまたミスリルの鉱脈を見付けられるかもしれないという淡い夢を見て。 「辛い」  それがダン・フォルトゥーナが日々に抱く唯一の感想だった。  まるで地獄だ。  早朝から夜中まで、やることはツルハシを振り下ろすか、掘り出した石くれをトロッコで運び出す作業。汗まみれ泥まみれ。目からは自然に涙が溢れてくる。これだけ頑張っても給金はない。何も掘り出していないのだから当然だ。 「辛い」  村を出て行く者も多かった。だが、ダンにその選択肢はなかった。この鉱山を所有しているのはダンの両親なのだ。ダンがミスリルを発掘しなければ、鉱山を運営している両親を見捨てることになる。ダンの父親も鉱夫だったが、かつて崩落事故に遭い、怪我をしてからは現場に出ることはなくなっていた。母親は工房でミスリルの精製を行っている。 「辛い」  今日の作業が終了した。男達はただツルハシだけを持って下山していく。 「おいダン。こんだけ掘っても給金が歩合制っていうのはおかしくねえか。お前の親頭おかしいんじゃないか。このままじゃあ俺らは飢え死にだ」  隣を歩く年上の鉱夫に小突かれた。 「何言ってんだ。昔はミスリルが山ほど取れて固定給なのはおかしいってわめいていたのはお前らだろ」  ダンは乱暴に答える。だが、事実だ。かつては取り分がそのまま給金になった。だから皆、必死に働いた。 「時代が違うんだよ。今はミスリルなんて滅多に出ねえ。歩合制じゃやってけねえよ」 「虫のいい話だな。こっちだって余裕ねえのは分かってるだろ」 「うるせえ、貯蓄とかあんだろ。こんだけ尽くしてきたんだ。ちょっとは俺ら鉱夫に情けってやつをな」 「お前らこそ稼いでた時期の貯蓄はどうした。どうせ酒とギャンブルと女に使っちまったんだろ」  会話はやがて言い争いへと発展していく。 「金出せこの野郎!」 「強盗かお前は!」 「何だと貴様!」 「やるか?」 「ああ!」  ダンと男はツルハシを投げ捨て、拳を握る。一日働いたせいでもうくたくただが、それでも目の前の男を殴らないと気が済まなかった。  辛い。  どんどんと痩せ細っていく両親。母は最近病気がちだ。精製に使う薬液がどうも身体に悪いらしい。父は怪我が治りきっておらず、いつも痛そうだ。  ダンの腹に男の拳がめり込む。 「ぐはっ」  口までせり上がってきた胃液を何とか押し込み、ダンも男にパンチを繰り出す。だが、その攻撃はあっさりとかわされてしまう。 「ふん、そんなヘロヘロのパンチ当たるかよ!」  ダンは喧嘩に弱かった。こうして殴り合いになることは多々あったが、勝てたことは一度もない。 「ぶほお」  頬にクリーンヒットした拳でダンは吹っ飛ぶ。そのまま、地面に倒れ込む。口の中は血の味でいっぱいだ。男は転がしたダンを足で蹴飛ばすとこう吐き捨てる。 「いいか、お前の両親に言っとけ。次、給金を出さなかったらお前の息子を殺すってな」  男はそう言うと、ツルハシを拾い上げ、去っていった。周りで見ていた取り巻き達も肩を竦めてダンを置いていく。ダンはひとり取り残される。 「辛い」  涙が滲んでくる。顔の前に自分の手がある。血豆だらけ、爪の中には泥が入り込み、剥がれかけている。 「辛いよ……」  この先の未来に希望が見出せない。 「ダン!」  遠くからダンを呼ぶ少女の声がする。見れば幼馴染のセゼ・オルコットが赤い髪を振り乱しながらこちらに走り寄ってきていた。 「ダン、大丈夫? また喧嘩?」  ダンは泣いていたのに気付かれないように横たわった姿勢のまま顔を膝に埋めた。 「何で来たんだよ」 「みんな帰ってきたのにダンだけいないから」 「放っとけよ……」 「もう、弱いんだから、無茶しないの」 「……」  情けない。自分と同い年の幼馴染の少女にこうして慰めてもらうなんて。 「帰る」  ダンは立ち上がると、ツルハシを拾い、ふらつきながら村へと歩き出す。 「肩貸そうか」 「いい」  自分はそこまでボロボロに見えるのだろうか。見えるのだろうな、とダンはため息をついた。 「セゼ、お前は辛くないのか」 「私? そりゃあ、辛いよ。私の店も客足が遠のいて久しいし」  セゼの実家はレストランを運営している。だが、今のご時世、この村にはレストランで外食をする金の余裕がある者はいない。店はいつも閑古鳥が鳴いており、経営は火の車だそうだ。 「でもさ、いつかきっとまたミスリルが出てくるって」  セゼは天を仰ぐ。夜空にはミスリルのような輝きを放つ星々が散らばっていた。 「そうしたらみんなまた昔みたいに仲良く騒いで働いて」  ダンが十歳の頃は、そのような感じだった。あの時は鉱夫に憧れを抱いていたものだ。それから五年経つが今は皆、死に体だ。夢も希望もなく、ただひたすらに脳死で単純作業を繰り返し、たまのストレス発散でダンを殴る。 「俺には辛い未来しか見えない」 「幸福は不幸だって嘆いている人の元には来ないんだよ」  セゼは言う。その言葉を信じて実践する元気はダンには残されていなかった。  帰って、薄い豆のスープを飲み、湯浴みをして、寝る。それが未来永劫続くダンの人生。 「辛い」  どうして自分がこんな目に。身体が朽ちるほど働いても、生きていくのがやっとだ。常に限界。常に不安。常にやる気が出ない。常に落ち込んでいる。鬱だ。 「辛い」  眠れない。眠らなければ明日の作業に差し障ることは分かっていたが、ダンは起き上がる。家を出て、夜風に当たる。月を厚い雲が隠し、辺りは闇に閉ざされた。  何となく、村を出る。夜には魔物も出るのでツルハシを一応持っていく。役に立つかは分からない。何せ殴り合いの喧嘩にも勝てないのだ。魔物が出たらひとたまりもないだろう。 「それでもいい」  もう、どうにでもなれ。魔物に襲われて死んだなら、それがダンの人生だったのだ。こんな惨めな生活、もう終わりにしてもいいのではないか。鉱山を見る。この山が諸悪の根源だ。この鉱山に人生を狂わされた。  月を隠していた雲が移動する。その時だった。鉱山の入口ではなく、鉱山の頂上付近で何かが光った。 「ん、あれ何だ……」  チカチカと月明かりに照らされる小さな輝く物体。ここからは点にしか見えないが、何かがある。 「もしかしてミスリル……!」  地上にミスリルが表出することはほとんどないが、万が一もある。ここから輝きが見えるとなれば、相当な大きさだ。 「確かめよう」  ダンは寝巻のまま登山を開始する。  夜の山は恐ろしい。登ることなど想定されていないため、登山道などない。月明かりだけが頼りだ。フクロウの鳴き声が不気味に響き、木々がざわざわと葉をこすり合わせる音は魔物の息遣いにも聞こえる。  ツルハシも使いながら岩をよじ登っていくと、村が眼下に見える。標高はおよそ400メートルくらいか。そこまで高い山ではないが、標高が上がると気温が下がり、ダンは身震いする。だが、輝く物体まではもう少しだ。  標高500メートルほど。村は随分小さくなった。遠くには海も見える。  そして、ようやく目当ての場所に辿り着いた。  額を流れる汗を拭う。荒い呼吸を何とか整える。 「何だこれ」  輝くものの正体は小さな泉だった。自ら薄く発光する水だ。温かいのか湯気が出ている。そして、その泉の中央に何か四角いものが嵌まっている。 「ダイス?」  それはいわゆるサイコロだった。何かの金属でできているのか、奇妙な光沢を放っている。大きさは握り拳ほどとダイスとしてはかなり大きいだろう。 「何でこんなところにダイスが?」  誰かの忘れ物だろうか。だが、こんな山の頂上付近でサイコロを振るシチュエーションが思い付かない。ギャンブル好きは多いが、こんなダイスを持っている者も見たことがない。 「でもおかしいな。全面数字が6だ」  ダイスには通常1~6の目が刻まれているはずだが、このダイスはそれが全て6なのだ。6しか出ないダイス。ある意味ラッキーなのかもしれないが、これでは勝負にならない。 「何にせよ売ればそれなりの値が付きそうだ」  泉の中の奇妙なダイスにダンは手を伸ばした。温かい泉だ。どうやらここから湧き出ているようだ。 「あれ、嵌まっていて取れないな」  いくらダイスを引っ張っても取れない。ダンはツルハシを取り出す。そして慎重にダイスの周りの岩を削っていく。対象を傷付けないように掘り出すのはダンにとっては簡単だ。  徐々にダイスの周りの岩を砕いていく。光る泉の水量が増した気がした。どうやら、ダイスが栓のようになって泉が湧き出るのをせき止めているらしい。 「もう少し……!」  ダイスがグラグラとし出す。ダンはダイスを掴むと一気に引き抜いた。  次の瞬間、栓となっていたダイスが抜けたことで、光る水が勢いよく噴き出た。 「え」  水柱はおよそ10メートルはある。凄まじい勢いだ。そして辺り一面に光る水が降り注ぐ。一瞬、昼かと思うほど周囲が明るくなった。 「あっつ! って、これ温泉か!」  温泉の勢いは留まることを知らない。辺りは水浸しになり、少し陥没した地形になっていたためか湯が溜まり始める。 「ダイスを掘り出したら温泉が湧いた」  何を言っているのか自分でも分からない。  温泉は適温だ。今は地面に座り込むダンの腰辺りまで水位が上がっている。そして、湯に浸かっている部分がとても心地よい。ずっと悩まされていた腰痛が和らいでいる気がするのだ。 「これ、ただの温泉じゃないな」  どうやら湯が光っているのは特有の成分が原因らしい。温泉で顔を洗ってみる。すると、殴られて腫れていた頬の痛みが少し引いた気がした。 「これ、癒しの魔素だ」  魔素とはこの世に存在する魔法の力の源だが、濃度が高いとそれ単体で魔法のような働きをすることがあるという。 「もしかして、俺、とんでもないものを掘り当てたんじゃ」  既にダンの胸辺りまで達した温泉が、陥没した地形から溢れ出す。光る水が山を伝って流れていく。  こんなに胸が高鳴るのは久し振りだ。何か良いことが起こる。そんな気がした。  ずっと手に握っていたダイスを顔の近くまで持っていく。通常よりも大きいことと謎の物質で作られていることを除けば普通のダイスだ。 「幸運のダイス」  このダイスを手に入れてから、何だか物事が全て輝いて見える気がする。今までの苦労も全てこのためだったのではないかと思えるくらいだ。自らの幸運のステータスが高まった感じだ。  このダイスは売らずに持っておこう。ダンはダイスをしまうと、服を着たまま湯に肩まで浸かった。  気持ちが良い。思わず声に出ていた。 「極楽ー……」  これは、幸運のダイスがきっかけで温泉を掘り当てたダンとその仲間の「幸運をめぐる運命の物語」。そして、世界を救ったり救わなかったりする奇妙で残酷な冒険譚。  これからダンには数々の運命的な出来事が降りかかる。だが、今のダンはそんなことを知る由もない。  今はただ湯に抱かれて幸福な気持ちに浸っている。
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