1-1.招福の光湯

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1-1.招福の光湯

 温泉が出た。その報は瞬く間に広がった。ダン達が暮らすのは小さな島の小さな村。噂が広まるのはあっという間だ。  だが、それだけだった。ミスリルの鉱脈が出たならいざ知れず、ただ湯が出ただけで人々が活気づくわけではない。  ダンも結局、いつものように鉱山に出勤し、ツルハシを振るう。  そして、今日も何も発掘できず、一日が終わる。  ただ、ダンの心持ちには変化があった。何というのだろう。充足感、幸福感といった感覚が心にあった。今までずっと辛いと思っていたことが、なぜだか素晴らしいことのように思えた。どうやら、周りもそんなダンに気付いたようだった。 「よお、ダン。何かいいことでもあったのか」 「ああ、あの温泉に浸かってから気分がいいんだ」 「へっ、たかが温泉で気分が上がるとか、お子様はいいよな」  ダンは現在十五歳である。一方、鉱夫達の年齢は皆三十を超えていてベテラン揃いだ。ダンはそんな年上の男達の皮肉を何とも思わなかった。いつもなら、「お子様に突っかかってくるってことはお前らの精神年齢はお子様以下だな」などと言って怒らせて喧嘩になっていた。もちろんダンは負けるのだが。今日は広い心で許してやろうという気になった。  他の鉱夫達もそんなダンに毒気を抜かれたのか肩を竦めて今日の作業を終了させた。  ダンは皆と一緒に村に帰らなかった。  代わりに温泉に向かう。今日も光る湯は滾々と湧き出ていた。今日は服を脱ぎ、ツルハシを置いて湯に浸かる。 「あー……」  体中の疲れが染み出ていくようだった。しばらく、湯に沈み、身体を癒す。 「こんなに凄い湯なのに誰も入りにこないな」  それも当然といえば当然だ。わざわざ登山をしてまで温泉に入りにくるほど余裕のある者はいない。だが、この湯の効能は本物だ。癒しの魔素が溶け込んでいる。傷も塞がるし、もしかしたら病も治るかもしれない。 「明日、父さんと母さんを連れてきて温泉に浸からせてみよう」  そうすれば、父の古傷や母の病気も治るかもしれない。  この世界では魔素と呼ばれる物質が存在している。  そして、この世界では魔法がありふれている。  魔法使いは皆、空気中の魔素を魔力で操作し、魔法を使う。魔素は魔力を注がれて励起状態になると万物に化ける性質を持っている。それは、熱であったり、風であったりする。すなわち、火の魔法『ヒート』や風の魔法『アトモス』になる。治癒術士が魔素を操作すれば癒しの魔法『ヒール』になる。  誰しもがひとりにひとつ魔法の能力を生まれ持つ。ここがポイントだ。  火の魔法の力を持つ者は決して水の魔法を使うことはない。生まれ持った魔法の力はひとつだけなのだ。  どのような魔法の才が発現するのかは法則性が分かっていない。両親が火の魔法を使っていても、風の魔法使いが生まれることもある。遺伝というわけでもないし、環境因子というわけでもない。人々はそれを精霊の祝福と呼んでいる。お伽噺に出てくる精霊が気に入った者に魔法を授けるということにしたのだ。  先程一緒に鉱山を掘っていた鉱夫達も大なり小なり魔法が使える。そもそも、鉱山の穴は土魔法が使える者が空けたものだ。魔法で作り出した水で泥を洗い流す鉱夫もいる。ただ、魔力を消費するため、そんなに頻繁には使えない。  ダンももちろん魔法が使える……はずだった。  ダンに魔法の才はなかった。魔力がないわけではない。ただ、ダンでさえ、自分が何の魔法使いなのか分からなかった。  皆、自然と物心がつけば、自分の得意とする魔法を知り、使えるようになるのに、ダンはいつまで経っても魔法が使えなかった。  精霊の祝福がなかった。そう嘲笑する者もいた。  稀にそういう者もいるという。そういう者は代わりに一芸に秀でているという。例えば、剣技だったり、話術だったり。だが、ダンはそういった才にも恵まれなかった。  落ちこぼれ。  それがダンの周囲の評価だ。  故に、肉体労働に従事するしかない。 「でもそんなことどうでもいい……」  脳で快楽物質が連続生産されているかのような心地だった。果てしない幸福感。 「そうだ。この湯は『招福の光湯』と名付けよう……」  招福。幸せを招く。いい名だ。  ダンは考える。この温泉を何かに使えないだろうか。例えば、飲み物として使えないだろうか。  ダンは手で湯を掬い、それを飲み干した。味はしなかったが、空腹が紛れた気がした。腹が満たされると人は幸福感を感じる。 「もしかしたら胃腸が荒れている人とかにもいいかもな。いや、他の内臓にも効くかも」  癒しの魔素を体内に取り込めば、当然、体内の悪いところを治療してくれるだろう。取り敢えず、次に来るときは瓶を持ち込むことにした。  翌日、ダンは嫌がる両親を連れ、無理やり山を登らせた。  怪我の後遺症で歩くこと自体が辛い父ハーク・フォルトゥーナ。外の冷気を吸い込み思わず咳込む母ルイズ・フォルトゥーナ。まるで両親をいたぶっているようだが、そんな気はさらさらない。  半日かけて山を登ると、ダンは問答無用で両親を温泉に突っ込んだ。ルイズには湯を少量飲ませた。  両親の表情が一変した。 「傷が、痛まない……」 「咳が止まった……?」  効果てきめんだった。  思わず、ダンはガッツポーズを決める。 「おい、ダン。これはどういうことだ。傷が治ったぞ」 「これは癒しの魔素……しかも、とても高濃度で……」  ふたりは驚いている。  島には老齢の治癒術士がいるが、彼が扱える魔素の量は大したことがなく、せいぜい、傷の止血や病気の症状の緩和がいいところだった。それは都会に行っても変わらないだろう。王宮の治癒術士となればいざ知れず、市井の医者などどこもその程度だ。 「ダン。最初は疑っていたが、この温泉は凄いぞ」 「ええ、こんなの治癒術士にかかるのがバカらしいわ」  口々に両親が言う。そうだろうそうだろうと、ダンは頷いた。  なぜこんな湯がこんなところから湧き出たのか。火山地帯であれば温泉自体はあるだろう。だが、癒しの魔素の溶け込んだ温泉など聞いたことがない。 「なあ、父さん、母さん。提案なんだけどさ……」  両親に向かってダンはおずおずと口を開く。 「この温泉を使って島興しをしないか」
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