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1-2.ダンの作戦
レストラ島。それがダン達の暮らす小さな島の名だ。この辺りには火山によって隆起した地形が多く、群島地帯となっている。レストラ島はその北端に位置する。
住民の数は約500人。その六割が鉱山関係者で、残りの二割が漁師、一割が騎士団に所属、後の一割がその他といった様相だ。
ダンの一族は島一番の地主だった。最大の鉱山を所有し、かつては本島の政治にまで食い込む名士だったらしい。
だが、ミスリルが採れなくなって以降は没落の一途を辿った。
ダンの目の前で恍惚とした表情で温泉に浸かる両親はその没落を食い止めようとした世代だ。すなわち、一番辛い世代だ。先代のように政治に口を出したり、遊んだりは一切できず、苦労だけを背負った。
働いて働いて働いた。身体を壊しても働いた。
風呂になんて浸かっている余裕なんてなかっただろう。
だから、ダンは今とてもいい気分だ。こうして寛ぐ両親を見ていると親孝行をしている気になる。
家族水入らずの入浴。そんなものいつ振りだろうか。数年単位で風呂など一緒に入っていない。だが、家族と時間と空間を共にするのは身も心も温まるのだと改めて実感した。
長年の疲れが取れたように爽やかなハーク。美肌にならないかしらと懸命に顔を洗うルイズ。とても微笑ましい。
「さて、あったまったところで俺の計画を話そう」
島興し。それすなわち、落ちぶれたレストラ島の復興。
「本気なのか、ダン。確かに湯の効能は凄いが……」
ハークは不安そうだ。そもそも、ダンがこんなにはつらつとして自身の意見を言うなどあまりにも久し振りで戸惑っている面もあるだろう。それほどまでに、今までのダンは死んでいた。
「俺は本気だ。逆に今やらないでいつやるんだよ」
「でも、島興しとなると村のみんなの協力が必要よ」
ルイズは自分達フォルトゥーナ一家が村の人々にどう思われているか知っている。ミスリルの出ない鉱山を給金もなく無理やり掘らせる悪徳地主。溜め込んだ富を再分配することもなく、レストラ島を陥れた無能地主。大体そんな感じだ。すなわち、悪いイメージが付きまとっている。
「当然だ。そして、その力がこの招福の光湯にはある」
ダンの計画はこうだ。
まず、村の人達を順に温泉に浸からせる。最初は病にかかった者や怪我を負った者を中心にだ。そして、招福の光湯の効果を知ってもらう。
重病人や怪我人が回復すれば、温泉の効能の噂が流れ、この温泉を利用する者が増えるだろう。
そして最終的には、全住人が温泉の効果を知るところとなる。
すると、招福の光湯の噂は島の外にも広がるだろう。
その頃までに村は外の人間の受け入れ態勢を整える。
それすなわち島の観光地化だ。
温泉を中心に島の外の人間が島に金を落としてくれるシステムを作り上げる。
具体的には宿屋の設置、飲食店の開設、定期便の運航開始などが挙げられるだろう。
先は長い。だが、試す価値はある。
「だが、ここまで来てくれるだろうか」
ハークの疑問は最もだ。実際、両親を連れてくるのにも半日がかりだ。今日は出くわさなかったが、道中、魔物と遭遇する可能性もある。
その点に関してはダンも思うところがあった。
「最初はこの招福の光湯だけでいいと思う。けど、いずれ他の源泉の掘削が必要になると思う」
そう。もっと村からアクセスしやすい源泉を掘り当てるのだ。
「この村の男達は掘るのだけは得意だろ」
招福の光湯は半径10メートルほどの円形をしている。これから島民以外を受け入れるとなると圧倒的にキャパシティが足りていない。
「ミスリルを掘るのをやめて温泉を掘るのさ」
ダンは言い切った。それは、フォルトゥーナ家の歴史を終わらせる発言だった。ミスリルによって興った家系が温泉で生きていく。それはかつての当主達の顔に泥を塗る行為ではないだろうか。
「少し考えさせてくれ」
ハークは悩んでいた。誇りを取るか、現実を取るか。
ダンは迷わせる暇を与えなかった。
「父さん、あまり時間はないよ。この温泉の権利はこの山を所有している俺達にある。でも、この温泉の効能が他に知れたら……」
奪われるかもしれない。その手段は、金か暴力か……考えたくもない。
「奪われる前に与えるんだ。この温泉は俺達のものだってみんなに認識させなきゃダメだ」
ダンはハークを説得する。そんなダンの様子を見てルイズがひとこと。
「ダン、あなた何だか生き生きしているわね」
ルイズの言葉にダンは自分を客観視してみる。
確かにそうだ。ダンは高揚感を感じていた。やる気に満ち溢れていた。自分ならやれるという気がしていた。頭に浮かんだのはあの銀色のダイスだ。今も肌身離さず持っている。
「大丈夫。全部俺に任せてくれ」
あのダイスがあれば何とかなる。何の根拠もなかったが、そんな確信があった。
ダン達が村に戻って来た時、事件が起こった。
鉱山が崩落したのだ。
原因は明らかだった。掘り過ぎだ。
仕方がない。掘っても掘ってもミスリルが出ないのだから。より深く、より広く掘るしかない。そうなれば崩落が起こるのは自明の理だと知りつつも、掘るしかなかった。
村の住民総出で救出活動を行った。
作業は難航し、深夜にまで及んだが、何とか全員救出できた。
死んだ者はいなかった。
だが、瀕死の者がいた。
「お父さん、お父さん! しっかりして!」
腕から大量の出血を続ける鉱夫に泣きつく幼い子供。鉱夫の名はジョイル。意識はなく、辛うじて胸の上下が確認できるのみ。その息子の名はエリック。ジョイルはエリックのひとり親だ。
「ギスペルさん、容態は」
ハークが治癒術『ヒール』をかける老齢の医者に尋ねた。
「見ての通りだ。右腕が崩落した岩に押し潰され、出血が止まらない。このままではジョイルは死ぬだろう」
「そんな! お父さん!」
ギスペルの言葉にエリックがより強く泣き叫ぶ。配慮のない言葉だが、現実だ。
エリックがジョイルのことを慕っていることは村の皆が知っていた。母親が病死しても、ふたりで支え合って生きてきたのだ。ギスペルの言葉に周囲の者は顔を伏せた。
ジョイル以外にも怪我人は多かった。崩落現場に居合わせたのが十五人だ。そのうち十人が怪我を負った。一番重症なのがジョイルだが、今もなお頭から血を流す者や骨折した者もいる。
「ハーク! お前のせいだぞ」
ギスペルがしわがれた声でそう言った。
「安全管理を怠ったフォルトゥーナ家の責任だ」
剣呑な雰囲気が重苦しい。
「しかし……。現場の指揮はガッシュに任せていただろう」
ハークはしどろもどろだ。安全管理も何もハークはしばらく鉱山に行っていない。管理などできるわけもない。現場のリーダー職に任せていた。
「俺は悪くねえ!」
矛先となったガッシュが吠えた。
「そもそも、ミスリルも出ねえのに掘らせ続けたのはどこのどいつだよ! お前らフォルトゥーナ家だろうが!」
そう言われては返す言葉がない。ハークは押し黙った。
「だいたい今日ダンはどうした。あ? サボりか? お前はちょうど崩落現場の担当だったろ。お前がいれば状況は変わったかもしれねえな」
言いがかりだ。ガッシュは先日ダンを殴った鉱夫だ。一番フォルトゥーナ家に反抗的な鉱夫といってもいいだろう。だが、他の鉱夫達はガッシュの味方をするようだ。そうだ、そうだ、と喚いている。
何としてもフォルトゥーナ家に責任を負わせたいのだろう。
「くっ」
ハークは唇を噛む。先程からギスペルがヒールをかけ続けているが、彼の衰えた魔力では、傷を塞ぎ切れない。
そんな矢先だった。
「今から奇跡を見せてやるよ」
事態が膠着しているなか、ダンは言い放った。
「あ? てめえ、ダン……! 何のつもりだ」
ガッシュが殺気立つ。それもそうだろう。なぜなら、ダンは笑っていたのだ。
こんな状況下で。
ダンは勝ち誇った笑みを浮かべながら背負っていた鞄から液体の入った瓶を取り出す。そして、周囲の制止も聞かず、瓶の中身をジョイルの潰れた右腕に振りかけた。
もうもうと白い煙が上がる。
「ダン! 何をかけた!」
ギスペルが叫ぶ。
「ほら、もう一丁」
構わず、さらに二本の瓶の中身をジョイルの腕に振りかける。
瓶の中身はもちろん招福の光湯だ。
「あっ……」
ギスペルが驚いた声を上げる。
煙が上がっていてよく見えないが、ジョイルの容態に変化があったようだ。
「血が、止まった……?」
「何だと?」
煙が晴れる。皆が覗き込めば、そこにはズタズタの腕があった。だが、血が噴き出ることはない。せいぜい滲んでいる程度だ。
「みんな聞け! この液体の名はエリクシール! 万病を治癒する伝説の薬だ!」
ダンは叫んだ。そして次から次へと瓶を鞄の中から取り出していく。
「傷のある者はそれを患部に振りかけろ! 病のある者はそれを飲め!」
光り輝く液体が瓶の中で揺れる。
皆の間でどよめきが広がっていく。間髪入れずにダンは続けた。
「そして、傷がある程度癒えた者から俺に続け!」
エリクシールというのはお伽噺で語られる伝説の秘薬の名だ。もちろん、その名前を使うというアイデアは今考えたのだ。
「桃源郷へ連れていってやる」
ダンは不敵な笑みを浮かべた。
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