1-5.魔法の練習

1/1
前へ
/26ページ
次へ

1-5.魔法の練習

 ダンはその日の夜、皆が寝静まった後も自室のベッドの上で銀色のダイスを手で弄んでいた。このダイスを掘り当ててからというもの変な気分だ。いつも靄がかかっていたような思考が研ぎ澄まされ、名案が次から次へと湧いてくる。勇気と元気も一緒に湧いてきて、何でもできそうな気になり、やる気が湧く。不思議な感覚だ。 「ま、ガッシュ達は従ってくれるだろう」  今日の試合は良い見世物だった。ダンの都合の良い方に物事を誘導するうえでよい機会だったといえる。力と知略と権力で他を圧倒してしまえば、ひとまずガッシュ達にも文句は言えまい。最後の治療という優しさと下手に出た協力要請も効いただろう。 「取り敢えずは、な。後は結果が伴えば」  結果。島の復興と豪語した手前、ひとまず経済の再生が必要だろう。  この島に学校はないため、学のある者はいなかった。皆、鉱山関係者か漁師か騎士になるのだ。学問は必要なかった。  だが、フォルトゥーナ家は鉱山の経営に関わる必要がある。かつては、本島との政治絡みの折衝も多くあったという。そのため、経営学から政治経済学、帝王学に至るまで様々な本が家にはあった。ダンはそれらを幼い頃から教科書代わりに読んで過ごしてきた。  ゆえに、簡単な知識ならばあった。恐らく同世代では一番賢いだろう。だが、都会の学校に通った子供達には学力で劣るだろう。例えば、算術の教科書はほとんどなかったため、ダンは数学が苦手だ。 「まあ、その辺は今から勉強するとして喫緊の課題は……」  ただ、ダンが最も苦手とするのは、学問ではない。 「戦闘、だよなあ」  今回はセゼを味方に取り込んだことによるダン自身は不戦勝。いわば用心棒を雇った形だが、今後もその方法で勝ち続けていくには無理があるのではないだろうか。  確かにセゼは十五歳にして大人達よりも強い。だが、ダン自身も強くなければ、いずれセゼが反旗を翻した時に対応できない。そうでなくても、セゼが常に守ってくれるとは限らないのだ。セゼが不在の時はどうするのだ。 「やっぱ俺自身が強くならないとなあ」  そう独り言ちてダイスを手の中で転がす。  現在の世界情勢は不安定だ。レストラ島はサンドラ連合王国の領土のひとつである。サンドラ連合王国は島国であり、他国と陸上で隣り合っていないため、今は領土争いもなく平和なのだが、それ以外の国々はそうではない。  世は戦国時代といっても過言ではない。  現在バチバチと火花を散らしているのが、北のボルタ帝国と東のイズダム共和国だ。両国の戦線は拮抗しているが、ただでさえ強いボルタ帝国には西の強国アテリア教国が付いているというし、イズダム共和国もサンドラ連合王国を味方に付けようと躍起になっているという噂だ。  サンドラ連合王国擁するレストラ島が戦火に巻き込まれることは十分に考えられるのだ。  招福の光湯は傷を癒す効果を持つ。戦争家にとってしてみれば垂涎ものだろう。見付かればエリクシールの源泉としてあっという間に徴収されてしまうだろう。 「魔法が使えればなあ」  掌を天井に向けて魔力を込めてみる。魔力といってもダンにはよく分からないのだが、測定機によれば人並みにはあるらしい。  この世界の魔法の原理は全てエネルギーという概念で説明できる。  術者の魔力とはすなわちエネルギーだ。そのエネルギーを受けて空気中に漂う魔素が励起する。魔素は様々なエネルギーに変化する性質を持つ。  例えば熱エネルギー。物体を温めたり、逆にエネルギーを奪えば冷やすこともできる。これは『ヒート』や『フリーズ』といった魔法になる。一般的には熱属性魔法といわれる。高度な魔法使いは熱属性魔法を利用して天候の操作すら可能にするという。  続いて『トラクター』などの位置エネルギーを利用した魔法だ。物体の位置エネルギーが上昇するということはすなわち物体が浮かぶということだ。  『ヒール』は体内の生命エネルギーを活性化させる魔法だ。招福の光湯には大量の魔素が生命エネルギーに変換された状態で存在している。そのような魔素がどこから来たのか、誰が励起させたのかというのは不明だ。自然の摂理としかいいようがない。  と、魔法の解説をしてみたが、ダンには魔力があっても魔法が使えない。精霊の祝福がなく、どの属性の魔法が使えるのかすら分からないのだ。家に魔法の本があったため、様々試したことはあるのだが、からきしだった。 「本当に精霊の祝福がないか、それかめちゃくちゃレアな属性の魔法だったりして」  本にも載っていないレアな魔法。あるにはある。例えば、『ヌクレアス』という魔法がある。これは核熱属性といわれ、通常の熱属性とは異なる。何でも物質の最小単位である原子に関わる魔法だとかいって一国を滅ぼすほどの威力があるらしい。だがこれは、お伽噺の中で使われるような創作魔法だというのが一般の見解だ。使えないか試したことはあるが、恥ずかしくなるだけだったのですぐにやめた。  他にも魔力をほとんど消費しないのに高威力の魔法を放つ「可能性がある」という魔法の話も聞いたことがある。その名は『アプエスタ』。特殊属性のギャンブル魔法として知られ、少量の魔力を込めると様々な効果の魔法が発動するという。熱属性魔法が出ることがあれば、光魔法が出ることもあるという。威力もその時々で変わり、いってみれば「何が起こるか分からない」魔法だ。ただ、そのほとんどが失敗に終わり、余程幸運でない限りまともに魔法は出ず、有用性は低いという。 「『運任せの魔法』か……」  ただ何となく、幸運のダイスを手に入れてから、自身の運気が一気に上向いた気がする。もしかしたら自分は『アプエスタ』使いで、今までの不幸な自分では魔法が不発に終わっていただけなのでは。 「なわけないか」  そんなことを考えながら、「アプエスタ」と小さく呟いてみる。  次の瞬間だった。  フォルトゥーナ家の屋根が轟音と共に一部吹っ飛んだ。 「えっ」  パラパラと木片が大穴の空いた屋根から降ってきて、そこからは星空が見える。慌ててベッドから身を起こすダン。何が起こったのか全く分からなかった。だが、ふと気付く。 「魔法……?」  アプエスタと呟いた瞬間に二階のダンの部屋の屋根が破壊された。部屋の中は嵐が過ぎ去ったかのような惨状で物が散乱している。 「ダン、大丈夫か!」 「何なの今の音!」  慌ててハークとルイズが部屋に飛び込んでくる。 「えっと……魔法を使ったみたい」  ダンは頬に触れる。ぬらりと血が付いた。どうやら、落ちて来た屋根の一部が頬を掠めたらしい。 「魔法だって? いや、お前は……。ん、だが、確かに風魔法が使われた形跡があるな」  風魔法とは、気圧差を生み出し、気圧の高い方から低い方へ風を流す魔法だ。基本的には熱魔法の応用になるのだが、一般的に風属性魔法といわれる。 「ダン、あなた風魔法使いだったの? ってことは、これは『アトモス』?」  風魔法の代表例は『アトモス』であり、強風で敵を攻撃する魔法だ。また、この世界の帆船は、『アトモス』によって生じた風を利用して加減速できるため、風魔法使いを乗せた船は自然風で航行するよりも早く目的地に着く。 「屋根を破壊するとはかなりの高威力だったみたいだが、怪我はそれだけか」 「ああ……」 「魔力の使い過ぎで倒れそうなんてことは」 「ないみたいだ」  ハークは冷静だが、ルイズはおどおどとしている。 「ああ、どうしましょう。ダンが初めて魔法を。明日はケーキを焼かなくちゃ。ああ、でも屋根の修理代が……」  この世界では初めて魔法が使えた者を祝う習慣がある。だいたい十歳前後くらいで成長の証として。ダンは今、十五歳だ。祝うにしては遅過ぎる。 「ケーキはいいよ母さん。それより、ちょっと魔法を試したいんだ。表に出てみる」 「そんなに連射したら魔力が……」 「平気だ」  ダンは言うが早いか上着を引っ掴むと、家の外の開けた場所に出る。  先程のはアトモスという魔法らしい。父も風魔法使いだから魔素の励起状態から分かるのだろう。だが、ダンはアトモスとは唱えていない。 「アプエスタ」  もう一度、掌に魔力を込めてみる。何も起きない。先程のは偶然だったのか。いや、確かギャンブル魔法には使い方があったはずだ。ダンは本の内容を思い出す。 (発動前にどんな種類の魔法を使うか術者が指定する必要がある)  確かそう書かれていたはずだ。  なるほど、先程は、強くなりたいと願いながら魔法を唱えたため、攻撃魔法が出たのだ。だとすれば、もし、癒しのイメージを込めれば。 「アプエスタ!」  次の瞬間、体の芯が熱くなる。同時に、先程血が出ていた頬も。見れば、頬から白い煙が上がっている。 「これは、ヒール……!」  一瞬で傷が再生した。まるで、上級魔法使いだ。ギスペルの魔法よりも治りが速い。 「いや、ヒールの上級魔法『医神の祈り(アスクレピオス)』か……」  そんな様子を見ていたハークが唖然とした表情で言った。 「ダン、お前……ギャンブル魔法使いだったのか」  ルイズは訳が分からないといった様子だ。 「お父さん、どういうこと? 今、ダンはアトモスを使って、それからヒールを使ったの? ふたつの属性が全く違うわ。おかしいわよ!」  ルイズの言葉は最もだ。この世界では、人は一属性の魔法しか使うことはできない。セゼは熱魔法しか使えないし、ガッシュは位置魔法しか使えない。生まれてから死ぬまでずっとだ。 「ルイズ。ギャンブル魔法は特殊な魔法なんだ。僅かな魔力をベットするだけで、属性も効果も様々な魔法が使えるんだ」 「まあ……!」 「だが、余程の幸運でないと魔法は不発か、低威力の魔法しか出ないはずなんだが」  ハークの解説はダンの知識の通りだ。 「じゃあ、今のはたまたま……?」 「恐らく」  そう、そのはずだ。  だが、ダンは違う可能性に思い当たっていた。  アプエスタがギャンブル魔法と呼ばれる所以。それは、余程運が良くないと使い物にならないからだ。魔物と対峙した時に、熱魔法を使おうと思っても数度しか温度が上がらなければ意味がない。そもそも出る魔法の属性すら定かではない。風魔法が出て困ることもあるだろう。攻撃魔法か回復魔法かは指定できるようだが、使い勝手は最悪だ。  ギャンブル魔法自体も非常にレアだが、それを使いこなせる者など皆無。  だが。  ダンは掌の中の幸運のダイスを握り締める。  思えば、このダイスを掘り当ててから幸運なことばかりだ。温泉が見付かるし、その温泉で両親を治療できた。崩落事故からみんなを救い、温泉の効果を認めさせた。そして、セゼはガッシュとの決闘に勝ち、温泉はフォルトゥーナ家のものだ。全てダンの都合のいい方向に向かっている。  そして、確信があった。ダンは今、幸せだ。何だか分からないが自信が湧いてくる。この根拠のない自信の源はこの多幸感にあるようだった。  それを今から証明しよう。  ダンは掌を頭上に掲げる。  思い描くのは攻撃魔法。それだけだ。  あと魔法で必要なのは対象の設定だけだ。  ダンは遠くに見える山を指定した。招福の光湯がある山のてっぺんだ。 「アプエスタ」  何が出るかは分からない。だが、出るという確信があった。 「不発か」  ハークが言った。 「いや、違う」  最初の変化はわずかだった。霧が山の頂上を覆ったのだ。  すると、みるみるうちに山の上空が曇っていく。すぐに真っ黒い暗雲が形成される。  そして、暗雲からは雨が降り出す。さらに雲は黒さを増していく。  次の瞬間だった。  山の頂上が明るく光ったかと思えば、稲光が山の頂上に落ちた。すぐに耳をつんざくような雷鳴。伝わる振動。 「こ、これは上級魔法『雷帝の裁き(トールハンマー)』……!」  ハークが青ざめた。  雷は雲の中に形成された雹や霰が原因で起こる。まず、空気中の水分を上昇気流で持ち上げ、上空で冷やして雲を作る。その動きを止めずに続けることでどんどんと雲が大きくなり、やがて小さな氷の結晶ができ始める。氷は重いため雲の下の方に落ちるが、それを上昇気流で持ち上げる。氷の周りに水滴が付き、どんどんと氷結晶が成長していく。すると、氷はまた落ちてきて、という動きを繰り返すことになる。こうしてできた氷結晶同士がぶつかり合うことで静電気が溜まっていき、やがて一定の電圧に達すると、落雷を起こす。これが雷のメカニズムであり、今しがた五分ほどで起こったことの解説でもある。  既に山の上に雲はなく、落雷も一回だけだったようだ。だが、威力は凄まじい。 「ダン、お前……」  ダンは確信した。 「どうやら俺はとてもツイているらしい」  発動に約五分かかるとはいえ、威力は魔物を消し炭にするに余りあるだろう。  恐らく、トールハンマーを使える魔法使いはこの世広しといえどもそうはいない。そもそもトールハンマーは風魔法使いや位置魔法使い、熱魔法使いが複数人で使用する複合魔法だ。そして、仮に使えたとしても発動するのに数時間はかかるだろう。 「取り敢えず、俺はこれからも魔法が使えない設定でいこうと思う」  ダンは言った。ルイズは先程の雷で腰を抜かしている。 「ちょっと危険過ぎる」
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加